渦中の『明日、ママがいない』見逃し配信レビュー

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2014年01月20日 14:00  MAMApicks

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ドラマ『明日、ママがいない』(日本テレビ系・毎週水曜日22:00〜)が初回放送から話題になっている。

親が育てられない子どもを匿名で受け入れる「こうのとりのゆりかご」(通称:赤ちゃんポスト)を設置する熊本県の慈恵病院が、ドラマの内容を「人権侵害だ」として、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送人権委員会へ審議の申し入れを検討しているという。


産後、めっきり連ドラを見ることができなくなった筆者。0歳児時代はまだよかったものの、睡眠時間を調整するようになる1歳以降では、連ドラの時間はたいてい寝かしつけで自分も一緒に寝てしまっている時間である。録画するモチベーションがよほどない限り、テレビというのは視聴が厳しい。親が単発ドラマを好んで見ていた理由がちょっとずつ分かり始めている今日この頃である。

このドラマについてはネット上でも賛否両論で、実際に児童福祉施設に勤務している方などのツイートがまとめられたものもいくつか読んだ。

連ドラ見ない派の筆者も先日スタートしたばかりの「日テレいつでもどこでもキャンペーン」という見逃し配信サービス(放送後7日間は無料で見られる)で、うまく寝かしつけでの“つられ寝”を回避した晩に、第1話を見ることにした。

■案外コミカル?
ネットに上がってるものなので、ネタバレも何もないだろう、という前提で話を進めるが、意外にコミカルタッチで事は進む。しかし、演出の思い切り不足なのか、初回で見る側がドラマのテンションを掴みきれていないせいなのか、どういうジャンルのドラマと見ていいのかわからないまま30分ほどが過ぎる。

「いやいやいや、こんなことありませんがな!」という設定や描写が続くので、一人で夜中に見てるとぷっと吹き出してしまうシーンがいくつかあった。

グループホームの子たちのあこがれの存在として、養子のたくさんいる某ハリウッド俳優カップルが実名で出てくるくだりで、完全に「このドラマはコメディタッチです」という流れにしたかったのだと思うが、冒頭の三上博史が怖すぎて、うまく暗い雰囲気をかき消せず、今ひとつ不発に終わった感がある。日本人だと許諾がむずかしいせいだと思うが、ここはひとつあこがれの存在として、杉良太郎御大のポスターも部屋に貼っていただきたい所存。

■うますぎる子役たち
個人差があると思うが、1話では2度ほど泣きのピークが訪れる。「ダイフク」脱走事件と、「真希」が「ドンキ」になる瞬間、である。これはずるい。子役がうまい。

さて、演技がうますぎて、「芦田プロ」などとネットで書かれることもある芦田愛菜さん。これはあて書きなのではないか?と思うほど、彼女の特性をよく掴んだ配役となっていることに気づく。

「泣け!」と言われてすぐ涙をはらりと流すあの瞬発力。
まるで世間の「芦田愛菜評」をすべて引き受けたかのような、あのむずかしい役柄を演じきる底力。

あれ、そういえば彼女が「親のいない子」を演じるのは初めてではないはず……? 実はこのドラマ、芦田さんの十八番(オハコ)である、という見方もできる。

それに対しての「ドンキ」役、鈴木梨央ちゃんが実に「普通」でいい。「普通の女の子」を丁寧に演じている。素なのか?演技なのか? どちらかと言うと“ちゃん付け”で呼びたい感じ。

とにかく芦田さんとは違った趣の演技をする子役さんなのである。この対比が、見ていてほっとできる。(大人顔負けの子役ばかりを集めたドラマはかえって心がざわつく)

■で、どこが問題だった?
「赤ちゃんポスト」を有する慈恵病院や実際に児童福祉施設に勤務している人、児童福祉施設にいる子どもたち、出身者などから反発の声が上がるのは、まあ、あるかなーという感じはする。

翌日、学校でからかわれるなどの事例はあるだろうし、それなりに嫌な思いをすることもあるかとは思う。そして、どのへんが問題だったのかといえば、役名(あだ名)のひねりのなさ、であろう。

しかし、芦田愛菜さん演じる「ポスト」という役の名前の由来と、なぜ名前を捨てたのか。これは第一話を最後まで見ると……。

気持ちはちょっとわかる。もしかしたら今の小学生がこのドラマを見たら、すごく名前を捨てたくなる人が続出するかもしれない。そのヒントは途中伏線として数回出てきてもいた。もしかしたらこの世代特有のもの、というのがある気がした。

それに、子どもがつけるあだ名など、いつの時代もそんなレベルの単純さで、びっくりするほど残酷なものではなかろうか。

ちゃんと見りゃわかる、しかし、かいつまんで見たら腹が立つ。この構図は大変納得できた。怒っている人も、「そうでもなくない?」という人のことも。

■大映ドラマと野島伸司を通過しているか否か
見始めて10分ぐらいで、どうしても言いたくなってしまったことがある。
「これ、なんていう大映ドラマ!」

筆者は80年代に大映テレビ制作のドラマを見て育った世代である。
ご存じない方にかいつまんでに説明すると、有名なところでは……堀ちえみ主演、片平なぎさが「ひろし〜」と恨み節で義手を見せるシーンでお馴染み『スチュワーデス物語』、夜中は暴走族・昼間は優等生という二重人格に苦しむ『ヤヌスの鏡』、その他「赤いシリーズ」『噂の刑事トミーとマツ』『スクール☆ウォーズ』『プロゴルファー祈子』など。設定・展開の突飛さで、もはやひとつのジャンルになってしまっているドラマ制作会社だ。

そう、『明日、ママがいない』でグループホームの施設長を演じる三上博史。髪型も態度もうっすら、『少女に何が起ったか』の石立鉄男を彷彿とさせるのだ。だとすれば「やっぱりいい人だったんだ!」的展開を期待せざるをえない。

そしてもうひとつ特筆すべきは、このドラマの脚本監修に野島伸司氏が入っているということ。野島伸司といえば、いわゆる“施設モノ”“訳あり家族モノ”を得意とする人でもある。

たとえばTBSで1998年に放送された『聖者の行進』は、水戸で実際に起きた知的障害者への暴行事件をベースにしたドラマで、ホームではなく作業所が舞台だったが、親に捨てられた子どもたちが寄り添って生きていく過程が似ている。

当時もそれなりに苦情が寄せられ、スポンサーが降りる事態に発展したそうなのだが(当時熱心に見ていたはずだがあまりその件は記憶にない)、それ以前にも、90年代の野島作品は『高校教師』など、誰かが死んだり捕まったりするような過激な演出の作品も多かったため、見る側に耐性がついていた感は否めない。

ところが2000年以降のこの14年はどうだろうか。
いわゆる「ザ・大映ドラマ」や、90年代の野島伸司が得意としたような過激な演出は時代に合わなくなったのか、近年の作風は少々おとなしいように思う。

2000年に小6だった人も、今年26歳になる。この、テレビとのつきあいかたにおける世代間ギャップも、本件が物議となる一因としてあるような気はするのだ。

■親として、子どもとして、そして……
親としての感想は、
「見ている間じゅう、子どもとのつきあいかたを反省し続けた」。

「うわ、知らない間に私こんな態度とってるわ」
というシーンが実は数ヵ所あり、明日からの子どもとの向き合い方に確実に影響するのではないかというレベルで、今大変に落ち込んでいる。

また、子どもの目線としては大変丁寧に描いているのではないかと思う。
最近、子どもの視点を忘れないようにと、できるだけ自分の子ども時代を思い出すようにしているのだが、忘れないようにしても絶対に忘れている。それが人間ではないかと思う。人の痛い腹グイグイ探られる感じがあり、それらは子どもたちの演技のうまさに起因している。

余談ではあるが、筆者は小・中学校の頃、児童劇団というものに所属していたことがあり、レッスンを積んだが、まったく芽が出ないまま挫折したという過去がある。

「お金をもらう以上プロである。舞台に上がれば年齢は関係ない」

その気持ちだけが残って、一般人としてはその後やや歪んだ成長をしてきてしまった感は否めないのだが、それだけに子役という職業については思うところがある。

(……という前置きで)

メインの二人以外のホームの子どもたちも、幼稚園児役の子も含めて、どの子も非常にうまい。小手先のうまさというより、子役としてのプロ魂のようなものを感じる。演技なんてさほどうまくなくていい。演者として、いるだけで視聴者を引きつける魅力が存在すればそれでいいのだ。

しかし演技的なことで言えば、泣かせる演技より笑わせるほうが大変にむずかしい。第二話以降では、ぜひその笑えるシーンが上手く機能するといいな、というのは、ちょっと意地悪な見方であろうか。

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