【今週はこれを読め! SF編】イスタンブール----旋回する物語の中心、ヨーロッパとイスラムを結ぶ臍

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2014年04月08日 10:51  BOOK STAND

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『旋舞の千年都市<上> (創元海外SF叢書)』イアン マクドナルド 東京創元社
今週はこれを読め! SF編

 近未来のイスタンブールが舞台。筋立てはテクノスリラーだが、展開する情景は先鋭SF(次世代サイバーパンク?)、局面によってはマジックリアリズムの読み味すら加わる。そして、何にもまして都市小説だ。たんなる異郷趣味にとどまらず、地政的にも歴史背景的にも(おそらく市街様態においても)、イスタンブールという空間を抜きにして考えられない。



 発端は、月曜日朝、トラム(路面電車)での自爆テロだった。窓とドアが吹き飛んだが人的被害はなし。車中に居合わせた青年ネジュデットは、温かい飛沫を浴びるがそれは血ではなかった。しかし、その事件から彼はジン(魔物)を目にするようになる。トイレから出てくると、ハンドドライヤーの上にまるまる太った赤ん坊のようなジンが炎をあげていた。同僚に相談したところ、「ジンっていうのは、おれたちの宇宙と交差する別の宇宙のなかのおれたち自身だ」という説を教えられる。「まあ、自爆テロに遭遇したトラウマだろうな。カウンセリングを受けろ」とも。



 しかし、物語のなりゆきは、とてもトラウマによる幻覚などではすまされない方向へと進んでいく。自爆テロが起きたとき、近隣に住んでいた九歳の少年ジャンは、昆虫サイズのスワームロボ集団が空中を疾走していくのを目撃していた。好奇心に駆られた彼は事件の捜査をはじめる。少年探偵をサポートするのは、忠実なしもべたち----モンキー、スネーク、ラット、バード----だ(実際はおもちゃのペットロボット)。



 ジャンとは別に、奇妙な自爆テロの真相に迫る者がいた。イスタンブール大学を追われた老学者ゲオルギオスだ。彼はかつて「経済的景観における心理地政学」を研究していた。その知見を生かし、ナノテクノロジーを活用した兵器を開発しているテロリスト集団の存在、そしてイスタンブールからヨーロッパへとつづくガス・パイプラインを利用した計略を察知する。



 こうしたスワームロボやナノテク・テロといった先鋭テクノロジー、イスラム対ヨーロッパの文化・政治的軋轢といった現代的テーマが浮上する一方で、この作品には因習的・秘術的な水脈も走っている。それは美術商の女性アイシュがたどる蜜人の探索だ。蜜人とは中世におこなわれた蜜食による即身仏で、その甘露ミイラには奇跡的な薬効があるとされる。その一体がイスタンブールのどこかに隠されているという。巨額の報酬とひきかえに蜜人発見を引き受けたアイシュは、歴史家バルチンの協力によってコンスタンティノープル時代にこの都市そのものに隠された暗号の完全解読にあと一歩と迫る。ただ、残る一文字、アラビア語アルファベットの第二十番目にあたるファーが、どこに隠されているかがわからない。



 欲得づくとはいえアイシュの探索が歴史の神秘に満ちているのに対し、彼女の夫アドナンはきわめて世俗的な計略を企てている。自分が勤務するガス会社(一大資本である)絡みで、市場詐欺をやりおおそうというのだ。



 世俗的な野心を燃やしている人物がもうひとり。若手の女性マーケッターであるレイラは、ナノテク企業をめざすヤシェルの依頼を受けて資金調達に奔走する。ヤシェルのアイデアはこうだ。人間のDNAのうち98パーセントは使われていない。これを演算処理に利用しよう。ひとりの人間に1350ゼタバイト(ゼタ=10の21乗)の情報が保存可能だ。その可能性たるや!



『旋舞の千年都市』全体としては、(1)ジンを見る青年ネジュデット、(2)自爆テロ事件を追う少年探偵ジャン、(3)ナノテク・テロを感知した老経済学者ゲオルギオス、(4)蜜人探索に心血を注ぐ美術商アイシュ、(5)市場詐欺をもくろむアドナン、(6)DNA利用ビジネスの資金調達を担当するレイラ----この6人の物語が代わる代わるに進んでいく。それぞれは独立しているものの、テロ、ナノテク、ガス事業など共通する側面がある(蜜人探索も実は......)。実際、これらのあいだに因果があることが、しだいに明らかになっていく。



 そうしたストーリー上の収斂はこの作品の大きな読みどころなのだが、それ以上に印象的なのはイメージの連環である。『旋舞の千年都市』という邦題をつけたのは、訳者の下楠昌哉さんか担当編集者かわからないが大手柄だと思う(原題はThe Dervish House[修道僧の館])。「旋舞」はこの作品の空間が的然と示す言葉だろう。物語の冒頭は、コウノトリが上空を旋回してイスタンブールを鳥瞰する(一羽一羽に意志はないが群れとしてパターンをなすことも重要)。さらに作品のところどころで、市中の交通の循環、資本経済の渦、DNAの螺旋構造......と、旋回のイメージが繰りかえし出てくる。旋回には中心があり、それがイスタンブールという都市の実相だ。現実のイスタンブールを知る作家、酉島伝法さんは本書の解説で、この都市の迷路性を言い当てている。まさにそこに入った者をぐるぐると経巡らせる空間であり、世界の中心(西と東をあいだにある臍)の街である。



(牧眞司)




『旋舞の千年都市<上> (創元海外SF叢書)』
著者:イアン マクドナルド
出版社:東京創元社
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