60周年の『笑点』立川談志の“慧眼”に罵倒合戦の封印まで、変化を恐れない国民的番組の“軌跡”

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2026年05月03日 15:10  週刊女性PRIME

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笑点特製手ぬぐい

 今年、還暦を迎える『笑点』。もともとは、立川談志が日本テレビに持ちかけた演芸番組『金曜夜席』('65〜'66年)を前身とし、それを引き継ぐ形で'66年にスタートしたのが『笑点』だった。

 番組名の由来は、当時ベストセラーとして話題を集めていた三浦綾子の小説『氷点』をもじり、“笑いの点(ポイント)”にかけて、談志自らが命名したといわれる。

いわばモーニング娘。やAKB48の先駆け! 60年かけて作り上げたプロジェクト

 現在は、日曜17時30分から放送されているが、当時は日曜16時30分〜17時10分の40分番組。大喜利の司会を五代目三遊亭圓楽が、演芸コーナーとゲストトークの司会を談志が務める“MC2人体制”としてスタートしたことはあまり知られていない。

 ほどなくして司会は談志1人となり、五代目圓楽は大喜利メンバーに。

 この時代は、ブラックユーモアを好む談志のカラーが強かったこともあり、大喜利メンバーの一人だった桂歌丸は「全然、ウケない。だから、こんなに長く続くとは思わなかった」と振り返っているほど。

 とはいえ、談志と五代目圓楽だけが真打ちだったことに鑑みれば、二つ目の若手(桂歌丸、林家こん平も!)を積極的に登用した談志の慧眼(けいがん)たるや恐るべしだろう。

 '69年に談志と大喜利メンバーが方針をめぐり対立すると、メンバーは総入れ替えに。ところが、約半年後、談志が突如降板。二代目司会者に抜擢(ばってき)されたのは、人気タレントだった前田武彦。

 バラエティー色が強い、4対4の対抗戦大喜利が導入されるなど談志時代と一線を画すほか、「テンテテテテテテ、ッテンテン、パフ♪」のテーマ曲もこの時代に定着するなど、ポップなカラーを打ち出すことでお茶の間の支持も上がっていく。

 そして、三代目司会者である三波伸介時代に、『笑点』は絶大な人気を誇るまでに。

 '73年には、歴代最高視聴率40.5%を記録。この背景には、ちびっ子大喜利で人気だった山田隆夫(現・座布団運び)らで結成されたアイドルグループ「ずうとるび」の影響もあったが、オープニングの客席からの挨拶、「○○さんの座布団を△△さんにあげて」といった横移動などは、三波時代に生まれたもの。

 落語家を巧みに生かす三波の手腕もあって、『笑点』は“国民的”番組として親しまれるようになっていく……のだが、'82年に三波が急死。代理司会を愛川欽也が務めるも、「司会中に(愛川の)手が震えていた」と歌丸本人が後年語るように、その重圧は想像を絶するものだったという。

 そこで白羽の矢が立ったのが、五代目圓楽である。これが見事にハマり、歴代最長の23年という司会記録を打ち立て、今なお日曜夕方の風物詩として不動の地位を築くまでになった。

 演芸評論家兼エンタメライターの渡邉寧久さんは、同番組の功績をこう語る。

落語界の1980年代、'90年代は、寄席になかなかお客さんが入らない厳しい時代だった。しかし、『笑点』が放送されることで、世の中に落語家という存在がいる─ショーウインドーのような役割を果たした。着物を着て何かをしゃべる職業があるといったイメージをつないでくれた

 そして、60年続く理由について、

『笑点』はモーニング娘。やAKB48の先駆けでしょう。メンバーが変わっても、プロジェクトとして続いていく。それは『笑点』の大きな強みだと思います」(渡邉さん)

大喜利メンバーになることのメリット・デメリットとは?

 歴代メンバーの変遷を見ると、番組当初は大喜利メンバーが結構な頻度で替わっていることがわかる。

 中でも、五代目圓楽は2度の降板を経てからの司会抜擢と、『笑点』の歴史を語る上で欠かせない。'77年に2度目の降板を申し出た理由を、圓楽本人は週刊誌でこう語っている。

圓生師匠が『これはダメです。(中略)この人は50歳になったらダメになります』ってね

 当時の圓楽はラジオのレギュラー3本、テレビ7本という売れっ子。その姿に師匠である圓生は警鐘を鳴らし、圓楽も落語に専心したいと『笑点』を含めたすべてのレギュラー番組を降板したという。

 実際、笑点に出演することで全国的な知名度を得られるため、同番組を機にテレビでも活躍するようになった落語家は多い。しかし、前出・渡邉さんは「売れることでデメリットがないわけではない」と説明する。

人気が出ると、地方での営業が増えます。地方で落語を披露するわけですが、東京や大阪と違って、普段落語を聞かない人が会場に足を運びます。そうすると、落語家はその人たちにもわかるような落語を披露する」(渡邉さん)

 端的に言えば、説明が多い落語をしがちになるという。

落語というのは、かつては30分だった話を最小限に収めて、10分、20分の話として昇華させてきた伝統話芸です。いわば、長い歴史の中で省略をし続けてきた。ですから、『昔の武士っていうのは、○○でね』というように、端折っていた部分を補うように落語をしゃべると野暮に映る」(渡邉さん)

 地方のお客さんにも満足してもらいながら、普段から寄席に通うような落語ファンもうならせる。そのバランスが大事なのだが、実入りのいい地方の営業やテレビの仕事に慣れるとフォームが崩れてしまう─寄席に出続けることが、噺家(はなしか)として大事な姿勢というわけだ。

実際、『笑点』の話をするだけで会場はワッと沸きますから、『笑点』の出演者もイベントや高座でその話をすることが少なくない。しかし、歌丸さんは『笑点』から退いた後は、一度も『笑点』にまつわる話はしなかった。

 出演しているときは、『円楽っていう腹黒いやつがいてね」といった冗談を話すこともあったのですが、勇退してからは一度も言わなかった。“そこに逃げない”という姿に矜持(きょうじ)を感じましたね」(渡邉さん)

 東京の落語家の多くは落語協会、落語芸術協会、五代目圓楽一門会、落語立川流に所属しているが、基本は個人事業主。セルフプロデュースがきちんとできる落語家でなければ人気は長続きしないのだ。

実際の収録時間は?カラフルな着物の理由は?ネタを考えているのは……?

『笑点』の収録は基本的に隔週土曜に行われる。抽選制の無料招待で、普通はがきやインターネットの募集フォームから申し込むことで観覧することができる。

 会場は後楽園ホールのことが多いが、地方局の開局記念の公開収録として別会場になることも。倍率は10倍以上ともいわれる狭き門だ。

土曜日の朝からセットを組み、昼過ぎから収録が始まります。テレビで見るとコンパクトに収まっていますが、実際にはお題を出してから、落語家たちが考えている時間があります。会場にいるとテレビでは味わえないゆったりと流れる時間を体験できます」(渡邉さん)

 たびたび、「台本がある(=回答が用意されている)のでは?」という噂がささやかれるが、「現場で見ているとそんなことはないことがわかるはず」と渡邉さんは笑う。収録は2本撮りなので、実際の収録は、演芸や大喜利を含めて2時間ほど。

 ちなみに、今ではおなじみとなっている出演者各人のカラフルな着物は、カラーテレビ普及に伴い、派手な着物へと様変わり。それまで落語家の高座着は自前だったため、黒やグレーなどモノトーンなものがほとんどだったそう。

 それぞれのキャラクター性に合わせた色選びは、三代目司会者・三波伸介時代に定着。ピンクの着物を着ている三遊亭好楽は、名前と同じピンク色の便秘薬「コーラック」から桃色になったという説があるが、あくまで都市伝説。

 なんでも、もともとは現在、三遊亭小遊三が着用している水色を着ていたというから、さすがは長い歴史を誇る番組だ。

『笑点』は、江戸時代の長屋を想像したらわかりやすい。司会の春風亭昇太さんが大家さんで、八っつぁん、熊さん、ご隠居さん、人のいい甚兵衛さん、おバカな与太郎……落語に登場する人物がレギュラーの落語家たちです。

 キャラクターが色づけされているからこそ、わかりやすく、長年愛され続けてきたのでしょう」(渡邉さん)

『笑点』は時代の写し鏡!?名物だった“罵倒合戦”が鳴りを潜めたわけ

 60年も続けていれば変わってしまうものもある。その一つが『笑点』名物の“罵倒合戦”だ。

 そもそもの始まりは、三遊亭小圓遊が出演していた時代までさかのぼる。小圓遊が歌丸に「ハゲ!」と口撃するや、即座に歌丸が「バケ!(バケモノ)」と応酬。時には、お互いの家族でさえ標的にするほどヒートアップしたが、これが視聴者に大ウケし、小圓遊が亡くなる'80年まで2人の“罵倒合戦”は続いた。

 このイズムが、のちに「木久蔵ラーメンはマズい」「(五代目)圓楽は借金で首が回らない」といった他出演者に飛び火する形で受け継がれた。また、木久蔵がいきなり持ち歌のお色気ソングを歌い出すなど、今思うとハチャメチャな展開で視聴者を楽しませたものだった。

 だが、何かとコンプライアンスが厳しい時代。昨今は、その応酬にも変化が。渡邉さんはこう指摘する。

ルッキズムを考慮して、容姿の悪口はなくなりました。また、かつては独身だった昇太さんをいじるといったこともありましたが、今はそうしたデリケートな話題は極力避けるようになっている

 時代とともに『笑点』をパッケージする包装紙も変わっているということか。ちょっと物足りなさはあるけれど……。

寄席というのは、世の中を表しているところがあって、流行を取り入れたり、逆にそぐわなくなったものを淘汰(とうた)していく装置でもある。例えば、古典落語の金銭絡みの噺に『持参金』という演目があるのですが、今の時代では不快に感じる人もいる。

 そのため、『持参金』を禁止にしている演芸場もあるほどです。時代にそぐわなくなれば消えていく。それも落語の歴史なんですね」(渡邉さん)

 手を替え品を替え。そうして落語は、『笑点』は、愛され続けてきた。番組を立ち上げた立川談志は、自著『現代落語論』で「落語が『能』と同じ道をたどりそうなのはたしかである」と記している。落語が大衆からそっぽを向かれないように──。

『笑点』が60年も続いているのは、変化を恐れない柔軟な姿勢があるからだろう。

渡邉寧久●演芸評論家兼エンタメライター。東京新聞、ENCOUNT等にコラム執筆中。文化庁芸術選奨、花形演芸大賞、浅草芸能大賞選考委員等歴任。江戸まちたいとう芸楽祭実行委員長。2025年8月より、東京新宿二丁目のミニ演芸場「シン・道楽亭」を運営。著書に『落語家になるには』(ぺりかん社)など。

取材・文/我妻弘崇

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  • 三波さんと圓楽さんの間に愛川さんが司会の時期があったコトを知らなかったです。私は子供の頃に観ていた三波さんの印象が強いのだけれど。
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