【まんが】『武士道』を書いたのはキリスト教徒だった

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2016年04月05日 11:11  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

 日本人は日本論・日本人論が好きだ。だが、外国人の手によるもの、日本人が日本の読者に向けて書いたものは多いのに、日本人が外国の読者に向けて書いた日本論はあまり見かけない。どんな自画像を描くかだけでなく、どう他国に理解してもらうかも大切なはずだが、日本人によるそうした努力はあまりなされてこなかった。


 否、そうした日本論は実はある。100年以上も前に英語で書かれ、アメリカで出版された『Bushido: The Soul of Japan』だ。著者は明治時代の教育者であり思想家であった新渡戸稲造。日本人の精神を欧米人に理解してもらおうと、この本(日本語では『武士道』)を英語で書き上げた。


 出版されるやいなや高い関心が寄せられ、フランス語やドイツ語にも翻訳されて世界的なベストセラーとなった。西洋の思想と比較しながら"日本人の魂"である武士道の本質を解説した『武士道』から、多くの人が人生の知恵や教訓を得たという。今も各国で読み継がれ、まさに名著だ。


 このたび、この名著がまんが化されたのを機に、『まんがで人生が変わる! 武士道――世界を魅了する日本人魂の秘密』(新渡戸稲造・著、カネダ工房・まんが、三笠書房)から「プロローグ」と「第1章」を抜粋し、4回に分けて掲載する。


『まんがで人生が変わる! 武士道――世界を魅了する日本人魂の秘密』


 新渡戸稲造 著


 カネダ工房 まんが


 三笠書房


※シリーズ第1回【まんが】日本人の礼儀正しさは「武士道」から来ている?


◇ ◇ ◇


人に勝ち、自分に克つ! 強靱な精神力を鍛える――新渡戸稲造の『武士道』を知ろう!



師範「ステファニー。日本へ行ったら、新渡戸稲造の『武士道』を学びなさい」


ステファニー「はい師範! 昔のサムライの戦い方や、驚くような技が学べるのでしょうか?」


師範「そうではない。武士道とは、日本に根づいた精神であり、崇高な生き方を教えるものだ。いわば日本の魂だ」


ステファニー「日本の魂......?」


師範「そうだ。ただ......おそらく、今の日本の若者もほとんどが、武士道とは何なのか、知らずに暮らしているだろう。だからステファニー、日本の若者と友達になって、『武士道』を一緒に読みなさい。そこに書いてあることはきっと、おまえにも伝わるはずだし、現在の日本の若者も、『武士道』をとおして日本人の生き方を学び直すべきなのだ」


ステファニー「わかりました! 剣道の強い女の子と友達になって、『武士道』を勉強します!」


<参考記事>【動画】外国人を(嵐よりも)魅了するサムライ集団「TAO」って何者?


新渡戸稲造とは何者か!?


『武士道』の内容に入る前に、『武士道』を書いた新渡戸稲造がどんな人だったのか、彼が生きたのはどんな時代だったのか、簡単に見てみましょう。


 新渡戸稲造は1862年、現在の岩手県盛岡市に生まれました。1862年というと、江戸時代の終わりです。


 江戸時代、200年以上の長期にわたって日本は鎖国していたのですが、1853年にアメリカ合衆国の「黒船」がやってきて、日本に開国を迫りました。これを受けて鎖国を解いた日本は、徳川幕府を中心とした武家社会から、天皇を中心とした社会へと移行します。これが明治維新です。このとき、日本の社会はヨーロッパやアメリカの制度・文化を非常にうまく取り入れて、急速に近代化しました。


『まんがで人生が変わる! 武士道――世界を魅了する日本人魂の秘密』より


 新渡戸は、「黒船」来航と明治維新との間に、武士の家の三男として生まれます。幼いときはサムライの子としての教育を受けていたでしょうが、明治維新によって、サムライという階級は廃止されます。また、新渡戸家は当時としてはかなりハイカラな雰囲気で、西洋で作られたものが家の中に多くあったそうです。


 武士道の教えと西洋への憧れが、ともに稲造少年を育んでいったといえます。


新渡戸は、世界でどう活躍したか?


 新渡戸はやがて農学を学ぶことを志し、札幌農学校(現在の北海道大学)に入学します。


 ここは「少年よ、大志を抱け」の言葉で有名なウィリアム・スミス・クラーク(1826〜1886年)が初代教頭を務めた、当時トップのエリート校です。


 新渡戸の入学と入れ違いでクラーク博士はアメリカに帰国してしまいましたが、博士の影響で学内にはキリスト教が広まっており、西洋のこともたくさん学べました。


 新渡戸もここでキリスト教の洗礼を受けます。同級生には、のちに世界で活躍するキリスト教思想家の内村鑑三(1861〜1930年)がいました。クラーク博士の精神を受け継いで日本の発展に大きく貢献した新渡戸や内村らは、「札幌バンド」とも呼ばれます(「バンド」とは「人の集まり」という意味です)。


 札幌農学校を卒業した新渡戸は、「太平洋の懸橋」になって日本と西洋をつなぎたいと考え、アメリカやドイツに留学しました。彼の学問的実績は次第に、国内外で認められていきます。


『まんがで人生が変わる! 武士道――世界を魅了する日本人魂の秘密』より


 また新渡戸は、アメリカで出会った女性メアリー・エルキントン(1857〜1938年)と結婚しました。メアリーは新渡戸萬里子(萬里、万里などの記録もあり)の日本名になり、のちに日本で、貧しい子どもたちや動物を救う活動を行うことになります。


『武士道』は、なぜ世界中で熱狂的に読まれたのか?


 1895年、世界中が日本に注目する出来事が起きました。


 日本が中国との戦争(日清戦争、1894〜1895年)に勝ったのです。近代化したばかりのちっぽけな「劣等国」にすぎない島国日本が、どうして巨大な中国との戦争に勝てたのか? 世界中が驚愕し、不思議がりました。


 まさにそのタイミングで、新渡戸稲造の本『武士道』が、アメリカで出版されます。1900年(1899年との説もあり)のことです。


 新渡戸はこの本をとおして、西洋の人たちに日本人のことをしっかりと知ってもらおうと考えていました。


【参考記事】どうして日本人は「ねずみのミッキー」と呼ばないの?


 西洋から見れば遅れた野蛮な国だと思えるかもしれないけれども、日本人はけっしてレベルの低い民族などではない。日本には独自の精神があって、それは西洋の精神と比べて勝るとも劣らない。――そう伝えるため、新渡戸は世界に対して、日本人を象徴する「サムライ」という人物像を示し、そこに自分の理想を込めたのです。しかも西洋人にわかりやすいよう、西洋の思想との類似点を丁寧に挙げながら。


 日本人の強さの秘密を知りたいと思っていた西洋人たちは、こぞってこの本を読みました。そして日本に根づいた、独特の洗練された倫理観や道徳観に感嘆しました。現在の言葉でいうと、『武士道』はグローバルなベストセラーになったのです。アメリカ大統領セオドア・ルーズベルト(1858〜1919年)は多忙な中、『武士道』を徹夜で読みふけったといいます。


 あなたもだんだんと、『武士道』の内容が気になってきたのではないでしょうか?


 それでは次章から、『武士道』の中身を学んでいきましょう。


※シリーズ第1回【まんが】日本人の礼儀正しさは「武士道」から来ている?


※続きは4月6日に掲載予定です。




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