コミケの叶姉妹のようにファビュラスな行列を作れる同人サークルなどまれで、私も含めほとんどの同人サークルは行列とは無縁だ。しかし、「50人が無言で買う」場合と「買うのは5人だが全員熱い感想をくれる」なら後者の方がいいと私は思うし、そう思う同人作家は少なくないだろう。そもそも金がモチベーションになるほど稼げる同人作家など全体の1%未満であり、たいていの同人作家のモチベーションは読者からの感想だ。ここでは同人作家の力水であり生命線でもある感想獲得のためにしたことと、その成果を数値も含めお伝えしたい。
■「ツイ廃」はコミュ障どころか「包容力がある」と履歴書に書いていい
現代の同人活動には欠かせないツールはTwitterだ。同じ漫画やアニメのキャラクターが好きな「同担」のつぶやきを見るのは楽しいし、手軽にコミュニケーションができるので感想が欲しいならば本来Twitterは必携のツールだ。しかし私はTwitterをほぼしておらず、自分のペンネームでアカウントを持っていない。
それはなぜか。Twitterはストレスフルだからだ。私とて「同担」の語らいを見たいしあわよくばコミュニケーションがしたい。しかし他人はコントロールできない。同担の「もうほんと〇〇さん(自分以外の同人作家)の書く二次創作って神」とか、同担が他の二次創作作家の話を絶賛しているのを見ると妬ましいやら悔しいやらでものすごく暗い気持ちになるのだ。なお、私はそんなことはしないが「〇〇さんの話が理想!」的なつぶやきに気分を害した別の人が当てつけのような発言をすることもたまにあり、本来楽しみたくて始めたはずのTwitterが地獄絵図になるのはよくあることだ。
Twitterへの依存が強い人が自嘲的にツイ廃(ツイッター廃人)と自称することがあるが、こんな可燃性のあるSNSを長時間使える人は履歴書の長所に「包容力がある」と書いていいレベルだと思う。
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そもそも、リアル世界でのコミュニケーション力が「さほど」程度しかない人間がTwitterをしたところでそのコミュニケーション能力は絶対に「さほど」止まりだ。道具は使う人間のレベル以上にはなれない。
また、リアルにしろネットにしろ、コミュニケーション能力が高く生活が充実しているように端から見える人は、人が好きな人が多い。人とつながることのデメリットよりもメリットを大切にできて、さらにそのふるまいに無理をしている感がない「大人ないい人」なのだ。そんな人、私だって友達になりたい。
私は人とつながることの面倒くささや鬱陶しさに着目しクローズアップするタイプだ。ならば「Twitterで同人イベントに参加した際、フォロワーさんから頂いた差し入れのお菓子の山の写真をアップして周囲をうらやま死させたい」という野望を持ってはいけないのだ。スタート地点からすさまじい矛盾が生じているものがうまくいくわけがない。
使いこなせないねたみからTwitterの悪口はいくら書いても尽きることはない(これでもだいぶ字数を削った)。Twitterを使わないのは2017年時点の同人活動において翼の折れたエンジェル状態だが、自分に合わないツールは使いたくない。かといって、悪口を言うだけで何もしないデモデモダッテ野郎が死ぬほど鬱陶しいのは言うまでもないことだ。そうなると感想がほしい同人女がやれることとは何か。
答えは「Twitter以外はものすごく前のめり」だろう。
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pixivに作品をアップロードするタイミングや、同人誌を出す都度、私は「感想が欲しい」と口を酸っぱくして言っている。正直最初は「感想乞食と思われたら、恥ずかしいよぉ///」とためらいもあった。しかしよく考えれば感想が欲しくてたまらない感想乞食なのは揺ぎ無い事実だと気づいてからは吹っ切れた。
■5年目(うちオフライン2年)の二次創作同人作家がもらえた感想の数
そして、以下が私の同人生活5年で得た感想の数になる。
【5年目の二次創作同人作家(私)がもらった文字での感想】
・書いた話の数…オンラインでは20話、オフラインでは4話。イベントは過去5回参加
・同人活動をしている友人はいない
・書いているものは漫画でなく小説
・オンラインはpixivのみ(Twitterや個人サイトでアカウントを持たない)
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◆直筆の手紙…1件
◆メール…2件
◆pixivのメッセージ…2件
◆pixivの作品下に表示されるコメント…5件
◆自分で作った感想フォームから…3件
◆Twitter(ペンネームでエゴサーチした)…9件
同人誌の頒布部数と同様に、感想がどれだけ来たかというのもタブー視される話題の一つだ。さらに、同人活動の内容は100人いれば100通りなので単純な比較は難しい。ただ、上の数字は自分では「多くはないが、善戦している」とは思う。なお、頂いた感想はすべて暖かいもので、何度も読み返している。
なお、上記の中では「感想フォーム」だけが名乗らずに感想を送ることができる。名乗るのはプレッシャーかもしれないと思い最近用意したが、手軽さからわりと匿名で送ってくれる方がいるのでおすすめだ。
■pixivでブックマーク数が多い話ほど感想が来るとは限らない〜トキの法則〜
pixivの人気指標の一つにブックマークがある。ブラウザのブックマークと同じでしおりの機能になり閲覧者は作品についたブックマークの数を確認できる。しかし、「ブックマークを多くもらえる話」と「感想をもらえる話」は私の場合必ずしもイコールではない。書いたもの中には500人以上のブックマークがついている話もあるが、一番感想をもらいやすく感じるのは、50ブックマーク前後の話だ。
これは二次創作ならではの事情がある。私ははまるキャラクターが毎回マイナーな“脇役好き”だ。例えば『桃太郎』の二次創作なら、「桃太郎」「鬼」は眼中なし。「犬、猿、キジ」くらいのメジャーな脇役にはまることもあるが、「桃が流れる川のせせらぎ」クラスにぐっとくるときすらある。自分が脇役好きなので、脇役のスピンオフを書くことが二次創作だと思っていたが、たいていの二次創作において一番人気は主人公を書いた話だ。
やはり桃太郎の二次創作の場合、「川のせせらぎ萌え」で書くよりは「桃太郎萌え」で書いた方がブックマーク数は集まりやすいだろうし、私の場合も500ブックマークを超えた話は「脇役の中では比較的人気のあるキャラクターの話(『桃太郎』なら「犬」レベルでメジャーな脇役)」だった。
しかし「川のせせらぎ」クラスを主役にした超マイナーの二次創作になると、「これしかない需要」というブースターがかかる。カラスとトキなら、トキの方が「なんとかしないとこいつら絶滅する」と周囲は思うはずだ。マイナー萌えは、ブックマーク数はさほど伸びないが、感想をもらいやすいのではないかと自分の経験から思う。
■感想を送って感想はいらないとすぐに言われた悲しい話をしたい
感想が欲しい人が一番してはいけないのは「もらった感想にガタガタと言うこと」だろう。ここで悲しい話をしたい。私自身感想がほしいので、感想用のフォームを用意している他の同人作家の話に感動した際は、何かの役に立てればと極力感想を送るようにしていた。
ある同人作家の感想フォームから感想を送って間もなく、Twitterでその同人作家が「感想とか、送ってこなくて大丈夫なので……」という趣旨をつぶやいていた。よかれと思ってしたことで公開処刑されてしまった悲しみの深さを想像してほしい。
星条旗を前に誓えるが、感想を送るにあたりウザがられる以下のことはしていない。
◆感想じゃなく単なる自分語りや日記
◆返信を過度に要求する
◆仲良くなりたいと擦り寄る
◆長文すぎる
◆他をディスった感想を言う(例:ほかの人の描く桃太郎モノは苦手なのですが〇〇さんが描いたのはすごく萌えました!)
◆なぜか上から(例:ほかの人が描く桃太郎モノは苦手なのですが〇〇さんの描いたのは見れました!)
※上記はあくまで一般的な見解であり、個人的には長文の感想はむしろ大好物だ。
私の感想が何か地雷か逆鱗に触れたのか、もしくは言葉通り感想がいらなかったのか。しかし後者なら感想フォームなど自分から用意してはいけない。デートで、男の腕に胸を押し付けながら歩き、男がいざその気になったら「そんなつもりじゃない!」と怒りだす女のようなものだ。
「表情」「声の調子」がわからないオンライン上の文字のやりとりでは、分かりやすさがリアルのコミュニケーション以上に大切だ。感想がほしい私のようなタイプは「感想ください(pixivのスタンプ以外で)」とPRし、感想が不要なタイプはそれを直接言うと角が立つので「感想はお返事できないので結構です。作品を読んでいただければ」と、やんわりしっかりPRし、感想フォームなどは用意しない。スタンスを言葉と行動で明確にPRすることが読む側、書く側双方の、ひいては同人世界全体の平和につながる。
■感想以外にも同人誌を書く理由はある
最後に、前回の記事(2017年5月時点 http://otapol.jp/2017/05/post-10537.html)から3カ月たっているが、この間は同人イベントに出ず同人誌の販社を通じ通販を行っていた。この間でどのくらい同人誌が頒布できたか部数の報告をしたい。
【前提条件】
・同人誌A〜Dを制作。全て二次創作。「A」と、「B〜D」は元の作品が異なる
・書いているのは漫画でなく小説
・A〜Cは50部、Dは40部刷る
・B〜Dを同人誌の販社を通じ通販している(Aも以前はそうしていたが、委託期間が過ぎて今は販売していない)
【前回、2017年5月の頒布冊数】
A 17冊
B 43冊
C 31冊
D 12冊
合計 103冊/190冊
【3カ月後、2017年8月の頒布冊数】
A 17冊
B 50冊(+7冊)
C 37冊(+6冊)
D 21冊(+9冊)
合計 123冊/190冊
毎日部数の動きを確認したところで動きのなさに暗くなるだけだが、数か月おきに確認するのは励みになっていいものだ。
同人誌Bは50部刷って50部頒布できたので本来完売のはずだが、印刷所は余計に刷った分を「余部」として渡してくれる。それが3部残っているのだ。これが頒布できたら晴れて「完売はわわ」だ。
しかし「完売はわわ」はニュアンスとして「イケると思った数よりはるかに少ない部数を刷り、イベント開始1時間程度で完売してしまって、並んだのに手に入れられず肩を落とす人を尻目に『完売ですごめんなさい><;;」とこみ上げる高笑いを必死でこらえつつTwitterでつぶやくこと」であり、一年と数カ月かけて通販とイベントで50部を完売させた私は「完売はわわ」などではなく「同人よくがんばったで賞」だ。完売したらおいしいものを食べに行きたい。
二次創作は原作の人気に左右されるし、また「原作と二次同人作家の相性」もある。好きな二次創作同人作家が対象とする原作を変えたら「今回は前のジャンルで同人活動をしていたときほど輝きがない」と読者として思うのは残酷だがよくあることだ。私の場合も「同人誌A」と「同人誌B〜D」は異なる原作だ。書いている本人としては同人誌A〜Dどれも愛しているが、オンライン、オフラインの反響を見ると、私も「同人誌B〜D」の方が原作との相性がいいのだろう。
しかし相性のいい現ジャンルなのに、近日出る予定のイベントではジャンルを変える予定だ。気が付いたら同人誌を出したいと思うほど現ジャンルにはまってしまったのだから仕方ない。残念ながらオンラインの反響を見る限り「新ジャンルは現ジャンルよりも同人人気がなく」そのうえ「新ジャンルは現ジャンルより私と相性悪い」のも、現ジャンルにいた方がおそらく感想をもらいやすいのもわかっている。
感想は力水であり生命線だ。感想をもらえない同人活動はむなしい。しかし、感想が全てではなく、そもそも「書きたいから書く」のが同人活動だ。「一冊も頒布できなくてもその覚悟で来たのだからガタガタ言わない」を心に、次回、さわやかに玉砕したい。
(文/石徹白未亜 [http://itoshiromia.com/])
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