【今週はこれを読め! SF編】近未来ディストピアに躍る精鋭部隊。殺す! 犯す! キメる! 毒の陶酔

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2013年10月01日 16:21  BOOK STAND

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『親衛隊士の日』ウラジーミル・ソローキン 河出書房新社
今週はこれを読め! SF編

 謀反を企む名門貴族イワン・イワーヌィチに鉄槌を! 深紅のベンツを駆って親衛隊が出動する。ボンネットに飾った犬の首が我らのしるし。だれもが道を譲る。イワーヌィチの豪華な屋敷は厳重に警備されているが、親衛隊の討ち入りに耐えられるはずもない。門を爆破し、棍棒を持って躍りこむ。もちろん、親衛隊はあくまで正義を背負っている。屋敷の護衛たちはなぶり殺しにすることはせず、一対一の決闘でカタをつけてやる。こちらが勝ったらやつらの財産はすべて没収だ。謀反貴族の子どもたちにも手出しをしない。彼らは孤児院に送られて、偉大なる国の誠実な民へと育てあげられる。ただし、張本人のイワーヌィチは容赦しない。その場で吊す。これは手慣れた仕事なのであっさりとすませ、天に召される貴族の魂のために我々は脱帽し十字を切る。神への敬虔も親衛隊員たる条件である。そして、討ち入りの仕上げはイワーヌィチの奥方の輪姦だ。国家の敵の妻の胎(はら)に己が子種を残すのはいい気持ちだ。



 最初の挿話からこのエグさ。「現代ロシア文学のモンスター」と名高いソローキンが2006年に発表した本書は、専制政治が復活したロシアを活写した近未来SFだ。



 この作品が恐ろしいのは、なまなましいディストピア(暗黒社会)にとどまらず、ユートピア(理想郷)の色調すら帯びているところだ。なにしろ語り手のアンドレイ・ダニーロヴィチ(私)は親衛隊の精鋭であり、専制政治の正当性を疑わず、皇帝閣下の気高い精神性を賛美し、親衛隊長の巌のごとき侠気に畏敬を抱いている。東に国家の寄生虫のような貴族があればこれを叩きつぶし、西に愚昧な民衆があればこれを厳しく善導する。それが親衛隊の崇高な使命であり、我らの精励が世界最高の国家ロシアをより磨きあげるのだ。そう信じている。



 主人公が体制の正義を鵜呑みにしているところからはじまるのは、ディストピア小説の常套だ。レイ・ブラッドベリ『華氏451度』のガイ・モンターグも、ジョージ・オーウェル『1984年』のウィンストン・スミスも、もともとは従順な役人だった。彼らは何かのきっかけで社会のありかたに疑問を抱くようになり、そこからしだいに体制の理不尽や欺瞞が浮きぼりになっていく。モンターグやスミスの意識の変革と行動する意志は、それぞれの作品が備えている(ブラッドベリ自身、オーウェル自身の)文明批評のまなざしと即していた。『親衛隊士の日』はそうした正統なディストピア小説とは、まったく正反対だ。ダニーロヴィチの忠誠と信念はいっさいの揺らぎがなく、はじまりからおわりまで自らの弾圧活動・暴力行為・仲間意識に陶酔している。



 正常な感覚の持ち主ならば戦慄を禁じえないが、かといって目をそらすこともできない。扇情的関心(恐いもの見たさ)にとどまらず、ダニーロヴィチの語りには、鮮烈な描写、高揚と明敏との緩急があり、読者を強く引きこむ。ソローキンの魔術だ。とくに極小水棲生物(金のチョウザメと呼ばれる)を静脈注入する麻薬「アクアリウム」で、意識が加速的にトリップするくだりが凄い。随所にちりばめられた未来社会の新語や独特の言いまわしも、物語にグルーヴ感をもたらしている。ロシアの古語や隠語に由来するもの、中国語起源のもの、地口やことわざ、文学作品の引用......と縦横無尽だ。



 文章だけではなく、この異形の近未来社会がどうして成立したかという、小説世界を支える大がかりな設定に対する興味も尽きない。それを説明的に述べるのではなく、作中のできごとや台詞の端々を通じて徐々に明らかにしていく。



 読者の神経に通電する文章力、グロテスクな社会機構のありさま、暴力的なモチーフ、この三拍子はアントニイ・バージェス『時計じかけのオレンジ』を髣髴とさせる。オレンジの主人公アレックスはクラシック音楽、とくにベートーヴェンを愛していたが、親衛隊のダニーロヴィチは文学的素養があり(国立大学の歴史科で学んでいた)、語りにもそれがちらちら垣間見える。彼はミニマリズム、ディスクール、パラダイムといった言葉に象徴されるような現代芸術・現代文学を毛嫌いしていて、これはソローキン自身が保守的な評論家から浴びせられてきた非難を反映しているのだろう。あるいはもう一段階屈折しているかもしれない。本文中の訳註や巻末の「訳者あとがき」によれば、この作品には、現代ロシア文学や文化一般に対するさまざまな仄めかし、諷刺が織りこまれている。



 不思議なのは、皇后が頼りにしている天眼女(予言者)プラスコーヴィヤが、暖炉で古い本を燃やしつづけていることだ。ダニーロヴィチは『白痴』『アンナ・カレーニナ』といったロシア文学の古典が灰にされることに戸惑いを覚えるのだが、天眼女は本は実用的なものだけあればいいと言う。べつにドストエフスキーやトルストイが禁書になっているわけではなく、本を燃やすのはあくまで天眼女自身の主張である。親衛隊も本を燃やすが、それはもっぱら破廉恥なポルノグラフィや反逆的な内容のものだ。ダニーロヴィチと天眼女のやりとりから、この専制国家ロシアの体制は一枚岩ではなく、わずかながらも不協や違和が内在していることがうかがえる。皇后が半分ユダヤ人の血を引いているのも、小さな違和である。この国には顕在化した人種差別はないのだが、ダニーロヴィチは自分を納得させるため「危険なのはユダヤ人ではなく、ロシア人の血を引きながらユダヤ人のように振る舞っている似非ユダヤ人だ」と、わざわざ考えている。



 親衛隊が守りぬこうとしている甘美なユートピアとは、限りなく自家生成を繰り返す同質性だろう。謀反人の妻を輪姦する暴力もそれに起因しており、物語のクライマックスで描かれる親衛隊内部の集団ホモセクシャル儀式もそうだ。はなはだしいのは互いの肉をドリルでえぐる「穴開け」である。これで泣くようなやつは親衛隊の資格はない。忍耐を学び根性を示すことで親衛隊は純化していく。



 この変態的な同胞意識はおぞましい。しかし、親衛隊の絆を何百倍も希釈したナショナリズムや共属感情ならば、世の中のそこかしこに見られるではないか。ダニーロヴィチは「自分は親衛隊に入ったのではない」と言う。選ぶことなどできない、親衛隊のほうがお前を選ぶのだ。



 ひとはどうすれば、親衛隊を退けることができるのだろうか?



(牧眞司)




『親衛隊士の日』
著者:ウラジーミル・ソローキン
出版社:河出書房新社
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