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「いのちのとりで」が守られた――。生活保護費の減額を違法と断じた27日の最高裁判決。過去最大の基準額引き下げが始まってから12年を経ての司法による救済に、受給者側には「裁判所が役割を果たしてくれた」と安堵(あんど)の声が広がった。
午後3時すぎ、受給者側勝訴を伝える速報のニュースが流れると、最高裁正門前に集まっていた支援者たちからは大きな拍手が起きた。
それから30分後。法廷から出て来た受給者たちが「司法は生きていた」「違法性認められる」と書かれた紙を掲げると、「おめでとう!」「やったー」との声が上がった。
生活保護費の基準額は、最低賃金をはじめとする他の社会保障に関連する制度とも連動する重みのあるものだ。「最後のセーフティーネット」とも言われ、受給者側は「いのちのとりで裁判」と名付けて、国による減額決定がいかにおかしかったのかを訴えてきた。
最初の提訴から11年がたった。弁護団の小久保哲郎弁護士は受給者や支援者たちを前に「長い闘いだったが、司法が生きているかが問われた裁判だった」と振り返った。
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その近くに、笑顔で耳を傾ける原告の一人、愛知県刈谷市の千代盛学さん(71)の姿もあった。
30年近く和食の料理人として働いた後に電力会社で現場作業員として働いた。50歳の頃、視界に糸のようなものが見えたり、徐々に暗くなったりするようになった。視力の低下で解雇され、生活保護の受給を始めた。糖尿病の合併症による網膜剥離で目はほとんど見えなくなっていた。
家賃も含めて月額13万円ほどが支給されるが、2013〜15年の減額で、月々の支給額は2650円少なくなった。
交通費や飲食費を気にして外出が減った。2カ月に1回通っていた名古屋市内のリハビリセンターからも足が遠のき、友人との交流はなくなった。週2回の買い物で料理を作り置きし、1日1食だけの生活を続ける。冬でも入浴せずにシャワーで済ませ、それも週に1回だけ。家電を買い替える余裕もない。14年に裁判を起こした。
裁判の過程で弁護士に買い物のレシートや冷蔵庫の中を確認されることもあった。嫌な思いもあったが、裁判所に受給者の暮らしの実態を知ってもらうためだと受け入れた。
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5月に最高裁で開かれた弁論では意見陳述し「保護費は生活費に消え、最後に通帳にはわずか残るかどうかの繰り返しです。毎日お金のことを考えて不安で息が詰まります」と窮状を訴えた。
自身が原告だった名古屋高裁の判決は減額を違法だと認めたが、名古屋地裁は適法としていた。他の訴訟でも、国の主張をうのみにしたような判決が少なくなかった。「勝つか負けるか半々だ」と覚悟して、最高裁の法廷に向かった。
判決が読み上げられ始めても初めは最高裁が減額を違法だと判断したとは理解ができず「負けたのか」と思った。代理人弁護士から握手を求められ「勝ったのだ」と理解した。
判決後の記者会見で「感無量。ほっとしている」と喜びを語った。国に対しては「まずは被害回復をきちんとやってほしい。今後は減額取り消しを求めるような裁判がもう起こらないようにしてほしい」と求めた。【肥沼直寛、安達恒太郎、安元久美子】
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