人類最速の男がまさかのフライング失格 直後に小谷実可子だけが見たウサイン・ボルトのサブトラでの姿【世界陸上テグ】

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2025年07月14日 12:00  TBS NEWS DIG

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今年9月、34年ぶりに東京で世界陸上が開催される。決戦を前に選手たちが過ごすサブトラックでは、時に本戦以上のドラマが生まれる。1997年から13大会、サブトラックでのリポートを担当し、アスリートたちの様子を見つめ続けてきた小谷実可子さんが、陸上界のレジェンドたちにまつわる意外なエピソードや知られざる素顔を語った。

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無情な失格と2人だけのサブトラック

2011年世界陸上テグ大会、男子100m決勝。“人類最速の男”ウサイン・ボルトにフライングでの失格が告げられた。

2008年5月に当時の100mの世界記録を更新(9秒72)、同年の北京五輪では100m、200m、4×100mで記録を塗り替えその名を知らしめると、2009年世界陸上ベルリン大会では100m9秒58、200m19秒19をマーク。いまだに破られていない驚異の記録を叩き出した。

そんな誰もが連覇を疑わなかった王者の、あまりにも無情な瞬間。メイン会場でその姿を見届けた小谷さんは、すぐにサブトラックへ戻った。「彼が来るかもしれない・・・」アスリートの勘がそう告げていた。すると誰もいないサブトラックにボルトが一人で戻って来た。チーム関係者の姿もない。

小谷実可子:
誰もいないサブトラックをただひたすら歩いていて、もう自分の気持ちをとにかく抑えたい、自分と戦っているのが背中からわかるので、あんまり見ちゃ悪いかなと思いながらもやっぱり見ておかなきゃと思って。

ただ歩き続けるボルトの、自身と戦う後ろ姿からは強い感情が伝わってきた。

当時、ボルトは「ただ勝つだけでなく、連覇もしたいし、結果を出すだけでなく、人々に語り継がれるレジェンドでいたい」と公言していた。その想いを知っていた小谷さんは、彼にメッセージを渡すことにした。

サブトラックでは取材者がグラウンドに立ち入ることは基本的にできず、トイレ前が唯一のチャンスだった。渡すタイミングをうかがっていると、偶然にもボルトがトイレへ。突然の鉢合わせに、ボルトは一瞬、小谷さんの目を見て「今は話しかけないでほしい」というように首を振った。その意図を察した小谷さんは、無言でメッセージを差し出した。ボルトはそれを受け取ったが、その後の反応は分からないままだ。渡したメッセージには、「You are a true legend(あなたは真の伝説だ)」に加えて、彼が陸上界にもたらした興奮や、そういったことへの感謝の気持ちが綴られていた。

やんちゃボーイからキングへ 大阪大会で感じた変化

小谷さんとボルトの出会いは2005年世界陸上ヘルシンキ大会の頃だった。当時のボルトの印象について小谷さんは次のように語る。

小谷実可子:
やんちゃでふざけてばかりいて。細くてすごくバネがあるんだけど、いたずらっ子というか「何しに来てるの?」っていうくらいふざけてばかりいた印象です。

しかし2007年世界陸上大阪大会を境にボルトのサブトラックでの様子に変化が見られる。それまで集中力を欠いていた彼が、真剣にルーティンをこなし、黙々とアップをする姿は小谷さんにとって非常に印象的だった。その変化が、翌2008年の北京オリンピックでの金メダルと世界記録更新、そしてその後の大躍進へと繋がったのではないかと小谷さんは振り返る。

キングとしての振るまいと陸上界からも憧れ

2009年世界陸上ベルリン大会以降、ボルトは陸上界の頂点に君臨する「キング」となっていた。彼は他の選手たちがバスでサブトラックに来る中、一人、BMWで乗りつけていたという。小谷さんは「さすがVIPは違う」と感じたが、それでもボルトは周囲の人々への気配りを忘れなかった。ボランティアやファンからの問いかけにも常に笑顔で応じる姿は、彼が真の人気者であることを示していた。

特に、2011年テグ大会では、サブトラックの出入口だけでなく、中までファンやボランティアが押し寄せる状況だった。ボランティアが職務を忘れ、サインや写真を求めることもあったという。そんな中でも、ボルトは一人ひとりに非常に丁寧に接していたと小谷さんは語る。

「時代を共有する幸せ」

サブトラックには、解説者として訪れていた朝原宣治さんの姿もあった。彼はボルトの人気ぶりを見て、「僕らが彼と競技人生を、時代をともに過ごせていることは本当に幸せだ。こういうスーパースターがいる時代って陸上自体にも興味が集まるし、その時代を共有できているのは幸せだね」と漏らしたという。

あの時話しかけていれば…小谷さんが後悔するボルトとの別れ

ボルトの最後の出場は、2017年の世界陸上ロンドン大会だ。リレーでまさかの故障に見舞われ、残念な形で競技人生を終えることになる。その時も、サブトラックに最後に残ったのは小谷さんとボルトだけだったという。

小谷さんは、長年にわたり世界陸上のサブトラックに立ち、ミッスクゾーンのインタビューでも存在感を放っていたため、ボルトに認識されていたのは間違いない。小谷さん自身にも、ボルトの受け答えの様子から、自分を「知ってくれている」感覚があった。引退を表明し、荷物を持って去っていくボルトの背中に、小谷さんは無言で別れを告げた。

小谷実可子:
すごく叫びたかったし、話をしたかったんですけど、去って行く彼の背中に無言の「Good bye」って言いながら別れを告げました。その時に話しかけられなかったのを今でも後悔しています。

ボルトは去り際に何度も小谷さんの方を振り返った。そんな彼の気遣いが、小谷さんの目に焼き付いている。

ウサイン・ボルト主な経歴

ウサイン・ボルト 1986年8月21日生まれ ジャマイカ出身
2005年 世界陸上ヘルシンキ 200m 8位
2007年 世界陸上大阪 200m、4×100m 銀
2008年 北京五輪 100m・200m 金、4×100m 失格
   ※100m、200mは世界記録
2009年 世界陸上ベルリン 100m・200m・4×100m 金
   ※100m、200mは世界記録
2011年 世界陸上テグ 100m失格、200m・4×100m 金
2012年 ロンドン五輪 100m・200m・4×100m 金
2013年 世界陸上モスクワ 100m・200m・4×100m 金
2015年 世界陸上北京 100m・200m・4×100m 金
2016年 リオデジャネイロ五輪 100m・200m・4×100m 金
2017年 世界陸上ロンドン 100m 銅、4×100m 途中棄権

■小谷実可子プロフィール
アーティスティックスイミング(旧シンクロナイズドスイミング)でソウル五輪に出場し、ソロ・デュエットともに銅メダルを獲得。夏季五輪で初の女性旗手も務める。引退後は東京2020招致アンバサダーなど五輪・教育関連で要職を歴任。10を超える役職と家庭を両立させながら56歳で競技に復帰。2023年世界マスターズ水泳選手権アーティスティックスイミングのチーム、ソロ、デュエットで金メダルを獲得。2025年8月世界マスターズ水泳選手権2025に出場予定。TBSテレビ「世界陸上」では1997年から13大会連続でサブトラックリポーターを務めた。

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