「六三制」見直し論、その根本思想が「逆」なのではないか? - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

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2014年06月05日 14:20  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

 文部科学省は「教育改革」の一環として、「六三制」の見直しを志向しているようです。発表されている資料などから浮かび上がるのは、俗に言う「小1プロブレム」や「中1プロブレム」というように、現在の学制が子どもの発達段階に合っていないという仮説に基づいて、次のような改訂を行うという方向性です。


 一つは、6歳からの小学校進学を1年繰り上げて5歳から義務教育の小学校のシステムに乗せるということ、もう一つは思春期の到来の早まりに対応するために、現在の5年生以上は小学校から切り離し、場合によっては中学に進めるという考え方です。仮にそうなれば、「六三制」ではなく「五五制」になるわけです。


 例えば、小学校入学の繰り上げをやらないで、中学進学だけを早めるのであれば「四五制」とかあるいは「五四制」などもあり得るということで、場合によっては地域事情によってバリエーションが出てきても良いという考えも出てきています。


「幼から小へ」あるいは「小から中へ」という過渡期にあたって、学校現場が困っているというのは分かります。ですから、「六三制」という学制を変更するというのも、方針としては間違っていないと思います。


 ですが、問題はそうした改革の「根本思想」です。


 まず「小から中へ」ですが、前提となっているのは「思春期に入ったら統制を強化する」という思想です。例えば、次のような発想法です。


「思春期に入るのが早くなっているから『小5や小6で悪質ないじめが起きる』ならば『5年生から中学校』にして校則で厳しく縛ろう」


「中1で『いきなり先輩後輩関係に放り込まれて苦しむ』のなら『小5から中学』にして『中3を頂点としたヒエラルキー』に馴染ませてしまおう」


「中1で『いきなり教科別担任制』になって戸惑うなら『小5から教科担任制』にしてしまおう」


 この中で「教科担任制」に関しては、やってみる価値はあると思いますが、残りの2つが象徴するような「小学生は子供らしく放任」するが、「思春期に入ったら何をするか分からないので統制する」という教育の思想というのは、成熟社会には全く適合しないのではないかと思うのです。


 共産主義の世界とか、途上国型の「とにかく単純労働を効率的にこなす労働者が欲しい」という社会であればともかく、「高度な付加価値創造」であるとか「自発的で柔軟な対人サービス業務」などが重要になって来る成熟社会に必要な人材は、こうした発想では上手く育てられないのではないでしょうか?


 それ以前の問題として、「思春期に入って色々なことに疑問を感じ始める」時期になって、いきなり学校や教師が「反面教師」的な「悪者」になっていくという思想には、「指導する者とされる者の自発的な自然な相互信頼」というのを全く信じていない「ひねくれた発想」を感じます。


 結果として、抽象概念のハンドリングなどは中等教育機関では教えられるはずもなく、「創造型人材」とか「面接で人物重視の入試を」などという構想に適合するような教育にはならないでしょう。


 私は、1980年代の「校内暴力」というのは、思春期に入りつつある年代の子供たちが、成熟社会に入りつつある日本社会で膨大な情報と刺激にさらされる中で、「より一人前の人間として認められたい」という感情を持っていた、にも関わらず途上国型の教育思想を引きずった教育現場は「思春期に入ったからこそ統制で」という杓子定規でしか対応できなかった、そこに問題の根があると思っています。その愚かな「逆の発想」をまだ引きずっているというより、それを「小5から徹底しよう」というのには驚かざるを得ません。


 まして「先輩後輩関係」などというカルチャーは、若年の管理職が年上の部下を管理監督するとか、組織の指揮命令系統に外国人や女性がどんどん入ってくる中では、「指揮命令の機能は組織図通り」でも「人格の相互尊重という点では対等」という国際スタンダードでしか「やっていけない」以上、早く撤廃すべきです。


 一方で「幼から小」の接続にも勘違いがあるように思います。


 要するに「最近の幼児は、共同作業や保育者の指示に従わない傾向が強く、幼稚園や保育所ではキチンとした統制ができない」ので、「5歳時から小学校に入れて早く統制に馴染ませた方が効率的」だという発想です。


 確かに最近の幼児番組、例えば『おかあさんといっしょ』(ひどいタイトルです。お父さんでもいいではないですか)などを見ていると「歌のお兄さん、お姉さん」が何かをしていても、背後に必ず「全く参加していない幼児」が写っているのです。どうやら全国の幼稚園や保育所ではそうした光景が「むしろ自然」であり、「無理矢理に参加させている光景は不自然」だという保護者の声があるようなのですが、私はこれはおかしいと思います。


 幼児だからこそ、優れた指導者が「子供を巻き込み」「参加したがらない幼児も放置せずに目配りをし」「作業に熱中させたり、共同作業に参加させたり」して「最終的に達成感を与える」よう指導から逃げてはいけないのだと思います。


 幼児には幼児のレベルでの「社会性の基礎訓練」というものがあり、それをしっかり4歳児ぐらいからやって、「小学校に備える」ようにするのが本筋だと思います。幼稚園や保育所は「待機児童解消」で精一杯であり、結果的に「社会性の訓練不足」の6歳児がいきなり小学校に上がって困惑するのなら「5歳から小学校に入れてしまえ」というのは乱暴な話だと思います。


 この段階では発達段階に個人差が激しく、そう簡単に効果は出ないと思われます。アメリカは5歳児の「キンダーガーテン」からが小学校の無償教育になりますが、多くのキンダーは半日ですし、キンダー専門のベテラン教員を当てたり、カウンセラーにきめ細かく親子のケアをさせたり、色々な手間をかけています。これはそんなに簡単にはできません。


 要するに、下から上への接続が困難ならば、上から下に「統制強化年齢」を下げれば何とか回せるだろうというのが間違いなのです。下、つまり幼児から小学校までに基礎となる社会性と自己肯定感を「厳格に」確立させて、思春期の到来とともに、自発性の発揮や「成長過程としての逸脱」などをしっかり経験させる、その上で自分でモノを考える大人を育てていくようにしなければ、成熟社会に見合う人材は育たないと思います。


 今年はいよいよ、年間出生数が100万人を切るという時代の転換期に差し掛かります。極端に少なくなっていく子供たちを、社会がもっと丁寧に育てていく根本思想をしっかり確立するべきです。




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  • 六三制を見直すと確実に現場が混乱して学力低下に拍車がかかる。また子供にとって親は絶体だから、親が悪いと教師が頑張っても無理だから
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