【今週はこれを読め! SF編】神なき告解、脳神経の罪----重層の語りでアクチャルなテーマへ迫る

0

2014年05月13日 10:41  BOOK STAND

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

BOOK STAND

写真
今週はこれを読め! SF編

 児童ポルノは罪だ。実際の対象を求めるのはもちろん、頭の中で考えるだけでもおぞましい。人種差別は悪だ。言動に移す以前に、そんな気持ちを抱く心が病んでいる。「正常な人間はそんな心を持つはずがない」----じつは、その発想のほうが児童ポルノや人種差別よりも、ずっと強力な毒をはらんでいる。



 もちろん、ひとの心を覗くことはできないから、犯罪や不道徳は行動によって裁くしかない。しかし、もし心を覗くことができたら。本書の表題作では、思考をスキャンする「尋問箱(バズボックス)」が実用化されている。物語の〈実時間〉は、私(語り手)が空港の搭乗待合から尋問箱を抜けるまでの寸刻だ。思考スキャンによってハイジャックは未然に防止される。反社会的な倒錯愛の持ち主も選別できる。



 尋問箱のアイデアそのものは、1950年代にシェクリイやディックが書いていてもおかしくない。硬直した犯罪防止システムによる自由の剥奪とか、思考内容を取り締まる人権弾圧とか、無意識の衝動すら管理されるディストピアとか、そういう展開はじゅうぶんスリリングだ。しかし、21世紀のSF作家ピーター・ワッツは、その水準にとどまらない。この作品の社会では、危険な空想家や異常性愛者の人権もそれなりに尊重されている。心の中で思っているだけなら罰されることはない。とはいえ、いったんチェックされてしまったらその記録は残る。



 この作品では搭乗までの〈実時間〉と重ねあわせに、ふたつの時間が流れている。ひとつは設定全体(未来社会)を俯瞰する〈物語の外側にある時間〉で、そこでは人間の意志の恣意性があらわになる。脳神経に関する知見は尋問箱だけではなく、広告戦略にも応用されており、ひとの欲望や志向に影響を与えるコマーシャル戦略が普及している。それに対する批判もあるが、悪質なマインドコントロールと正当な宣伝との境界を見定めることはそもそも不可能なのだ。芸術や弁論だって、ひとの心に直接働きかけるテクノロジーではないか。



 私は思う----言葉ですらひとを泣かせることができるのだ、と。この独白が、もうひとつの時間とつながっていく。それは私の子どものころの記憶、つまり〈想起される時間〉だ。私には親しくしていた神父がいた。神父は児童愛の持ち主であり(ただしそれで問題を起こしたわけではない)、思考スキャンの登場によって人生を違えてしまった。私は神父が言った「神は全てをお見通しである」の言葉を忘れることができない。



 この作品は、古典的SFアイデア(思考スキャン)を脳神経生理学や認知科学の観点から吟味し、意識のありかたや社会倫理という現代的で切実なテーマに迫っている点で出色だ。しかし、それが効果的に展開されるのは、小説としての時間の扱いの巧みさゆえだろう。この短篇は2008年の発表で、リッチ・ホートン編の年刊SF傑作選にも収められた。



 ワッツは2006年発表の長篇『ブラインドサイト』が先に邦訳されており、本書評でも紹介ずみ[http://www.webdoku.jp/newshz/maki/2013/11/12/125143.html]。同書はファーストコンタクトを進行形で綴った「宇宙パート」と、共感能力が欠如した主人公の過去を描く「地球パート」とが輻輳していた。それをして整理不足と見なす読者の声(ワッツは小説が上手くない)もあるが、ぼくはそう思わない。「神は全てをお見通しである」が時間を重層化しているように『ブラインドサイト』の語りにも必然性がある。



 ちなみに『ブラインドサイト』については、本書の解説で貝光脩氏が独自の視点による鮮やかなアプローチを示しており、ピーター・ワッツという作家を理解するうえで大きな手引きとなる。それも含めて価値ある一冊だ。



 本書全体を紹介するのがあとまわしになってしまったが、これは日本オリジナル編集の短篇集。上に紹介した表題作のほか、破滅後世界の奇妙な運命論/自然信仰を扱った「光差す雲」、深海探査のために人体改造をした主人公たちが意識をも変容させていく「適者生存」が収録されている。後者はワッツのデビュー作(1990年)で、科学的なロジックが書きこまれてはいるものの、ニューウェイヴに近い雰囲気がある(J・G・バラードの初期短篇や、クリストファー・プリーストの不条理SFを思いだした)。



 この本は非営利出版で「はるこん」という年次SFイベントに合わせて発行された。同大会は海外からゲストを招聘するならわしで、今年はピーター・ワッツがカナダから来日。ちなみに過去のはるこんゲスト(チャールズ・ストロス、ロバート・J・ソウヤー、アレステア・レナルズ、ジョー・ホールドマン)についても同様企画の短篇集が刊行されている。海外SFファンはお見逃しなく。



ピーター・ワッツ『神は全てをお見通しである』(はるこん実行委員会)
通販サイトhttp://www.hal-con.net/ja/halcon_books


(牧眞司)




>>元の記事を見る



    前日のランキングへ

    ニュース設定