「ビリー・バンバン」菅原孝さん死去 弟の進「本当に偉大な兄でした。兄貴、ありがとう」

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2025年09月25日 07:01  日刊スポーツ

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映画「ドラえもん」の挿入歌「ココロありがとう」を歌うビリー・バンバンの菅原進(左)と兄孝さん(2022年撮影)

「白いブランコ」「さよならをするために」などのヒット曲で知られる兄弟デュオ「ビリー・バンバン」の兄・菅原孝(すがわら・たかし)さんが11日午後4時34分、肺炎のため都内の病院で死去した。81歳。東京都出身。葬儀は19日に近親者で行った。喪主は妻けい子(けいこ)さん。お別れの会などは未定。14年に脳出血で倒れて左半身にまひが残ったが、最後まで音楽への情熱を失うことはなかった。


  ◇  ◇  ◇


1968年(昭43)5月、大学在学中から音楽活動をしていた孝さんと弟の進(78)がビリー・バンバンを結成し、翌69年1月に「白いブランコ」でデビューした。柔らかで都会的なサウンドと、透明感のある歌声が人気を集めて“カレッジフォークの旗手”として一世を風靡(ふうび)。72年の「さよならをするために」が80万枚超と大ヒットし、同年のNHK紅白歌合戦に初出場をした。


だが、お互いの方向性の違いから76年に解散。進は音楽のソロ活動を行ったが、孝さんはテレビやラジオ、イベントなどの司会の道を選んだ。


84年には復活を求めるファンの声に背中を押される形で再結成した。それ以降はソロ活動と平行をしながら、2人での活動を継続。07年にリリースした「また君に恋してる」は焼酎「いいちこ」のテレビCMとして長く親しまれ、坂本冬美(58)など多くのアーティストがカバーをしている。


14年7月には脳出血で倒れ、左半身にまひが残った。車いすの生活になったが、懸命のリハビリを続けて10カ月後には音楽活動を再開。近年はコンサートやトークショーで「この左側が動かないんだよな」と悔しがることもあったが、進のサポートを受けながら活動をしてきた。


進は「デビューから56年間、共に歩んでまいりました。誠実で優しく、思いやりがあり、真面目な兄でした。日がたつにつれて、兄の歩んできた人生を深く深く感じています。本当に偉大な兄でした。兄貴、ありがとう」とコメントを寄せた。


関係者によると28日に東京・新宿ケントスで行われる、兄弟の師匠の作曲家浜口庫之助氏の「没後35周忌・生誕108年祭」で、進が兄の死去について報告するという。

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  • 兄弟で声が似ていて、聴いていて心地よかった。「恋の花占い」好きでした。 喧嘩もされていたようですが、最後まで二人で歌った。 お疲れ様でした。 御冥福をお祈りします。
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