【今週はこれを読め! SF編】乾ききった地上を血で潤す、無情の天使と三人の女たち

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2015年11月04日 10:11  BOOK STAND

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『神の水 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)』パオロ・バチガルピ 早川書房
地下水層は涸渇寸前、地上の水系もすっかり痩せ細った近未来のアメリカ南西部。頼みの綱であるコロラド川の水利権をめぐり、各州が鍔迫りあいを繰りひろげている。その抗争は政治的な駆け引き、経済・産業的な力関係と戦略、さらには州兵や民兵による武力行使にまで発展してしまう。

 とくに荒廃が進んでいるのはアリゾナ州だ。大規模なハリケーンで被災したテキサス州からの難民がニューメキシコ州を越えてなだれこんだため、水不足がさらに深刻化し、元からの住民も住みつづけるのが難しくなっている。水循環再生機能を備えた環境都市が中国資本によって建造されているが、そこに入居できるのはひとにぎりの特権階級だけだ。ほかへ移ろうにも、隣接するネバダ州とカリフォルニア州は州境を封鎖し、無許可で越えようとした者は容赦なく射殺される。

 バチガルピはこれまでも長篇『ねじまき少女』『シップブレイカー』、短篇「カロリーマン」「イエローカードマン」「第六ポンプ」などで、環境問題に起因する閉塞社会を描いてきた。本書はその発展形とも言え、状況の迫真性もさることながら、主人公アンヘル・ベラスケスの人物像が絶妙だ。たんにキャラクター造型のレベルにとどまらず、閉塞した世界の歪みを心身に反映しており独特の価値観や心性を持っている。もともとはメキシコ(いまは分裂した小国家群となっている)からの不法入国者で、監房に収容されていたところをSNWA(南ネバダ水資源公社)の代表キャサリン・ケースに拾われた。彼の職務はウォーターナイフと呼ばれ(本書の原題はThe Water Knife)、SNWAの権益のために表と裏の両面にわたってゴタゴタを解決する。

 凄惨な人生を歩んできたアンヘルは希望とは無縁で虚無的だ。血も涙もないタフな荒事師だが、不必要に権力を振りかざしたり私情で敵や弱者を痛めつけたりはしない。正義や同情心などかけらもないが、彼なりのバランス感覚とユーモアを備えている。ハードボイルドだがアウトローではなく、しょせん組織の手先として生きるだけとも思っている。

 舞台はアリゾナ州の州都フェニックスで、(1)不穏な雰囲気が充満するこの町へ派遣されたアンヘル、(2)水問題を取材するため東部からやってきたジャーナリストのルーシー・モンロー、(3)テキサスからの難民で最底辺の暮らしを余儀なくされている身寄りのない少女マリア----この三つの視点が平行して進み、やがてひとつに結びついていく。

 物語の焦点となるのは、現行のコロラド川水利権をくつがえす文書だ。歴史資料を渉猟していたアリゾナ州水道局の法務担当が、どうやらその文書に行きあたったらしい。「らしい」と推測するしかないのは、その法務担当が役職を放りだし裏取引で莫大な利益を得ようと画策したあげく、虫けらのように惨殺されたからだ。肝腎の文書も行方不明になっており、そもそも実在するものなのかも疑わしい。

 死体が日常茶飯事となった無法地帯フェニックスに、現地裏社会のギャング、カリフォルニアから送りこまれたエージェントが暗躍し、SNWA陣営からもアンヘル以外の工作員が潜伏している。同じ組織に所属しているからといって安心はできない。水利ビジネスは寝首を掻くのが当然の世界なのだ。権力を後ろ盾にしていたアンヘルだが、権謀術策がうずまくなかで孤立無援の立場へ追いこまれてしまう。

 裏切り者ははたして誰か? 文書の内容とその在りかは? 主要登場人物たちは協働するのか、それとも敵対するのか? 状況は二転三転し、アンヘル、ルーシー、マリアのそれぞれが幾度となく窮地に陥る。サスペンスの起伏に富み、一気に読んでしまえる。

 しかし単純なエンターテインメントではない。一歩引いて作品全体を俯瞰すると、抑圧的な世界の中心にくくりつけられたアンヘルをめぐる三角形が見えてくる。それぞれの頂点に女----キャサリン・ケース、ルーシー・モンロー、マリア----がいる。彼女たちを力、知、善に見立てるとちょっとした評論が書けそうだが、それはさすがに象徴化のしすぎだろう。

 作中でも触れられているように主人公の名前「アンヘル」はスペイン語で「天使」の謂だ。女たちのもとへ舞いおりた運命の天使かもしれないし、女たちに奉仕するばかりの三流天使かもしれない。ストーリー上はアンヘルは自分の心の赴くままに突き進んでいるが、見方を変えれば女たちがそれぞれの願いを叶えるためそれぞれのやりかたでアンヘルを使役しているとも映る。

 次々に降りかかる過酷な試練のなか、アンヘルはメキシコ時代に遭遇した暗殺者を幻視する。暗殺者は言う。「女たちを怒らせるな。"怒った女と住むより砂漠に住んだほうがまし"ってことわざがあるだろう。深い真実だ。息子よ」。

 しかし、アンヘルが住む世界はすでに砂漠ではないか。そこに流れるのは水ではなく赤い血だ。

(牧眞司)



『神の水 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)』
著者:パオロ・バチガルピ
出版社:早川書房
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