シンガー・ソングライターおかゆができるまで 17歳のギャルを襲った早過ぎる母の訃報/連載3

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2025年07月30日 05:01  日刊スポーツ

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歌うことへの思いを語るシンガー・ソングライターおかゆ(撮影・小島史椰)

うだるような暑さとなった25年6月21日。“ギャルの聖地”渋谷109の店頭イベントスペースには、この日のためだけに自らデザインして作った衣装に身を包み、新曲「ジモンジトウ」を歌う“シンガー・ソングライター”おかゆ(34)がいた。この日、さまざまな思いが交錯し、目を潤ませた。それを紛らわすように明るく努める姿が印象的だった。このミニライブを“第2章の始まり”と位置付け目を潤ませた、その意味に迫った。【川田和博】


   ◇   ◇   ◇


ギャルに憧れ札幌から上京。平和島の貿易会社でアルバイトをしつつ、渋谷へ通う。ギャルになる夢をかなえたおかゆを襲ったのは、母の突然の訃報だった。


「私が17歳の時に突然事故で逝ってしまって…。37歳でした」


大切なものは失って初めて実感する。おかゆもそうだった。


「好きなことばっかりしていて、連絡も全然取ってなかったし、電話もシカトしていたんです。その朝、母からの電話も出ていなくて。でも妹から連絡があって『母親が亡くなった』というのを聞いて…」


言葉では言い表せない後悔の念にさいなまれた。


「取り返しがつかないことというか、自分の中でその電話に出なかったことをすごく後悔しました」


そんなおかゆを現実が襲う。


「事故で亡くなっているので、警察署に遺体があるじゃないですか。妹には小さいから見せられないと思って。身元確認は私が行かなきゃと思って、私が確認して『母です』って。17歳で喪主もやらなきゃいけないし、いろんなことを考えて、自分で決断をしなきゃいけなかったんです」


17歳のギャルを襲った現実は、あまりにも過酷すぎた。


「そこからすごく自分の中でもバタバタしていたりとかで、自分の感情をまとめられない期間が多かったですね。テレビとかもずっとつけっぱなしで、家から出られないみたいな時期もあって、そこから3カ月ぐらい、あまり記憶がないんです」


それでも、思い切って行動を起こした。


「ご飯とかも全然食べられなくて。なんとなく『これはやばいぞ』みたいに、体が警告を発していたのかもしれません。それで1回外に出たんです」


その足で向かったのがカラオケボックスだった。母の思い出をたどるように、母が歌っていた曲を入れていた。


「小さい頃から聞いてた曲をカラオケで歌った時に、もう涙が止まらなくて…。その時、母とのいろんな思い出が走馬灯のようによみがえってきました。『歌手になりたかった』とずっと言っていた言葉と、熱唱していた姿とその思いが、私の中に全部ふってきたんです」


この時、大きな決断を下す。自身の後悔もあったが、母のためにできることを17歳なりに考えた。


「何もできなかったけど、遅いかもしれないけど、母のためにできることって何があるんだろうと考えたんです。『歌手になりたかった』と言っていた母。自分がその目標をかなえてあげることができたら、少しでも供養になるかなと。そこから、ギャルが母のために突如歌手を目指すんです」


亡き母の夢だった歌手を目指すおかゆだったが、何をしたらいいのかが分からない。手探りで動き始める中、不運にも見舞われるのだった。(つづく)


◆おかゆ 本名、坂本由佳(さかもと・ゆか)1991年(平3)6月21日、北海道生まれ。19年5月1日、「ヨコハマ・ヘンリー」でビクターからメジャーデビュー。23年5月、5枚目シングル「渋谷のマリア」が発売週のオリコン演歌・歌謡曲ウイークリーランキングで1位を獲得。また、第16回CDショップ大賞2024歌謡曲賞を受賞。167センチ。血液型A。

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  • シンガー・ソングライターおかゆができるまで → 最近は「ずっと真夜中でいいのに。」なんて名前のバンドもいるくらいで「おかゆができるまで」が芸名なのかと思ったw
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