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「ブルー・ライト・ヨコハマ」「ブルー・シャトウ」などを手がけ、昭和の音楽界をけん引した作詞家の橋本淳(はしもと・じゅん)さん(本名与田準介=よだ・じゅんすけ)が5月21日に死去していたことが1日、分かった。肝硬変で闘病していた。86歳。東京都出身。告別式は近親者で行った。喪主は長男与田春生(よだ・はるお)さん。
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実父の与田準一氏は児童文学者で詩人だった。
なぜ作詞家にと問われ「小説家を目指していたので、文章を書くことには違和感はなかった」と話した。
作曲家すぎやまこういち氏に勧められ、作詞家となった。
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ザ・タイガースの「僕のマリー」「モナリザの微笑」、ヴィレッジ・シンガースの「亜麻色の髪の乙女」などグループサウンズで数多くのヒット曲を生んだ。
ジャッキー吉川とブルー・コメッツの「ブルー・シャトウ」は、第9回日本レコード大賞(67年)を受賞した。グループの大賞初受賞だった。
前年に「青い瞳」「青い渚」がヒットしていた。ブルーコメッツは「どの星よりも光り輝く彗星(すいせい)のように」が命名の由来だった。
青の第3弾の歌詞を、メンバーで作曲も担当した井上忠夫氏とホテルに缶詰になって考えた。
橋本さんの脳裏に「ヨーロッパの古城のイメージ」が浮かび、「森と泉に かこまれて」の歌詞が生まれた。
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同じように「ヨーロッパの港」をイメージして書いたのがいしだあゆみさんの「ブルー・ライト・ヨコハマ」(68年)だった。
横浜の港の見える丘公園で、ヒントを探した。夜、眼下に川崎の工場街の青い光が海に反射していた。
その時は、タイトルを「ブルー・ライト・カワサキ」にしようと思った。
歌詞が浮かばず、夜の公園を歩き回った。サビの「歩いても 歩いても…」という歌詞が浮かんだ。
青山学院高等部の後輩で盟友の作曲家・筒美京平氏のメロディーで、大ヒットした。
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歌詞には横浜の名所などの名前は一切出てこないが、この曲で「ヨコハマ=ブルー」のイメージが定着している。橋本さんはとても喜んでいたという。
「言葉の達人」(Uta−Net)によると、橋本さんが好きな自分のフレーズは「彼の車に乗って 真夏の夜を 走りつづけた」という。
平山みきのヒット曲「真夏の出来事」の歌い出しで、筒美氏の作曲だった。
理由は「平山さんの声を通じて若い男女の機微な心のやりとりを表現したかった」だった。
その平山は訃報(ふほう)に接し「初めてお会いした時から『平山みき』を娘のように育てていただき感謝しかありません。まだまだ歌い続けます」とコメントした。
作品を提供したいアーティストはMISIA。長男の音楽プロデューサー与田春生氏が発掘した。
橋本さんの残した作品の数々は、時代を超えて、歌い継がれるだろう。【笹森文彦】
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