今年は『幽幻道士』の公開から40年の節目だ 1980年代に一大ブームを巻き起こしたホラーコメディのジャンルが「キョンシー映画」だ。香港映画の『霊幻道士』シリーズを元祖とし、日本では台湾で製作された『幽幻道士』シリーズが大ヒットを記録した。当時は、両手を前に出してぴょんぴょん飛び跳ねるキョンシーのモノマネをする子どもたちが日本中で見られた。
人気を支えたのが、当時7歳で美少女道士テンテン役を務めたシャドウ・リュウさんだ。シリーズ1作目の公開からちょうど40年となる今年、47歳となった彼女に当時を振り返ってもらった。
◆家計を助けるため、抜擢に乗った
――台湾や日本で一世風靡した『幽幻道士』の出演までの経緯を教えてください。
シャドウ・リュウ:私の兄もスイカ頭という役で作品に出ているんですが、父が兄を連れてそのオーディションに出かけることになりました。まだ小さかった私を1人で家に残しておくわけにはいかないので、私も一緒についていくことになったんです。テンテンを演じる人は私の前にすでに決まっていたんですが、オーディションの場に行ったら監督さんが「今の子を外して、この子にする」とおっしゃって。
――シンデレラストーリーですね。それで実際に出演されたということは、映画に出ることには憧れがあったのですか。
シャドウ・リュウ:ないですね。
――え!? では、なんとなく楽しそうに見えたとかですか。
シャドウ・リュウ:いえ……儲かるかなって(笑)。実は、私は子どもの頃、すごく貧しかったんです。兄の学費も払えないような状態でしたし、ご飯も近所の方にもらうこともありました。だから、お金が必要だったんですよ。
◆過酷な現場と棺桶で過ごした不眠撮影
――そんな抜擢でスタートして撮影に入るわけですが、カンフーなどアクションシーンも多い映画ですよね。怪我などはなかったですか。
シャドウ・リュウ:みんな怪我だらけでしたよ! 私も常にたくさん痣ができていましたし。
――子どもでも容赦なし。だからこそ迫力のある映像になったのでしょうね。当時だとワイヤーアクションも多かったですよね。
シャドウ・リュウ:そうですね。2階くらいの高さまで引き上げられた時にワイヤーが切れて落とされたこともありました。他にも、頭を打って気を失ったりなどもあって、危険が多かったですね。
――すごい現場。やはり、撮影の中で一番大変だったのはアクションでしたか。
シャドウ・リュウ:いえ、何よりスケジュールですね。とにかく寝られないんです。3日間ぶっ通しで撮影は普通でしたし、長いときは1週間も。
――現代では考えられないですね。では、自分が出演しないシーンの隙に控室などで仮眠する感じですか。
シャドウ・リュウ:それもできないので、子どもたちは、撮影現場にあるキョンシーを入れる棺桶の中で寝てました(笑)。そんなスケジュールだったので学校もほとんど行けなかったですね。
◆多忙を極める裏で学校生活は…
――共演者には、お兄様を含めた同年代の男の子たちがいました。関係性はどうでしたか。
シャドウ・リュウ:私は楽しかったですけど、みんなは嫌だったんじゃないかな。男の子同士で遊びたいのに、私がどこにでもついていってたので。
――遊ぶ時間はあったのですか。
シャドウ・リュウ:なかったですね。仕事がない時は、学校に行って遅れた分を取り戻さないといけないので。ただ、もし時間があっても遊べなかったと思います。いじめられていたので。
――そうなんですか?
シャドウ・リュウ:まず、先生がみんなの前で私に「特別扱いすると思ったら大間違いだぞ」と言って。私のカバンをクラスメイトがひっくり返して中身を全部出されるみたいなこともよくありました。
――人気者へのやっかみみたいな感情なのですかね。
シャドウ・リュウ:どうでしょうね。学校には全然来ないし、テストの時だけ来るのが特別扱いみたいで嫌だったのかもしれないですね。兄も同じような目に遭っていたみたいですし。
◆バブル期の日本で受けた破格の待遇
――『幽幻道士』は台湾だけでなく日本でもヒットし、それを受けてTBSが出資したテレビドラマ『来来!キョンシーズ』も始まります。
シャドウ・リュウ:その時期は、台湾の『幽幻道士2』の撮影とも重なっていたので、経済的に撮影時間が倍になりました。やはり寝れないのが辛かったですね。
――日本でブームになっていることは知っていましたか。
シャドウ・リュウ:今みたいにインターネットもないですし、撮影に忙しかったので、全然知らなかったです。
――「日本でも流行っている」と感じた瞬間はいつですか。
シャドウ・リュウ:プロモーションで日本にきた時ですね。
――イベントの集客がすごかったとか?
シャドウ・リュウ:その前です。空港に降りたら何百人も人が集まっていて、「きゃー!!」と。私たちの後ろから、有名人でも来ているのかと思って、キョロキョロしちゃいました(笑)。
――有名人は自分だった(笑)。当時日本はバブルで好景気でした。「儲かりたい」と受けたテンテン役ですが、収入もすごかったのではないですか。
シャドウ・リュウ:子どもなので、お金のことは全然わかっていませんでした。でも、いつもボディーガードが付くようになったので、なんかすごいなと思いましたね。ホテルにいても、窓から下を見たら入り口にファンの方がビッシリいるので、出る時はボディーガードに囲まれながらでした。
――まさにVIPですね。
シャドウ・リュウ:沖縄に行ったときに、父が買い物をしたいということだったので、商店街にいったんですよ。そしたらお店の外に人が集まって出られなくなっちゃって。ボディーガードの方に、持ち上げてもらって出ました(笑)。
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期せずして時代の寵児となるも、舞台裏での素顔は私たちの知らないもので、辛さを抑え込んでいた部分もあった。それでも、人前に出る喜びをつかんでいった彼女は、キョンシーシリーズ終了後も日本と台湾で芸能活動を継続した。現在は台湾で次のステップを見据えながら暮らしている。
<取材・文/Mr.tsubaking 写真/「幽幻道士&来来!キョンシーズ コンプリートBDーBOX」(アット エンタテインメント)>
【Mr.tsubaking】
Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。