【今週はこれを読め! SF編】宇宙図としての精神病棟、頭蓋のなかの火星

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2015年07月07日 10:51  BOOK STAND

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『エクソダス症候群 (創元日本SF叢書)』宮内 悠介 東京創元社
『エクソダス症候群』の舞台は過酷な環境の火星開拓地、中心となるテーマは精神疾患だ。読みはじめてまっさきに連想したのは、フィリップ・K・ディック『火星のタイム・スリップ』だった。ディック作品では、精神疾患とみなされていたものが実は独特の世界認識・時間感覚の反映だった。『エクソダス症候群』はディックとはまったく別なかたちだが、大胆なアプローチで精神疾患の意味を問うていく。

 エクソダス症候群に罹った者は、妄想や幻覚をともなった強い脱出衝動に駆られる。地球ではすでに見られなくなったこの病が、火星で急増していた。ウイルス説、環境汚染説、食事説、医源説......さまざまな仮説が立てられるが、決め手は見つからない。その謎をめぐってストーリーが進行し、表面的には医療サスペンス(マイクル・クライトン『アンドロメダ病原体』の精神科版)として読むこともできる。クライマックスでの謎解きもある。だが、それはこの小説の面白さのほんの一部だ。

 主人公カズキ・クロネンバーグは生まれこそ火星だが、地球で教育を受けて精神科医になった。恋人の自殺がきっかけで居場所をなくした彼は、火星へ帰還し、この惑星で唯一の精神疾患を扱うゾネンシュタイン病院へ赴任する。皮肉なことに彼自身がエクソダス症候群を発症しており、地球から持参した薬でそれを抑えこんでいるありさまだ。物資が不足している火星ではじゅうぶんな薬物治療ができず、エクソダス症候群の原因究明が急務となる。

 火星と対照的なのは地球の状況だ。多剤大量処方が功を奏しあらゆる精神疾患は滅びつつあるが、自殺率は減るどころか増えている。人々はそれを「正気の暗闇」と呼び習わす。カズキの恋人の自殺もこのケースだ。「正気の暗闇」は新しいタイプの精神疾患か? 人間性の根本に根ざすものか? 

 いや、むしろ精神疾患と人間性は根源的なところでつながっているのではないか? この作品を読んでいるあいだ、繰り返しその疑問が浮かんでくる。この疑問に光をあてるのが、作中でパノラマのごとく展開される「狂気の歴史」「精神医療の歴史」だ。狂気/精神医療にはその時代ごとの科学が反映される。そして患者と医者の関係も一様ではない。ちょうど観測問題のように、医者が患者に影響を与え、患者も医者に影響を与える。ストーリー上でも、カズキ自身が医者と患者の二面性を持っているし、カズキを導く(あるいは惑わす)デモーニッシュな存在チャーリー・D・ポップはそれ以上に極端な二面性を発揮する。

 チャーリーはゾネンシュタイン最古の患者にして第五病棟の長だ。彼は病院の最奥に居住し、そこで「古代の無意識がいっせいに噴出し、医学も、正気の闇も、そのいっさいが無に帰す瞬間」を夢想している。それはまるで世界すべてを破壊/創造する欲望だ。チャーリーの居場所のひとまわり外側にゾネンシュタイン病院の病棟群がある。それらの配置はカバラの図象「生命の樹」そのものだ。病院のさらに外側が開拓地だが、これは全体が透明なドームで覆われており「まるで露出した人間の蜘蛛膜」と描写される。さらに火星全体の地表は「近赤外分光の脳画像」に喩えられる。すなわち、物語を支える空間構造が精神=世界の入れ子なのだ。

 こうしたイメージの巡らせかたが実に巧い。注意深い読者なら、火星に戻ってきたばかりのカズキが移民局で会った老人の素性をはじめとして、いくつものフックが埋めこまれていることに気づくだろう。ひとつひとつはさりげないディテール。しかし、それがゆっくりと響きあい、大きなテーマへ結びついていく。宮内悠介の表現力は底知れない。

(牧眞司)



『エクソダス症候群 (創元日本SF叢書)』
著者:宮内 悠介
出版社:東京創元社
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