3.11 当事者意識を持って備えるために

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2013年03月11日 12:30  MAMApicks

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2年前の3月11日14時46分、何をしていただろうか?

私は東京都内の自宅に当時4才の息子とふたりでいた。「大きいのがきたっ」と思って小さな座卓の下に子どもの体を押し込んだ。部屋の壁は聞いたことの無い音をたて、ベランダの洗濯物は見たことの無い動きで跳ねている。経験したことの無い揺れだ。「大丈夫だからね」と声をかけつつ、建物が壊れたらこの隙間でこの子は助かるだろうか、と考える。箱の中に入って振られている感覚で最初の揺れがおさまるのを待った。

テレビで震源を知り、ここじゃないところが大変な状態であることを知り、そのうち津波の情報が入り始めた。子どもがいるから表向きはかなり冷静だ。でも、テレビが報じる状況に呆然とし、繰り返す余震の中、強い緊張状態で過ごした。


あの地震が過去形の人、現在進行形の人


私がこうして書くとき、この話は過去形だ。
私の中では過去の体験として整理されている。でも、家族や身近な人を失った人や、地震がきっかけで不自由で不安定な生活を続けている人にとっては、今もあの地震は現在進行形の出来事だ。一方、揺れを感じなかった地域の人なら過去の経験にすらなっていないかもしれない。

東京都内の同じエリアに住んでいても、自宅にいた人、公園で子どもを遊ばせていた人、大きな建物に大勢でいた人……それぞれ揺れへの印象は全然違う。

人によって経験の質が違うのだから、受け止め方に差があるのは当然で、それによって真面目に考えているとかいい加減だとかいう評価はできない。

そして、人は「忘れる」。
自分の経験したことですら、衝撃の度合いが低ければ、徐々に忘れてしまう。これが、他人の経験であればなおさらだ。大変な体験を聞き、「かわいそう」「大変だ」と感じているとき、それは当事者でないから持つ感想であってどこか他人事だ。そういう感情は、猛スピードで忘れていく。

「現在進行形」であることへの想像力


でも、あれだけの大きな災害が同じ国の中で起きたのだ。どうにかして教訓を生かさなければいけない。ニュースや新聞が、当事者である人たちのいくつもの現在進行形の事例を紹介してくれている。

それらを「過去に起きた大変な出来事」への同情で捉えていたら、簡単に「忘却」に負ける。「傷あと」や「爪あと」なんかではなく、「現在進行形」の問題であることに、精いっぱいの想像力を働かせることができないだろうか。

電車で隣に立っている人が、もしかしたらあの地震がきっかけで生活が一変した人であってもおかしくない。家族を亡くした人であってもおかしくない。

そして、くじに当たるのが確率でしかないのと同様、災害も、不運な事故も、同じ確率ですべての人に起こりうる。たまたま遭うか遭わないか。絶対安全な場所なんて存在しない。今日かもしれないし、明日かもしれない。

自分自身の日常生活に直結する問題として、捉えることが大切だ。

何ができるのか?


あの時も、そして今に至るまで、何か支援の行動を起こさなければ! と思っても、何もできなかった人が多いのではないだろうか。小さな子どもがいたら、普段から目の前のことで手一杯だ。できないことに罪悪感を持ちそうになるが、それは仕方ない。

でも、自分の身の回りの「備え」を先送りしているなら、たった今、手をつけた方がいい。誰かに対する具体的な支援ができなくても、人の経験から学び自分の備えを固めることはできるはずだ。どんな「備え」が必要か、自治体や消防署がいくらでも情報を提供してくれている。それを知る努力はした方がいい。

直接的な支援ができなくても、自分が学んで自分のために備えることで、十分社会が経験をしたことを社会に役立てたことになる。

体験談に涙を流すのは簡単だ。でもそれは一時の感情でしかない。その体験を伝える努力をしてくれた人の気持ちに応えるには、今自分ができる小さな備えを固める努力をすることが大切だ。

あの地震の時、自分がリアルに感じたこと、考えたことを思い出す。見聞きした話からではなく、自分の体験から危機感を引き出し、行動を起こそう。

小さなこと、自分の目の前のことから


小さなことからでいい。水と非常食の買い置きはあるか?携帯やパソコンが使えなくても大切な連絡先を確認出来るか?避難グッズに入れたおむつのサイズはあっているか?携帯ラジオは機能するか?懐中電灯はつくか?水が止まったらトイレはどうするのか?

子どもがいれば、大人だけの生活よりは備えるべきものが少し増え、その備えは、はるかに助けになる。そして「備え」は「今日はまぁいいか」と思ってやらなかった時に限って、必要になる。

「わかってるんだけどなかなかね……」
そう言って先送りしたことを、次に自分の子どもの命を守らねばならない状態に直面したとき、必ず後悔する。あの日、自分の子どもの身の安全を確保しようと、一瞬でも緊張したならば、その危機感を思い出してほしい。


地震のあと、私は、「常に持ち歩くもの」を決めていたのに、最近はいい加減にしてしまっていた。不十分だと思っていた家具の固定も、中途半端なまま放置してしまった。家具の固定具への出費や設置の手間が、命と比べようもないことを、あの瞬間はっきり体感したはずなのに。

自分の体験の中にある危機感を引っぱり出し、現在進行形の現実に関心をもち、自分の「忘却」と戦おう。私もこの原稿を送ったら、家具の固定をやり直すことに決めた。


狩野さやか
ウェブデザイナー、イラストレーター。企業や個人のサイト制作を幅広く手がける。子育てがきっかけで、子どもの発達や技能の獲得について強い興味を持ち、活動の場を広げつつある。2006年生まれの息子と夫の3人家族で東京に暮らす。リトミック研究センター認定指導者。

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