「早く本土に帰したい」=硫黄島戦終結80年、1万人未帰還―遺族、両陛下の訪問に期待

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2025年03月27日 07:31  時事通信社

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硫黄島で父の正人さんを亡くした金井佳治さん=6日、広島県府中町
 太平洋戦争末期の硫黄島(東京都小笠原村)での組織的戦闘が終結してから26日で80年を迎えた。2万人余りの日本兵が戦死したが、うち1万人以上の遺骨が遺族の元に帰っていない。同島で父を亡くした金井佳治さん(80)=広島県府中町=は「早く皆さんを本土に帰したい」との一心で20年以上、遺骨収集に携わってきた。

 4月7日には天皇、皇后両陛下が硫黄島を訪れ、戦没者を慰霊される。「いいんじゃないかと思う」。戦争の記憶の風化が懸念される中、両陛下の訪問への期待を静かに語った。

 父は硫黄島の戦いで、旧日本陸軍独立速射砲第11大隊第2中隊を中尉として率いた金井正人さん。1914年3月生まれで、入隊前は青森県弘前市で中学教師を務めていた。佳治さんは44年4月生まれだが、その約3カ月後に出征したため、父の記憶は一切ないという。父をしのぶものは、日中戦争の戦地でノートに書き残した数枚のスケッチと、一緒に写る家族写真1枚ぐらいしかない。

 同島にある父の墓標は、元は亡くなった場所に立っていた。「遺族で亡くなった場所が分かったのは私ぐらい。生き残りの人に父の部下の人がいて教えてくれた」と佳治さん。今は草木が生い茂ってジャングル状態となり、別の場所に移した。

 遺骨収集に30回以上参加した佳治さんは「過酷な現場」と説明する。多くの遺骨が眠る地下壕(ごう)の中は蒸し暑く、ムカデやサソリ、大量のゴキブリが出る中での作業を強いられた。

 現在は、草木が生い茂った地表付近にある「地上骨」を中心に収集している。硫黄島の戦い終結から80年たっても遺骨収集が進まない中、「地上骨は日光や雨にさらされ、傷みが早いため、地下壕の遺骨よりも早く掘り起こさないといけない」と話す。ただ、地面も高温のため、数回の作業で靴底が駄目になってしまうという。

 遺骨収集は遺族らが高齢化し、次世代への継承が課題となっている。現在は自衛隊OBらと共に、学生を中心とした若い世代も参加。佳治さんは、絶対に素手で触らないなど丁寧に遺骨を扱うよう指導する。「今の若い人は戦争に関心がないが、遺骨収集に参加すると、戦争というものがある程度分かってくるはず。われわれも年を取り、続けるのが難しくなってきており、若い世代が引き継いでいってほしい」と願った。 

金井家の家族写真。母に抱かれているのが佳治さん(手前右端)、奥左端が父の正人さん=6日、広島県府中町
金井家の家族写真。母に抱かれているのが佳治さん(手前右端)、奥左端が父の正人さん=6日、広島県府中町


中尉だった金井正人さんが亡くなった場所に立っていた墓標=6日、広島県府中町
中尉だった金井正人さんが亡くなった場所に立っていた墓標=6日、広島県府中町


硫黄島で戦死した金井正人さんがノートに書き残していたスケッチ=6日、広島県府中町
硫黄島で戦死した金井正人さんがノートに書き残していたスケッチ=6日、広島県府中町


軍服姿の金井正人さん。硫黄島で中尉として戦った=6日、広島県府中町
軍服姿の金井正人さん。硫黄島で中尉として戦った=6日、広島県府中町

このニュースに関するつぶやき

  • 外国人で前世の記憶喋る子供いて硫黄島の戦いで戦死した前世だったが、輪廻転生が実在するなら戦争でなくなった人たちは生まれ変わるのだろうか?輪廻転生信じたくないが
    • イイネ!5
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