成長がゆっくりめな我が子と向き合う

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2014年05月19日 10:01  MAMApicks

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同世代の子にできることができず、きょとんとしている1歳後半になるわが息子。お世辞にも成長が早いとはいえないほうだ。

その現実を目の当たりにして、ある感情と戦っている。
それは、自分を責める気持ちだ。

真っ白なキャンバスだった息子の脳に、ほとんどの時間を一緒に過ごし、色をつけてきた、母である私。彼の成長がゆっくりなのは私のせい? 後ろめたいことが頭をめぐる。


自分のことに精一杯で十分に構ってやれなかったときもある。少しでも休憩したくて、寝てもらうことだけを考えていたときもあった。

「三歳児神話」、「三つ子の魂百まで」などの、「3歳までの親の育児が大事だ説」が私を追いつめ、サッカーの本田圭佑選手の「子どもは社会からの預かりもの」という意識高い発言までもが、「私レベル低すぎ……」とうなだれさせてしまうのだ。反省し過ぎ?


「育児に自信がない……。」

身近な人にそうつぶやいて、「成長がゆっくりなのはあなたのせいじゃない」と力強く言ってもらったとき、ボロボロ泣いた。

素直にそうだと思えないのに、全否定した言葉になぜかホッとした。我が子のことになると感受性が過敏になり、織田信成や柴田理恵ばりに涙腺が緩む。

思えば息子をお腹に宿したとき、無事生まれてきてくれることだけを祈っていた。どんな子でも愛そう。日に日に大きくなるお腹を見つめながら、覚悟や責任を噛み締めていた。

そして生まれた途端、無限に広がる可能性を感じて、トンビが鷹を産まないかな?と淡く期待していたと思う。

ひどい怪我や重い病気になったときは、顔全体に電気がほどばしるほど焦り、無事生きてくれてさえいればよいという心境になった。それなのに、元気になるとスポンとそのときの心持ちを忘れてしまう。

成長の早い遅いは個性と考え、取り組んだプロセスや延び幅を大事にしたいなと頭で考えていた。けれども、「勉強でもスポーツでも、人より何かができること」に対する価値観が、根深く染みついていることを改めて思い知る。

我が子が何かできるようになると単純にうれしい。道行く人全員とハイタッチしたくなるような妙なテンションになり、私も何か成長をしていたいなと励まされる。

「できるから愛するのか?」
いつの間にか、何かができている我が子を愛する図式になっていた自分に気がつく。
いや、そうではない。できてもできなくても愛する我が子だ。


そういえば、育児に自信がないと落ち込むことはあるが、「育児には自信がある。私に任せて!」という人は見たことがない。大なり小なり、やはり皆悩みながら育児をしているだろう。

それでもやはり、息子の成長が遅いことで自分を責める気持ちが消えない。まわりと違う息子の行動をみかけるたび、自己嫌悪に陥る……。
このことを、コーチングを勉強した友人に相談してみた。

すると友人は、2つのことをアドバイスしてくれた。

≪お子さんの成長がゆっくりなことの原因が母親にあるかどうかは分からない。因果関係が不明なことは、切り離して考えてみたらどうだろうか。≫
子どもとの時間を十分に取れなかったことを責めているが、時間を取ったところで変わらない結果になったかもしれない。もしくは、子どもとの関係に煮詰まりもっと悪くなったかもしれない。

「たられば」の過去にとらわれて、今を生きていないのは、親として誇れる生き方だろうか。もし我が子が過ぎたことばかり考えていたら、前を向けと背中を押すだろう。原因がわからないことは、たしかに切り離して考えるべきなのかもしれない。


≪お子さんのために、あなたがしていることは何か。それをするとき、もしくはそれをしたときのことを何度も思い出してみてはどうか。≫
子どものためにしていること、直接的には普段の育児。当然ひとりでは何もできないから、口に入る物から出るところまで、おはようからおやすみまで面倒をみている。

間接的には子どものために仕事を増やしたのもそれにあたるだろう。すべてを含めれば、私の一日の時間割は子どもに関することがほとんどだ。


白の背景に黒い点があると、黒い点ばかり気になる。「白」は普段我が子のために何かしている自分、「黒」はもっとやれたのにできなかった自分だ。黒い点ばかり見つめてダメな母親だと嘆いていた自分とおさらばして、白いところに目をむけようと決めた。

夜泣きで寝不足のなか、朝早く食事を用意するとき。風邪をひいた息子を、病院に連れに走っているとき。寝相の悪い子どもに蹴られながら、何度も布団をかけるとき。仕事で怒られ謝っているとき(これは自業自得?)。さまざまな場面で、「あぁ、私やっているやっている」と再認識する。不思議と責める自分が弱まり、気が楽になっていった。

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先日、3ヵ月の赤ちゃんがいる友人宅に滞在した。赤ちゃんを抱き上げてあやしていたところ、背後から小さな手で力強く引き離された。

振り返ると、血相をかえた息子が私を見上げている。母をとられると思ったらしい。私が息子を抱きしめると、とても満足そうな顔をしていたと、側にいた友人が教えてくれた。

そうなのだ。彼が必要としている母親は、世界に私ひとりしかいない。

親がわが子と関われる時間は短い。悩んでいる間にどんどん大きくなってしまう。自分を責める時間を減らして、子どものために何をするかに目を向けたい。
「できるから愛する」ではなく、「ありのまま愛する」想いを胸にしながら。

福井 万里
大学卒業後、大手システムインテグレータでSEとして10年間勤務も、東日本大震災を機に、本当にやりたいこと(書くこと)を生きがいにと決意し退職。2012年に結婚&長男を出産するも2013年に離婚、シングルマザーに。ライターとして活動を開始。

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