「戦争、自分たちが犠牲に」=遺族代表の金森さん―父が戦死、風化に危機感・終戦記念日

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2026年08月15日 15:02  時事通信社

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全国戦没者追悼式で、追悼の辞を述べた遺族代表の金森武士さん(手前)=15日午後、東京都千代田区
 全国戦没者追悼式の遺族代表、金森武士さん(84)=岐阜県大垣市=の父伊作さんは、金森さんが生まれて間もなく出征し、フィリピンで戦死した。戦後81年。風化に危機感を抱き、「戦争をすれば自分たちが犠牲になる。話し合いが大事だ」との思いを追悼の辞に込めた。

 伊作さんは、金森さんが生まれて1週目の1942年2月に出征。45年5月、激戦地だったルソン島で戦死した。戦友から、爆弾を抱え米軍の戦車に飛び込む「戦車撃滅隊」として亡くなったと聞いた。32歳で、遺骨も戻らなかった。

 一方、金森さんと母が住む大垣市でも45年7月、原爆投下の訓練で大型爆弾が使われるなどした空襲があった。当時3歳で、夜に逃げ、朝戻ったら家が焼失していたのをうっすらと覚えている。父の写真や手紙はほぼ残っておらず、母に尋ねても「戦争に行った」としか教えてくれなかった。

 戦後は、母と祖母が紡績工場や金物屋などで働き、育ててくれた。母らに大事にされたが、「家族そろって夕食を食べているところを見ると、うらやましかった」と振り返る。今も「一緒にどこか行きたかったし、お酒も飲みたかった」と父を思う。

 父が戦死した年齢に近くなった時、「死んだ所くらい知りたい」と考え、フィリピンでの遺骨収集に参加。以来数回赴き、豚小屋の下から遺骨が見つかった際は「こんな所で眠っていらっしゃった」とやるせない気持ちに襲われた。

 海外などでの戦没者約240万人のうち、約112万柱が未回収となっている。父が戦死したとされる場所は今では民家が建ち、収集作業は難しいが、「できるだけ、一体でも帰してほしい」と願っている。

 戦後、平和が長く続いたことで「多くの人にとって、戦争が自分には関係のないことになっているのでは」と懸念する。追悼の辞に、戦没者の犠牲について「次世代へ語り継ぐことが使命だ」との一文を盛り込んだ。世界で戦火が絶えない中、「戦争はあってはならない」との思いを強めている。 

全国戦没者追悼式で、追悼の辞を述べる遺族代表の金森武士さん=15日午後、東京都千代田区
全国戦没者追悼式で、追悼の辞を述べる遺族代表の金森武士さん=15日午後、東京都千代田区


全国戦没者追悼式を前に、取材に応じる遺族代表の金森武士さん=14日、東京都千代田区
全国戦没者追悼式を前に、取材に応じる遺族代表の金森武士さん=14日、東京都千代田区

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  • 反省たら靖国たら天皇さまやら高市やら右やら左やらなんやかんや解ったように言うてる連中 伊東四朗のは読んでもこういう記事読んでもないやろ
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