
親族が集まる場では、それぞれの価値観や距離感の違いが見えてくることがあります。とくに葬儀や納骨といった場面では、「常識」や「気づかい」をめぐる考え方の違いが、思わぬ摩擦を生むこともあるようです。
『義兄夫婦が気が利かず、何もしません。先日義母の納骨をしました。すべて私たち夫婦が段取りしました』投稿者さんは、お坊さんの手配やお供えの準備などを一手に引き受けました。一方で義兄夫婦は目立った動きがなく、その姿勢に強い不満を抱いています。自分たちばかりが動いているという思いが、怒りを大きくしていったのでしょう。
『ちなみに義父が亡くなったら、喪主は旦那がします。義兄夫婦は蚊帳の外です。遺産も多くもらいます! 納骨式では、義兄嫁は私たちと目も合わせず挨拶もせずシラッとしていました。でもお焼香では私より先に行きました』投稿者さんは手ぶらできた義兄嫁に、「挨拶もない」と怒りが湧き上がったよう。しかも平気な顔をして、花すらなかったと憤ります。そりが合わず、今までもイヤな思いをしてきたそうです。
礼服か私服か、すれ違う常識
義兄から「服装はどうするのか」と確認があった際、投稿者さんの旦那さんは「私服で」と回答。普段から何もせず、気が利かないので腹が立って嘘をついたといいます。当日、投稿者さん一家は礼服で参列し、義兄夫婦は私服のままでした。
『身内だけの納骨なら、平服でも問題ない。価値観の違いを責めても仕方がないのでは』義兄が投稿者さんの旦那さんに、「私服って言っただろ? なんで礼服を着てるんだ?」と言ってきたそう。しかし義兄嫁が横から、「どうでもいいよ、礼服は疲れるし、私服のほうが気楽でしょう?」となだめたそう。
『家族だけが集まる法事なんて、黒っぽい服でいい。私は考えることが面倒だから喪服を着たけれど、きょうだいたちは黒いラクな服を着ていたよ。だからお義兄さんは確認したんだろうに。お義姉さんは返しが大人だよね』
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『身内だけの納骨式で平服を着ていても、ダメージにならないよね』形式を重んじるか、実用性を優先するかは家庭によって異なります。事前に確認していた義兄の行動を配慮だと受け止める声もあり、必ずしも非常識とは言えないようです。
「世話をした側」と「家族としての立場」
投稿者さんは「自分が一番可愛がられていた。一番関わってきたのは自分たち夫婦だし、財産は私たちがもらうよ」と強く主張しています。しかし、そこには冷静な指摘もありました。
『一番世話をしたとしても、義兄さんは実の息子。当然、相続の権利はある』
『義兄さんは法廷相続人のひとりですよ』どれだけ尽くしてきたとしても、法的な立場は別問題です。政府広報オンラインにも、以下のような記載があります。
『法定相続人となるのは、亡くなった人の配偶者と一定の血族(子や父母、兄弟姉妹など血縁関係のある人=「血族相続人」)です』
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「遺産は多くもらう」と言い切る投稿者さんの姿勢には、危うさを感じる人も少なくありませんでした。
見え隠れする義兄夫婦への対抗意識
投稿者さんの言動からは、義兄夫婦への強い対抗意識も感じられます。
『相手はそもそも競っていないのでは。気にしているのは投稿者さんだけに見える』
『いい嫁でいることに価値を置く人と、そうでない人。価値観が違うだけ』
『向こうが蚊帳の外ではなくて、向こうの視界に義実家もあなたも入ってないと思う』義兄嫁はもともと親戚づき合いを望まないスタンスであり、距離を取ることを選んでいるのではないでしょうか。そのため投稿者さんの行動は、意図とは逆に「関わらなくて済むならありがたい」と受け取られている可能性もあるでしょう。
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「気が利く私」が抱える落とし穴
『うちの父は家を建てるのに祖父母からお金もらっていたけれど、祖父母の介護はしていないし、葬式にも行っていない。同居の独身の叔母が介護も葬式も取りしきって、連絡が来たのはお葬式が終わってからだった』こんな声もあるように、「どこまで関わるか」は人それぞれ。関わりが薄いことを一概に非常識と決めつけることは難しいでしょう。
本来、納骨は故人を偲ぶための大切な時間です。誰がどれだけ動いたかを競う場ではありません。評価や優劣に意識が向くほど、本来の意味が薄れてしまうのではないでしょうか。「気が利くこと」は大切ですがそれを他人に求めすぎると、関係はすれ違いやすくなります。家族であっても価値観は異なるもの。それぞれの距離感を認め合うことが、無用な摩擦を減らす一歩になるのかもしれません。
文・岡さきの 編集・佐藤さとな イラスト・カヲルーン

