篠田正浩さん死去、94歳 奔放で反権威的な作風、新たな演出で「松竹ヌーヴェルヴァーグ」旗手 

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2025年03月28日 05:31  日刊スポーツ

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03年5月、ラストフィルム「スパイ・ゾルゲ」撮影にかけた思いを熱く語る映画監督の篠田正浩さん

69年「心中天網島」、84年「瀬戸内少年野球団」などで知られる映画監督の篠田正浩さんが、25日午前4時55分に肺炎のため亡くなった。94歳だった。代表を務めた表現社が27日に発表した。故人の遺志に従い、家族葬を執り行い後日、お別れの会を行う意向があるという。妻の岩下志麻(84)は「昭和100年映画祭 あの感動をもう一度」の企画として、28日に都内で開催予定だった「極道の妻たち」舞台あいさつに登壇予定だったが、中止となった。


   ◇   ◇   ◇


03年6月公開の監督作「スパイ・ゾルゲ」で監督業を引退した篠田さんが、静かに旅立った。最後に公の場に出たのは、21年7月に都内で行われた、79年「夜叉ケ池」の4Kデジタルリマスター版の舞台あいさつだった。主演の歌舞伎俳優・坂東玉三郎(74)と登壇し「『夜叉ケ池』を作った気力はどこかに眠っているはず。だから私のユートピアを探そうと思っています」と語っていた。


篠田さんは、中学から陸上選手として活躍。早大進学後は50、51年と2年連続で箱根駅伝で「花の2区」を走り上位進出に貢献した。卒業後の53年に助監督として松竹に入社し、60年「恋の片道切符」で監督デビュー。ほぼ同年代の大島渚さん、吉田喜重さんと、奔放で反権威的な作風、新たな演出で「松竹ヌーヴェルヴァーグ」と呼ばれる、新しい波を起こした。


60年の監督作「乾いた湖」に出演した岩下と知り合い、65年の松竹退社後、67年に結婚。松竹出身の監督と看板女優との結婚は話題を呼んだ。同年に夫婦で表現社を設立し、ベネチア映画祭(イタリア)などに出品された「心中天網島」や「沈黙」など、夫婦で日本映画史に残る作品を共作した。17年10月に都内で開いた表現社設立50周年トークショーでは「監督としてラッキーだと思うのは岩下志麻と出会えたこと」と言えば、岩下も「涙が出そう。今の私があるのは篠田のおかげ」と感謝するなど、映画界きってのおしどり夫婦として知られた。


引退前の03年6月には日刊スポーツの取材に応じ「これ以上、お客さんを満足させる映画を撮ることはできない」と退く思いを潔く口にした。50年の映画人生で作り上げた36本の映画は死後も生き続ける。表現社は「映画製作を支えてくださった方々、また映画を愛してくださったみなさまに改めて心より感謝申し上げます」と感謝し、作品が愛され続けることを望んだ。


◆篠田正浩(しのだ・まさひろ)1931年(昭6)3月9日、岐阜県生まれ。加納高時代は400メートル走で国体出場。早大競走部で長距離に転向し、箱根駅伝にも出場。同2年時にアキレス腱(けん)を痛め引退。松竹で映画監督になり、第2作の「乾いた湖」で寺山修司さんを脚本家として抜てき。後年世界的な作曲家になった若き日の武満徹には音楽担当を任せた。86年に「鑓の権三」でベルリン国際映画祭銀熊賞(芸術貢献賞)、91年に「少年時代」で日本アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀監督賞。10年に芸能史を掘り下げた著書「河原者ノススメ」で泉鏡花文学賞。72年札幌五輪の記録映画総監督や、早大特命教授も務めた。

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  • 婦人の志摩さんを女優として見守って来ましたね。御冥福をお祈り致します。
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