アホ男子母たちよ大志を抱け 〜つらくなったらルーツをたどれ

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2014年02月26日 09:31  MAMApicks

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新学期を目前にした今、先日目にした「#アホ小学生男子予備軍母の皆さんにアドバイス」というツイッターのハッシュタグがなかなかにシビれる。

え、そこまでする?という内容のオンパレードだが、たくさん流れてくる内容を見るに、男子というのはたぶんするのだろう、池に入ったり、傘で戦ったり、必要なものを持っていくという行為ごと忘れたり……。

「いやあ、女子だってアホはいるよー」という声をよく耳にするが、基本的に男女ではカラダ以外に脳のつくりも違うという説を提唱する学者さんもいるし、女子として過ごした経験のある筆者としても、男子に対しては「バカじゃねえの?」と思うことが毎日あった。もちろんクラスの男子もすべてがアホということではなかったのだが。


比較的しっかりしてるほうだなーと思っていた息子も、3歳になったころから「アホ男子」の片鱗を見せはじめている。3歳というのはどうもターニングポイントなのだろうか、性別もふわっとしていた赤ちゃんの延長線上から、急に「オレ、男だから!」(※オレは“オ”にアクセント)という目覚めのようなものを感じる。

まだ「うんこ」「ちんちん」で大騒ぎすることはないものの、今のタイミングで昔のドリフなど見せようものなら、一発でとりこになること請け合いだ。

私は身近に自分より小さい子のいない環境で育ったせいか、実は少しだけ男子、というか、うるさくてパワーのあまっている子どもが得意ではない。
「4歳の自分が一番大人だった」というタモリさんではないが、幼稚園〜小学校低学年ごろの自分が一番「オトナ気分」で生活していた。冷静沈着でいることを美徳とする、それは生意気な女子であった。

その昔、同級生に大変にぎやかな男子がいた。≪声が高い≫≪声がでかい≫≪よくしゃべる≫≪落ち着きがない≫ ……正直苦手なタイプ。

そしてある日、私は息子を見て気づいてしまったのだ。
・声が高い
・声がでかい
・よくしゃべる
・落ち着きがない
……私の苦手な男子像に当てはまっていることを!

■『子供達を責めないで』(歌・伊武雅刀)を聴きながら――
子どもも3歳になると生意気な口をきく日があり、大人気ないなーと思いつつも“マジ喧嘩”に発展することもある。

言うこと聞かない息子に腹を立て、そのたびに「『お母さんの言うこと聞きなさい!』と言ってはいけません」と定期的に上がってくるツイートを見ては落ち込み、「じゃあ!大人は!どうしたらいいのよ!うわー!」と叫んでこちらが泣く様を見て、夫は困り果ててイライラし、息子はへらへらしながら「ごめんねえ〜」と言う、その繰り返し。

夫と子どもが同じような内容で喧嘩しているのを見れば、「子ども相手に何してんのよー」と余裕顔なのだが、どうにも喧嘩の仕方がわからないひとりっ子の性(さが)。今のところ、ただ泣くしかできない。困ったものだ。

日々のいざこざをパターンに落とし込んでいくと、お互いに自分の想定外のリアクションを取られて喧嘩になることが多いのかなと思い、じゃあ自分の子どものころを思い出して想定しよう!と必死に思い出すも、「あれ? 私、もっと聞きわけがよかったよな」という結論にしかならず、いやいや、美化しているだけかも!と実母に尋ねれば、「あんたはラクだったわね」と言われ、その言葉はまるで私に母親としての適性が欠けているかのように響き、また落ち込むのだ……。

少々自己顕示欲が強いのか、息子は「見てて!」を繰り返す。こちらが受け流そうとするならば猛抗議され、再び「見てて!」となる。見ていて何かするのかと思えば、しない。その時間分拘束されるのでやりたいことがいっこうに進まない……。
いったん付き合ってあげれば気が済むときもあるのだが、そうでないときもある。なかなかに攻略が難しいのだ。読めない。そして、わからない。

自分の子どもが嫌いなわけなどないけれど、正直つらい。

しかし「つらい」って言ったら非難の嵐なのではないのか。
非難? 誰から?親?世間?夫?……もしかして自分自身?
だめだ、もう限界だ……。

そこに子どもがやってきて、天使のような笑顔を見せるのだ。
「どうちたの? だいじょうぶ? なかないで? だ〜いちゅきだよ。」
派手に垂れた鼻水を私の服でさりげなく拭きながらハグをする息子……。


家族というものが、私にはよくわからないのだ。
親子というのは、大好きと大嫌いを日々交互に繰り返しながら暮らしていく集合体なのだろうか。私はいったいこれでいいのだろうか……。

■子ども、それは男女の遺伝子を受け継ぐものだから
私はなぜ気づかなかったのだろう、夫の存在に。
男子のことは男子に聞いたらいいじゃないか。ということで、夫の登場だ。
彼は「覚えてないなあ」といいながらも、いくつかのエピソードを思い出してくれた。

●その1 土壁にいたずら書き
妻「それ、絶対取れないよねえ」
夫「取れなかったね」
妻「そのあとどうした?」
夫「のちにリフォームで壁紙張られたよ」

●その2 どこにでも自分の名前を書いた
夫「柱とかにね、マジックで」
妻「これマジで迷惑だね」
夫「そ……そうだね……」

●その3 「これ僕」
妻「……なにそれ?」
夫「写真の自分の顔を蛍光ペンで塗って、『これ僕!』って」
妻「目印?」
夫「そう。だから結婚パーティーのスライドショーのときに使える写真が全滅だったの」
妻「……え、バカじゃないの?」
夫「……(撃沈)」

ああ、想像の斜め上だった……。
しかし「ここまではやるんだなー」と思っていればあきらめもつくというか、これ以内におさまっていれば上出来と思えるっていうか、心に余裕が出るというか……。

どこにでも名前を書く、というセンスから所有欲の強さが伺えたのだが、息子は先日、画用紙いっぱいに自分で考えたであろうサインを練習していた。血は争えないとはこのことか。

そういえば、夫の母が来宅したときにこんな会話をした。
「この『見て見てー』っていうの、(夫の)ちっちゃいときにそっくりだ!」
「え、そうなんですか? お母さん、大変じゃなかったですか……?」
「いやいや。うちは婆ちゃんが見てましたから。」

そう、私も夫も、働くお母さんの元、日中はおばあちゃんに育てられたおばあちゃんっ子だったのである。

■心の中の「リトル俺」に聞いてみよう
我々の世代は専業主婦の祖母が日中ついていてくれたからいいものの、我が家は週3の通いで実母に保育園のお迎えをお願いしている状態。片道1時間半。お世辞にも若いとはいえない身にはしんどいと思われる。

そのくらいしてもいいと思えるほど「孫」という存在はかわいいのであろう。(これを筆者宅では「大泉逸郎メソッド」と呼ぶ)

「結構叱っているわよ」というわりには、母は息子に甘く、息子もよくなついている。それに比べ、いまだに小さい子どもとの接し方がわからなくてイライラしている自分。

ニコニコのおばあちゃんとイライラのお母さん、子どもにはどっちがいいのだろうと考えることもしばしばだ。

私は幼いころを思い出していた。
何で怒らせたのかわからないけど、怒って出て行く母親と、泣いている4〜5歳の自分、なだめる祖母。それは今、30数年の時を経て、ポジションがまるっとスライドしているのだ。

「そういえば、一番下の弟には冷たくあたった時期もあったなあ」と夫が振り返る。
すぐ下の弟は物心ついたときにはもう存在していたので意識をしたことがなかったそうだが、一番下とは6歳離れているので、接し方がわからなかったのではないかと夫は分析した。

兄弟がたくさんいたってそうなのだから、これは慣れるしかしょうがないのかもしれない。
ある種、あきらめの境地であるが、「お父さんとお母さん、まだ慣れてなくてごめんね」と先に言ってしまうのはどうだろう。

親の本音というのを垣間見たのは、自分が成人してだいぶ経ってからだったように思う。
両親はさほど若いころについて語らなかったため、親が親になっていく過程での葛藤や苦悩をあまり理解できないまま人の親になってしまった。
私は今、ロールモデルが欲しいのかもしれない。それは息子もまた同じように。


みなさんは配偶者の幼少期の話を聞いたことがあるだろうか。大人になってから知り合った相手と結婚した場合には、なかなかきく機会がないように思う。少なくとも私は夫の小さいころのエピソードは今回初めてきくことばかりだったので、育児にフィードバックできるという意味でも貴重な体験であった。

子どものころの自分と向き合って、どうして欲しかったのかを思い出し、しがらみをひとつひとつ紐解いていく作業で、「よくわからない生き物」である子どもが、「ちょっとわかる生き物」に変わるのであれば、是非はともかく私はそうしたい。


私は子どもが失敗した際に、似たような自分のエピソードを早速話して聞かせた。
翌日、保育園では先生に一生懸命大きな声で話しかける息子の姿があった。

「せんせい! あのねえ……」

ゆうべ話したエピソードは彼の脳内で独自の編集をされ、「ぼくの母親の恥ずかしい話」として伝播していたのだ。

そうか、こうなるのか……。
我々の戦いは、今始まったばかりなのである。

ワシノ ミカ
1976年東京生まれ、都立北園高校出身。19歳の時にインディーズブランドを立ち上げ、以降フリーのデザイナーに。並行してWEBデザイナーとしてテレビ局等に勤務、2010年に長男を出産後は電子書籍サイトのデザイン業務を経て現在はWEBディレクター職。

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  • 胡麻油スケート、珈琲の粉で富士山作り、畳の上で墨汁プレイしてた時もあったな。叱るより目を離した自分を責めたわ。男の子育てると男の我儘が許せるようになる。この好奇心止めるの無理。
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