「戦い続けて死ぬ」森永卓郎さん(67)死去、貫き通した“生涯現役”…亡くなる前日もラジオ出演

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2025年01月29日 21:23  TBS NEWS DIG

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TBS NEWS DIG

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「モリタク」の愛称で多くの人に親しまれた、経済アナリストの森永卓郎さんが、自宅で亡くなりました。67歳でした。がん闘病中でしたが、亡くなる前日までラジオに出演、最後まで“生涯現役”を貫いた人生でした。

【写真で見る】“生涯現役”貫いた森永卓郎さん がん闘病中も活動「権力と戦いながら死ぬ」

■森永卓郎さん(67)死去 最後まで“生涯現役”を貫き

森永卓郎さん(2016年1月放送・当時58歳)
「世界中でなんで儲かっているのか分からないお店がたくさんあるんですけど、そこには隠された秘密が必ずあるんですよ」

「日本の経済を分かりやすく」、そして、ときにはコミカルに。

長年、Nスタファミリーとしてコメンテーターをつとめてきた経済アナリストの森永卓郎さんが、28日に亡くなりました。67歳でした。がん闘病中にも最後まで“生涯現役”を貫いた人生でした。

■経済に精通、政権に苦言も… “モリタク”の愛称で愛され

東京大学出身の森永さんは、大学卒業後、銀行系のシンクタンクなどを経て、経済アナリストとして活躍しました。

2003年には「年収300万円時代を生き抜く経済学」を出版し、ヒットしました。2003年の新語・流行語大賞では「年収300万」がトップテン入り。

森永卓郎さん(2003年・当時46歳)
「現実に300万円年収時代が来たってことでこの本が売れたと思うんですけど、それだけ世の中がひどくなったという何よりの証拠なのかも知れません」

その後、数々のテレビ番組に出演してきました。

TBSのがっちりマンデーでは、「CM2のあとで…!」のフレーズがお馴染みとなりました。

そして、Nスタでも長年コメンテーターとして活躍。2019年に消費税が10%に引き上げられたときには、時の政権の経済政策を厳しく批判。

森永卓郎さん(2019年10月放送・当時62歳)
「私は景気に相当厳しい影響が出るとみています」
「政府・麻生財務大臣(当時)は、大した影響がないという判断なので、私はその景気認識は、間違っていると思います」

さらに、当時の安倍総理が主催した「桜を見る会」の問題では、前日に開かれた「前夜祭」の安すぎる会費についても苦言を呈しました。

森永卓郎さん(2019年11月放送・当時62歳)
「こんなのあるわけないんですよ。5000円でお寿司付きの宴会ができるなら、私、学生連れて新年会やりますよ。ありえない説明をしているから国民はみんな不信感を持っている」

一方で、オタク文化にも造詣が深く、コレクターとしても知られていました。

サブカルチャーの祭典「コミックマーケット」の話題を伝えたときには…

森永卓郎さん(2019年8月放送・当時62歳)
「(コミケに)出店したことがある、友人と一緒に同人誌作って、“オタクの経済学”を書いて売ったが思いっきり空振りした。それ以来呼ばれなくなりました」

2014年には13万点を超えるコレクションを展示する自分だけの「博物館」もオープンさせました。

森永卓郎さん(2020年1月放送・当時62歳)
「30周年のときの一番最初のブルーバードSSSを純金で作ったやつ、20年前で100万円だった。カミさんがブチギレて」

“モリタク”の愛称で、多くの人から愛されてきた森永さん。

■「権力と戦いながら死ぬ」 亡くなる前日もラジオ出演

そんな森永さんが、がんを公表したのは2023年の年末でした。すい蔵がん、ステージ4。当時の様子について、2024年、Nスタの取材にこう答えていました。

井上キャスター「体調はいかがですか?」
森永さん「体調はだいぶ戻ってきましたね。体力は戻らないので、階段上がったりするのが難しい」

初めて抗がん剤治療を受けたときの心境については…

森永卓郎さん(2024年3月・当時66歳)
「抗がん剤を打った直後から急速に体調が悪化していって、翌日と翌々日はもう立っていられない、吐き気がする。このまま死ぬなって、人生の中で初めて思いました」

自らの壮絶な闘病体験も包み隠さずに話してくれた森永さん。

当初診断された「すい臓がん」は、その後、がんの転移はあるものの、最初に発生した臓器が分からない「原発不明がん」と診断が変わりました。

その後入院し、なんとか体調が回復すると活動を再開。

森永卓郎さん(2024年1月)
「最悪は脱して、今も原稿書いていますので」

テレビの収録にも参加しはじめていました。

当初、医師からはこんなことを告げられていました。

森永卓郎さん(2024年3月・当時66歳)
「このままだと桜は見られないですよと」

それでも、春には家族で桜を見ることができました。

闘病中もラジオなどに精力的に出演し続けてきた森永さん。2024年11月のイベントでは、その“仕事感”について語っていました。

森永卓郎さん(2024年11月・67歳)
「くだらない放送をずっとしているんですが、くだらない中身でもバットを振り抜くというのが我々の仕事だと思っている」

“生涯現役”を貫いた森永さん。亡くなる前日までラジオに出演し続けました。

森永卓郎さん(2025年1月27日・67歳)
「ちょっと容体が急変して、どうも本格的な転移が始まったようで、右の脇腹のところに一気に痛みが出てきたんですね。この1週間ほとんど何も食べていないのでパワーが無くなっちゃった。実感で言うと、そう長くもたないかもしれないというのが個人的な感想です」

その翌日の28日、体調が戻らないまま自宅で亡くなりました。

闘病中、2024年に書き上げた本「書いてはいけない」は、財務省の体質などに切り込む内容でした。そこに込められた思いは…

井上キャスター「次これやりたいんだってものがあれば」
森永さん「私はもう本当に戦い続けて死ぬって決めたんです。とにかく権力と戦いながら死ぬぞ」

■長年Nスタにも出演「“親戚のおじちゃん”のようなあたたかい方」

井上貴博キャスター:
病気を公表してからより一層ギアを全開にされたイメージがあって、2024年3月にインタビューをした際も、「寝る時間なんていらない」と話していました。

やはりもっと伝えたいことが多くあったでしょうし、最後の最後まで本やラジオで伝え続け、命を削って生きるということをとことん体現された方だなという印象です。

萩谷麻衣子 弁護士:
20年以上前に、私が初めて情報番組のコメンテーターになったときに一緒だったのが森永さんでした。

不慣れな私にも、偉そうなところも全くなく、笑わせてくれて気さくに接してくれて、最初から画面に出ている森永さんそのままでした。

末期がんだと聞いてからも、5年、10年経っても「まだ生きているよ」と言ってくれるのではないかなと思っていたので、まだショックで受け止められない状態です。

ホラン千秋キャスター:
本当にいろいろなことを教えていただきました。Nスタでも、ご自身が話したいことよりも私達の質問に真摯に答えてくださっていた姿が印象的です。

私は森永さんが群馬県で大切に育てた野菜を、大根いっぱいだとかカブいっぱいだとか、毎週スタジオで受け取っていたので、“親戚のおじちゃん”のように思っていました。本当にあたたかい方でした。寂しいですね。

井上キャスター:
いつも、ビニール袋をさげて「持ってきたよ」と言っていましたね。朗らかで、スタジオ全体を丸く包み込んでくださる方でした。

萩谷麻衣子 弁護士:
みんなの“親戚のおじちゃん”みたいな方でしたよね。

ちょっと世の中を斜めにみているけど、いつも明るく前向きだから嫌味じゃなくて…。

井上キャスター:
本当にお世話になりました。ずっと戦ってきた方なので、少しでもゆっくりしていただければと思います。ありがとうございました。

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