本田翼が見せた、決定的な“変化”ーー『起終点駅 ターミナル』の表情を読む

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2015年11月08日 17:21  リアルサウンド

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(C)2015桜木紫乃・小学館/「起終点駅 ターミナル」製作委員会

 本田翼は、とても美味しそうにザンギ(鶏のから揚げ)を食べるのだ。直木賞作家・桜木紫乃、初の映画化作品となった、篠原哲雄監督の『起終点駅 ターミナル』。ある男の喪失と再生を描いた本作は、ある意味「食の映画」であると言えるだろう。ひとり孤独に暮らす中年男性が、ある事件をきっかけに薄幸そうな若い女性と知り合い、自らの料理の腕前を披露しながら、ともに食卓を囲むようになる。美味い料理は、人を無防備にさせる。男が抱えて続けて来た過去。女が生きて来た過去。そのふたつが交錯しながら、やがてふたりは、それぞれの一歩を踏み出すことになるのだ。


参考:本田翼は棒ではない、真っ白なキャンバスなのだ 『恋仲』をめぐる通説批判


 とはいえ、歳の離れた男女が、それぞれ抱える過去は、なかなかにして重い。物語の始まりは、1988年の北海道。妻子のもとを離れ、単身旭川の地で裁判官として働く完治(佐藤浩市)は、ある裁判で思いがけない人物と再会する。彼が学生時代に愛した女性・冴子(尾野真千子)だ。被告人席に立つ彼女の罪状は「覚せい剤所持」。ともに学生運動の時代を生きながら、司法試験に合格した直後、何も言わずに彼のもとを去っていった冴子。それから10年、彼女はどんなふうに生きてきたのだろうか。そして、なぜ彼女は、自分のもとを去ったのか。そんな興味から、裁判後、冴子が現在働いているというスナックに赴き、やがて再び身体を重ねるようになった完治は、すべてを捨てて彼女と生きてゆくことを決意する。しかし、その矢先、彼女は唐突に自らの命を絶ってしまうのだった。それから、さらに25年が経った現在。妻と離婚した完治は、釧路で国選弁護人として働きながら、ひっそりと暮らしている。あの日、冴子を救うことのできなかった自分を罰するかのように。


 そんなある日、完治は、同じく「覚せい剤所持」で逮捕された女性・敦子(本田翼)の弁護人を務めることになる。馴染み客に「ダイエットに効く」と言って渡されたという覚せい剤。懲役二年執行猶予三年。完治にとっては、ごく普通の事件だった。しかし、裁判後、敦子が完治の家を訪ねて来る。自分に覚せい剤を渡した後、逃走を続けている男を探して欲しいと。その男は、彼女の情夫なのだろうか。「私は国選弁護人しかやらない」。その依頼を断った完治は、おもむろに昨晩から仕込んでおいたザンギの調理に取りかかる。離婚後、料理に目覚めた完治が、長年の研究のもと編み出した、独自レシピの味付けによるザンギだ。敦子を部屋置き去りにしていた(!)ことに気付いた完治は、思わずこう話しかける。「一緒にいかがですか? ちょうど飯も炊けたところです」。こうしてふたりの不思議な関係は始まってゆくのだった。


 かつて本田翼の魅力を、その「空洞」にあると看過したのは、うちの主筆だが(参考:本田翼は棒ではない、真っ白なキャンバスなのだ 『恋仲』をめぐる通説批判)、この映画でもまた、彼女は巨大な「空洞」として、我々の前に立ち現れる。上映開始から約20分後(!)に、ようやく訪れるその登場シーン。被告席に立った彼女は、自らの有罪が確定したにもかかわらず、決してその表情を変えることがない。その瞳は、相変わらず虚空を見つめたままだ。冒頭に彼女の役どころを「薄幸そうな若い女性」と書いたけれど、いわゆる「薄幸」とは少し違うかもしれない。ここに存在しているようで、どこか存在していないような……そんな不思議な雰囲気を彼女は身にまとっているのだ。単なる「無表情」ではなく、こちらの気持ちを見透かされているような「無表情」。空洞なのは彼女なのか俺なのか。しかし、そんな無表情な彼女が、破顔一発、突如として生気を帯びる瞬間がやって来るのだった。佐藤浩市演じる完治が作ったザンギを頬張る瞬間だ。「美味しい!」。そして彼女はニコニコと語り始める。中学卒業後に家を飛び出し、スナックや風俗(!)で働きながら無目的に生きて来た、自らの人生を。「頭が悪いから漢字もたくさん読めないし、普通の事務員なんかとても無理。夜の仕事はわりとあっさり雇ってくれたから」。屈託のない笑顔を浮かべながら、そう語る彼女。本作を観る筆者の眠気が吹っ飛んだのは、言うまでもないだろう。


 やがて、完治とともに、10年来連絡も取ってないし、帰ってもいないという厚岸の近くにある実家を訪れ、そこで両親の位牌を発見する本田翼、というか敦子。もはや空き家となり、荒廃したその家を去る間際、位牌をそっと胸に抱いた彼女は、再び虚空を見つめ、「あの表情」を浮かべるのだった。そして、物語の最後、とある事情で再び法廷に立った彼女は、静かにこう宣言する。「私は自分の足で生きていきます」と。その透徹した瞳は、相変わらず虚空を見つめている。しかし、当初「空洞」であると思われたその内側には、今や確実に「何か」が詰まっているようだった。我々には推し量ることのできない「何か」が。そして、彼女は我々のもと、というか完治のもとを去ってゆく。「終着駅」はやがて「始発駅」になる……つまりは、そういうことなのだ。


 本作の最大の見どころは、その「変化」にある。女優・本田翼の魅力である「空洞」が、我々の預かり知らぬ「何か」によって、いつの間にか埋められてしまった衝撃。それは、夏休み明けに再会した、同い年の女学生のような分かりやすい「変化」ではない。むしろ、見た目はある意味同じと言っていいかもしれない。しかし、確実に「何か」が違うのだ。本田翼は、その「変化」を決して言葉では説明しない。否、説明していたような気もするけど、それは問題ではない。その表情こそが、何よりも雄弁で……我々の心を惹きつけてやまないのだ。聞くところによると、もともとは釧路ロケの前に東京で撮影する予定であったという最後の法廷シーン。しかし、その撮影は、本田を気づかうベテラン・佐藤の助言によって、1ヶ月以上に及んだ釧路ロケのあとに行われることになったという。繰り返しになるけれど、見た目はある意味同じである。だが、そのなかに決して同じではない「何か」(撮影行程的にも同じではないのだが)を感じさせてしまう女優・本田翼。劇中、完治が自嘲的にひとりごちるシーンがある。「女たちが選んだ道に比べて、男たちは、何と女々しくこの世を泳いでいるのだろうか」と。その台詞に説得力を与えているのが、本田翼の「あの表情」であり、その微細だけれど明らかな「変化」なのだ。


 どんな役を演じるかではなく、結果的に、観る者にどんな感情を喚起させてくれるのか。女優の価値は、恐らくそこで決まる。予定調和ではない、この胸のざわめきよ。たとえ、どんな作品であろうとも、常に観る者の想像力を掻き立ててくれる本田翼。やはり彼女は、稀有な女優と言って差し支えないだろう。我々リアルサウンド映画部は、引き続き、独自の観点から「彷徨える空洞」本田翼を追っていきたいと思っている。(麦倉正樹)


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