独自【 毒蝮三太夫 】 89歳の本音 「ターニングポイントは立川談志」「人間も、散る前に色づいた方がいい」「愛想のいい・若者に愛される・若者に構われる…そういう年寄りをたくさん作りたい」

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2025年05月26日 07:04  TBS NEWS DIG

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芸歴77年、毒舌タレントとして知られる毒蝮三太夫さん(89歳)が、これまでの人生や今後の展望について語りました。立川談志さんとの出会いが人生の転機となり、「毒蝮」という芸名で活躍するきっかけになったことや、終活ではなく『愁活』をしたいという思いをTBSのインタビューで明かしました。

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芸能界デビューは偶然の産物でした。毒蝮さんは「中学1年の時に子役を募集に来たのよ。それはマッカーサーが、戦災孤児が不良少年になるのを防ごうと『鐘の鳴る丘』というドラマを作ったわけだ。菊田一夫っていう人が。そのドラマの不良少年の役を学校に募集しに来たんだよ。」「その時に俺の友達が受けたんだけど、そいつが落っこっちゃって俺が入っちゃったんだよ。」と、回顧。終戦後の少年時代、数奇な運命に導かれ「俺は芸能界に入っちゃった」と振り返ります。

 



その後、昭和41年頃にはウルトラマンシリーズの「ウルトラ警備隊」の隊員役で大人気に。「あんな、オレンジ色の服着て、恥ずかしかったよ。あんなに人気が出ると思わなかった」と当時を回想しました。


 



毒蝮さんにとって、人生の転機となったのは立川談志さんとの出会いでした。「人生のターニングポイントっていうのは、立川談志だよね」と語る毒蝮さん。談志さんは「『寄席の世界来いよ』って、7年も俺を口説いた」「『俺たちの世界来いよ』って。『俺の番組出ろよ』って言うんで笑点に出たのよ。それも『座布団運び』。やりたくないよあんなもの。ウルトラ警備隊で地球を救ってんだよ。それがなんで、円楽の座布団運ばなきゃならないのかって。『やだよ』っつったら。(立川談志さんが)『でもやってみろよ』と。」と振り返ります。

 



談志さんからの「お前は役者よりも1人で喋った方がいいんだ。一人喋りをやれよ。スタンドアップコメディアンになれよ」という言葉が、毒蝮さんの背中を押しました。「彼がいなかったら今仕事してないよ。90歳近くなって俳優の仕事なんて無いよ」「名プロデューサーだったね。あんな嫌なやつはいないよ…でも、長く付き合えば、こんなにあったかくて、こんなに江戸っ子で、人情深いやつはいなかった。今は分かるね…。」と談志さんの慧眼に感謝の気持ちを表します。
 



「毒蝮」という名前も談志さんによるものでした。談志さんから「お前、怪獣に負けないような名前で『蝮』って付けよう。蝮はみんなに嫌われてるからちょうど良いよな」と提案されたそうです。
 



また、毒蝮さんの特徴である「毒舌」について、「別に相手を軽蔑したり、バカにして言ってるんじゃないんだ。俺にとっては日常な言葉だった」と強調します。浅草・吉原で戦後を過ごした経験から、「『おばあさん』なんて言ったって返事しねえんだよ。」「『うるせえな、このババア』って言うと(向こうは)『なんだこのガキ』つって(返してくる)」「そういうところで育ったから、乱暴な言葉って思ってなかったんだよ。」と当時の様子を伝え、現在も、お年寄りとの「やりとり」や「言葉」に愛情を込めていることを説明しました。
 



自身の長い芸能生活について「普通に12歳ぐらいから、たまたま芸能界でずっと来ちゃったというだけ」と語り、「何で続いたんですかって言われたけど、普通にやってて続いちゃったってしか言いようがない」と淡々と話します。

長く活躍できた理由として「考え方とか、生活がそんなブレてないから、続いたっていうことにもなんのかな?」と自己分析。40〜50年ぶりに会った友人から「変わりませんね」と言われることについて「変わらないってことは『進歩が無い』っていうことじゃなくて、変わってるんですよ、見た目も。色々変わってるんだけど、内容が変わらないっていうんで、カッコよく言えばブレてないってこと」と述べています。

 



自分から動いて決めたことは『ほとんどない』と話す毒蝮さん「自分からこれをやらなきゃっていうのは1個、結婚だけだな」と明かし、有楽町の駅前で妻を口説いたエピソードを披露しました。

毒蝮さんは「腕を掴んで引き戻して『結婚してくれないか、もう友達として付き合うのは嫌だ』」と伝えたそうです。妻からは1週間後に「そんなに言うなら結婚を約束ということの条件で、お付き合いしても良いですよ」という返事をもらい、翌年に談志さんの司会で結婚式を挙げたと、懐かしみました。
 




89歳を迎えた毒蝮さん、「終活」という言葉が嫌いだとも語ります。「終わりっていうのが嫌なんだよ。『もう残り少ないの、ちゃんとやってくださいよ』って言われているみたいだから」と、その想いを告白。

そして「俺はね『秋』に『心』って書いて、『愁う』という字の『愁活』(しゅうかつ)にしたらいいかなと思ってんだよ」と、代わりに『愁活』という言葉を提案しました。

毒蝮さんは「秋は色づくじゃん。草木が。もみじ、紅葉。いずれ散っていくよ。散っていくけど、散る前に色づくだろ?だから人間も、散る前に色づいた方がいい」「愁いがあって、色がある、人生の最後にしたい」と独自の考えを共有しました。

 




これからの高齢化社会について「『俺は年寄りだから言うこと聞け』っていう年寄りは、もう古い」と指摘。「愛想のいい・若者に愛される・若者に構われる…俺、そういう年寄りをたくさん作りたい」と力を込めます。

「80歳、90歳になれば、色んなところが痛くなったりして、構ってもらわなきゃならない。だから『構ってあげたい』ような『素敵な年寄り』、そういう見本になろうと思ってるんだよ」と目標を語りました。
 



また「年寄りの話を聞くと、とっても役に立つ。年寄りは良いこと言う」と主張。「年寄りが1人死ぬと、アフリカではね、『図書館が1軒焼けたのと同じ損害を与える』っていうんだから。図書館1軒分だよ。そのぐらい年寄りは知恵を持ってるんだよ」「だから、その年寄りを今活用してください。(話を)聞いてくれるだけで、年寄り喜ぶんだよ。それで元気になるんだよ。」と語りました。

最後に、毒蝮さんは「120歳まで生きて、120歳でマイクを持って『うるさいなこのババア』って言ってみたいね(笑)」と、笑顔で、茶目っ気たっぷりに語りました。
毒蝮三太夫さん。90歳を前にしても、そのパワフルさや明るさは健在でした。

【担当:芸能情報ステーション】

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