マツダ・ロードスター、ホンダ・S660とオープンスポーツカーが注目を浴びている。その中にあって比較的地味に支持されている国産のオープンスポーツカーがあるのをご存知だろうか。それはダイハツ・コペン。2002年に軽オープンスポーツとして発売開始、10年間製造した後に生産終了。2014年に2代目がデビュー、粛々と販売台数を重ねているのである。
2代目コペンの独自性
通常モデルチェンジを行う場合、先代のデザインなどを踏襲するキープコンセプトと、刷新をはかるイメージチェンジの2つに分かれる。2代目コペンは先代の丸目ヘッドライトを捨て去り、押し出しの強いデザインで登場した。その大きなイメージチェンジにこれまでのファンからは、当然ではあるが支持されにくいものではあったが、実はひとつ、大きな仕掛けがあったのだ。それがDRESS-FORMATIONと呼ばれる骨格+樹脂外板構造。
通常モノコックボディで作られる乗用車は外板自体に強度を持たせるために容易には形状を変化させられない。マイナーチェンジでバンパー、ヘッドライトだけ意匠変更されるのはこの制約からだ。特にリアフェンダーは強度を受け持つのでおいそれとは変更できないのが実情である。
2代目コペンはこの常識を打ち破り、内部骨格ですべての強度を受け持ち、外板は単に外側についているだけという構造にしたのである。外板はコペンの場合樹脂を利用しているが、極端な話、ダンボールだろうが、3Dプリンタで造形しようが構わないのだ。
この内部骨格で強度を受け持ち、外板をすげかえられるという発想は他にないわけではない。BMW Z1や、マツダ(オートザム)AZ-1も同様の構造である。しかし実際に外板が用意され、容易に交換できるところまで踏み込んだ例は少ない。AZ-1の場合、マツダ系列のマツダスピードからだされれた程度で、大幅に変更されるまでは至っていない。
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すでに3つの形状を用意
2代目コペンはデビューから僅か1年であるが、その間に3つのボディタイプを用意した。Robe(ローブ)、 XPLAY(エクスプレイ)、Cero(セロ)である。
このうちCeroは Robeをベースにヘッドライト、テールライトを含むボディパネルを交換したものであり、すでにRobeを購入したユーザーに対し Ceroに変更するパーツを販売することでアップグレードが可能となる。またはCeroユーザーとRobeユーザーがお互いにパーツを交換しあうことで、Ceroが Robeへ、 Robeが Ceroへとイメージチェンジをすることも可能だ。
XPLAYは唯一交換できない金属製ドアパネルが Robe、Ceroと異なる形状のためにこのようなことは現時点ではできないが、今後オートサロンで参考出展されたボディキットが販売されることから、さらに発展していくことは間違いない。
デザイン・マイナーチェンジの可能性拡大
これまでマイカーがマイナーチェンジをした場合に、買い替えたくてもコストや、愛着のある愛車を手放すことに抵抗があったが、このような方法であれば気軽に気分転換ができる。これは一種の革命といってもよいだろう。
ユーザーにとっても革命的だが、メーカーにとっても大きな意味をもつ。これまでマイナーチェンジといえば2年に1回と考えられてきたが、コペンの例をみれば1年に1回以上、しかもサードパーティがボディパネルを用意すればするほどその選択肢は増えていくことになる。ユーザーはその中から好きなものを選び、また飽きたら新しいボディパネルを購入すればいいだけのことだ。
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デザインの新鮮味を新規ユーザーに訴求するだけではなく、従来ユーザーも同時に享受できることとなり、販売促進につながるからだ。
さらに最近流行している3Dプリンタを利用することで、独自に装飾を加えることも計画している。アピアランスの変更はこれまでメーカー頼みだったが、ユーザーが積極的に参加することができるようになるという。これも骨格+樹脂外板構造のもたらすメリットだ。
クルマはスマホの夢をみるか
コペンがチャレンジしているのは、いいクルマを作ろう、どこどこサーキットで最速ラップを刻もう、といったようなレベルの話ではない。旧来の価値基準とは異なる新しい価値を提供しようとしている。スマホの場合カスタマイズの基本はスマホケースであり、その市場は世界規模で広がった。同じスマホであっても、ユーザーごとに異なるスマホケースを使うことで、独自性をアピールすることができるし、ユーティリティも異なる。実は同じことがコペンでは可能なのだ。
コミュニケーションの重要性
スマホはLINEの爆発的普及をみても分かるように、コミュニケーションが前提となっている。コペンは同じく、ただクルマを売ってハイおしまいではなく、そこがスタートラインになるように周到に準備されている。一方的にメッセージを押しつけるTV CMを廃し、その代わりにユーザーや地元の人の交流の場となる LOCAL BASEに割いていることからも分かる。
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実際に行ってみると分かるが、決してコペン・ユーザーがたむろしているような閉鎖空間ではなく、地元の人の憩いの場であったり、鎌倉へきた観光客が喫茶を楽しむ場所となっている。むしろ展示されているコペンの存在感があまりにも薄く、心配になるほどだ。しかしこの「押し付けがましくない」姿が現代のパブリック・リレーションにちょうどいいのかも知れない。重要なのは対話をする姿勢なのだ。
コスパでは計れない価値の提供
費用対効果、コスト・パフォーマンス。そのものの価値が見合うかどうかを判断する基準としてよく使われ、最近、人々は口癖のように「コスパがいい」「コスパが悪い」という。しかしその内実は単純にコストの大小であり、パフォーマンスを正確に計れているとは言い難い。そもそもパフォーマンスを評価するのにはその人自身の知識・経験が問われるものであり、「猫に小判」というように小判のパフォーマンスを知らない猫にいくら小判をあげても無駄なのである。
オープンカーは自動車の中にあっても特殊な存在である。通常の乗用車が移動や運搬の道具としてパフォーマンス、どれだけの荷物をどれだけ安く運搬できるか、という計算ができるのに対し、オープンの爽快感、であったり、走る楽しみ、所有する歓びといったなかなか数値評価できないものが含まれるからである。
そもそも数値化できないものを、無理に数値化することに意味があるのだろうか。ないのであれば、つまりはコスパは計測不能ということだ。
人生を楽しむ
そもそも人生はコスパで計れるのだろうか。結婚、出産、養育。莫大なコストをかけて子どもを育てて、いくら返してもらえるだろうか、とは普通は考えない。もしそれを考えるのであれば、自身がいくら親や社会にかけてもらって、いくら返しているかを計算するべきだ。人生とはコスパでは計れないのだ、というのも人生そのものは無駄だらけだからだ。
人生をいかに楽しく過ごすか、それをよく知っているのはイタリア人だろう。そのイタリア人の作る自動車はスーパーカーであるフェラーリ・ランボルギーニはもちろん、アルファロメオ、大衆車メーカーのフィアットでも同じく興味深い。コスパというシングルな評価軸ではない、多様な評価軸がそこにはあるのだ。
移動や運搬という評価軸でオープンカーは計れない。オープンカーにはオープンカーの、唯一無二の価値がある。オープンカーを批判する多くの人はオープンカーを経験したことはなく、すべて妄想と聞きかじりで構成されているといっていいだろう。実際に経験すれば、これほど人生を楽しむのに適した移動手段も他にないことが分かるからだ。
リタイアした人がオープンカーを選ぶのもうなづける。余生を楽しむのに、オープンカーはぴったりだからだ。特にコペンは電動ハードトップを装備し、ひとたび屋根を閉めてしまえば普通のクーペと変わらない静粛性、快適性を提供してくれる。
オープンカーデビューするのに、コペンはピッタリな一台である。コスパでは計れない、人生を楽しめるオープンカーライフにぜひチャレンジして欲しい。