久米宏さん死去「ザ・ベストテン」や「ニュースステーション」唯一無二のキャスター

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2026年01月14日 06:56  日刊スポーツ

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亡くなった久米宏さん(2005年1月撮影)

人気音楽番組「ザ・ベストテン」司会や、報道番組「ニュースステーション」キャスターとして活躍したフリーアナウンサー久米宏(くめ・ひろし)さんが元日、肺がんのため亡くなった。13日、所属事務所が発表した。81歳。埼玉県出身。葬儀は近親者で行った。唯一無二の話術でバラエティー界を風靡(ふうび)し、報道転身後、テレビニュースに革命を起こすなど、放送史に多大な功績を刻んだ。


  ◇  ◇  ◇


所属事務所「株式会社オフィス・トゥー・ワン」はこの日、公式サイトを更新。「【訃報】久米宏逝去に関するお知らせ」と題し、「令和8年1月1日、肺がんのため満81歳にて永眠いたしました。ここに謹んでご報告申し上げます。生前は、皆様より格別のご厚情とご支援を賜り、本人も深く感謝しておりました」と伝えた。通夜、葬儀は遺族の意向により近親者で執り行ったという。


久米さんは早大卒業後の67年、TBS入社。直後に結核を患った。その後TBSラジオでの軽妙なリポートで頭角を現し、75年「料理天国」「ぴったし カン・カン」で一躍人気者に。78年に黒柳徹子とのコンビで音楽番組「ザ・ベストテン」司会者となり、3番組で“視聴率90%男”と呼ばれるスターアナウンサーとなった。


79年6月、34歳でTBSを退社。ラジオも含め、4番組すべて引き継いでのフリー転身で話題を集めた。80年には日本テレビ系「おしゃれ」の新司会者となり人気番組に押し上げたほか、82年には同局生放送「久米宏のTVスクランブル」もスタート。NHK大河ドラマ枠の裏で20%超えの視聴率をマークした。


85年春、充電を理由にすべての番組を降板。半年後の同10月、テレビ朝日の目玉新番組「ニュースステーション」のキャスターとして報道に転身した。


民放が夜10時のゴールデンタイムにニュース番組を編成するという前例のない挑戦。当時のニュース番組は大人が見る硬派なものだったが、久米さんは「中学生にも分かるニュース番組」を打ち出し、ニュース番組の新規視聴者層を開拓した。キャスターが私見を述べることがなかった時代に歯に衣(きぬ)着せぬコメントを大胆に発信し、ニュース番組の常識を次々と覆した。「Nステ」は視聴率20%超えの看板番組となり、民放が夜帯で次々とニュースに参入。タイムテーブルを激変させるきっかけとなった。


04年3月26日の「Nステ」最終回では「厳しい批判、激しい抗議もあったが、そういう批判があったからこそ続けられた」と語り、手酌のビールで乾杯。最後まで型破りな久米ワールドで18年半の放送に幕を引いた。


06年、古巣のTBSでラジオ「久米宏 ラジオなんですけど」をスタートさせ、20年に終了。放送の中で「番組は下り坂になってからやめるというのが一番良くない」と“語りのプロ”としての自負をのぞかせ、すべてのレギュラー番組を終了していた。


◆久米宏(くめ・ひろし)1944年(昭19)7月14日、埼玉県出身。早大卒。67年TBS入社。アナウンサーとして「料理天国」「ぴったしカン・カン」「ザ・ベストテン」などの人気番組を担当。79年退社。報道に転身し、85年から04年までテレビ朝日系「ニュースステーション」キャスターを務めた。血液型A。

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