「あの青い空の波の音が聞(きこ)えるあたりに 何かとんでもないおとし物を 僕はしてきてしまったらしい」(「かなしみ」)
平易な言葉で透き通るような叙情を紡いだ谷川俊太郎さん。第1詩集「二十億光年の孤独」から晩年に至るまで、「詩で何ができるのか」と飽くなき追求を続け、現代詩の象徴的存在となった。
「言葉がうまくつながると、通常の論理や意味を超えて活性化する。言葉は生命体みたいなもの」。少年時代から歴史や物語になじめなかったという谷川さんは「生きることと言葉の関係を書く」ため、過剰な意味から解き放たれた「瞬間芸」の詩に自身を託した。
目先にとらわれず、宇宙的とも評された世界観は、三島由紀夫や大江健三郎ら最前線の作家に影響を与え、欧米やアジアの詩人との懸け橋にもなった。「現代詩だけを書いていたら食えない。注文があれば子どもの雑誌でも婦人雑誌でも週刊誌でも書く」。ジャンルや硬軟を問わない仕事は、世代を超えて受け入れられた。
晩年まで意欲は衰えなかった。コロナ下の外出自粛中にも「家でものを書く仕事だから」と苦でもない様子を見せ、非常事態が無意識に及ぼす影響を「詩にするしかない。この年齢になって詩を書くことは『救い』であり、これまでと違うものが書ける期待がある」と前向きだった。
虚実入り交じる情報がSNSなどで飛び交う状況には「言葉がインフレーションを起こし、みんな自分の主体性に関係なく言葉を使っている」と嘆いた。「言葉を信用していないから、詩を書き続けている」。谷川さんならではのスタンスだった。