地上に名前の残らない人間たちの尊厳

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2017年09月05日 16:02  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<「国境なき医師団」(MSF)を取材する いとうせいこうさんは、ハイチ、ギリシャ、マニラで現場の声を聞き、今度はウガンダを訪れた>


これまでの記事:「いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く 」


前回の記事:「南スーダンの「WAR」──歩いて国境を越えた女性は小さな声で語った 」


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昼食を草原の間にある小さな、しかしよく栄えているレストランでとった。レンガの色が日に映える建物で、居住区の中にあるのが不思議だった。もともとウガンダにあったものかもしれない。


俺はそこで鳥肉と米を炒めたものと、パッションフルーツジュースを頼んだ。前者は少し水分の多いチャーハンのようなものだった。おいしいが量がすさまじかった。『国境なき医師団(MSF)』の広報・谷口さんとその日のドライバー、ロバート・カンシーミが何を食べたかは覚えていない。


再び車に乗って移動すると、途中でMSF専用の広い駐車場に寄った。そのあたりユンベ地方だけでドライバーが28人(!)いるのだそうだった。確かに鉄扉の内側のスペースにたくさんの車が止まっていた。すべての車輌にMSFのマークが貼りつけられていた。大規模なミッションであることがよくわかった。


「薬局」に立ち寄り、前夜宿泊の手はずをつけてくれた女性に御礼を言ってから、海外派遣スタッフのための宿舎に戻った。みな自分の部屋で休んでいるらしく、最も手前にある屋根の下は無人だった。


谷口さんと俺はソファに座り、ともかく誰かが出て来てくれるのを待った。のんびりとした風が吹き、敷地の中のマンゴーの樹を揺らした。日が高く上がっているが、樹木の下には濃い影があった。


1時間も経ったろうか。そのうち一人、二人とスタッフが出て来た。まず物資供給を担当するロジスティシャンのアナ・ハスヴェクが、大きな段ボール箱を抱えて歩いてきた。ごそごそと中を出すと、飲料水を入れておくフィルター付きのプラスチックボトルのようなものだった。箱の外側を見ながら、彼女は一人で淡々とその装置のセッティングを続けた。しかし、どうもうまくいかない。


俺たちもそばに行って、彼女の手伝いをした。しかし今ひとつよくわからない。すると、後ろからほとんど黙ったまま、顎ヒゲを生やしたフランス人男性、ファビアン・リューが現れ、箱の外側をよく見てからこちらに挨拶をし、パーツを組み立て始めた。


彼らには常に何かやることがあるのだった。誰かにそれがあれば、誰かが手伝う。ほとんど自助的に見えるその行為は、回り回って結局他人のためだった。小さな仕事の連続が、そうやって積み上がってプロジェクトになり、人間同士が信頼でつながっていくのを、俺はその飲料水ボトルの静かな組み立てで実感したように思った。


ファビアンに話を聞く


アナは他の用事で去った。ファビアンは屋根付きの共同スペースに残った。コーヒーでも入れて飲む気らしい。


そこで話を聞かせてくれるか、聞いてみた。もちろんOKだった。ソファに向かい合って座り、彼の取材を始めた。


目のくりくりした、笑顔の優しいファビアンはアヴィニヨン生まれで、今回が初ミッションという初々しいスタッフであった。


もともとパリでソーラーシステムの仕事をしていたというから、環境問題に興味があったのだろう。WATSAN(水と衛生)、下水システムを学生時代に学んだ彼は、やがて私企業に入って働いた。けれど、日に日に不満が募ったのだという。


「お金のことばっかり考えるのが嫌になったんです」


とファビアンはにっこり笑った。


信頼出来る先輩がいて、すでに人道援助組織で6年活動していた。ファビアンもそういう仕事がしたいと思った。


企業を3年でやめて、MSFに入った。彼からは満ち足りた活動による心の「張り」のようなものが光みたいに放射されていた。


そもそもMSFがフランス発の組織であることが彼らの幸福だと俺は思った。社会貢献をしたい時、苦しんでいる他国の人の役に立ちたいと思った時、彼らがそこに参加するのはきわめて日常的なことなのに違いなかった。


その点、俺たちの日本ではそこに一段階も二段階も超えなければならないことがある。周囲にMSFがどんな組織であるかを理解してもらいにくい(それをクリアする一助になれば、と俺はこの連載をコツコツ続けてきたわけだ)、しかもその周囲は話をいくら聞いても「なぜ?」と考える(NGOへの共感、尊敬がまだまだまだ低いから)、いったん活動しても母国に帰ると仕事がなくなっている(それでもフランスでさえ非医療関係者は仕事を見つけにくいというから、日本はどれほどの状況か。くわしくはギリシャ編でも説明した通りだ)......。


ファビアン・リューと


続いて、俺は聞いてみた。


「人道援助組織は他にもありますけど、なぜMSFだったんですか?」


するとファビアンは身を乗り出して答えた。


「MSFは問題が起こった場所に素早く入りますよね。おかげで成果がはっきりと刻々と見えるじゃないですか。それが刺激的なんです」


なるほど、それが気持ちが充実につながるのだろう。ただし、マニラのプロジェクト(妊娠や出産、性感染症や性暴力ケアなど)のようになかなか結果の出ないものにも、いまやMSFは力を傾けており、組織全体としてのチャレンジが始まってもいるのだけれど。


「それから」


とファビアンは付け足す。


「素早く動けるのは資金があるからですよね。寄付をしてくれる方々があって、我々が各地域に入る。この流れに支障がありません」


シンプルに、彼は組織の利点を語った。


俺はそのさらにその奥へ質問をさし向けた。


「ファビアン、なぜ人道援助だったんですか? ボランティアをしたかった理由というか......」


ファビアンはそこで初めて少し考えた。困っているというのではなく、肝心な話だから正確な言葉を選んでいるという感じだった。


「たとえば、水はお金持ちのためだけにあるんじゃなく、皆で分けあうべきものですよね。なければ死んでしまうんだから」


まず彼はそう言った。素朴な、しかし真実だった。


すでにファビアンが学生時代にその水と衛生というテーマを学んだのを俺たちは知っているから、彼がその頃考えたことが今にまっすぐつながっているのがよくわかった。


「水は金儲けのためにあるんじゃなく、人の生活の質を上げるためにこそある。僕はそう思うんです」


それこそがまっとうな考えというものだった。もはや日本では、これが「ナイーブ」だと言われてしまう。「絵空事だ」と言われてしまう。なぜなら本当の苦難を想像出来ないからだ。水がなくて亡くなる人のことを考えることが出来ない、ただそれだけの理由で水は金儲けの手段だとストレートに考えてしまう。残念ながら、そいつは世界からすれば非常識に過ぎない。苦難はいつ自分に回ってくるかわからないのだから。


「とはいえ、たいした知識も経験もまだないんです。でもある分だけ役に立てるなら、収入よりも自分にはそれが大切だと思っています」


またにっこり笑って、ファビアンは少し恥ずかしそうにこちらを見た。彼の若さが彼にとっての正しさを求め、それは十全に与えられていると俺は思った。


谷口さんが彼に聞いた。


「パリの周囲の方は、あなたの活動をどう受け止めていらっしゃいますか?」


ファビアンは笑いながら言った。


「友だちも家族も、みんな喜んでます。すごくいいことしてるって。ただしアフリカの奥に入るって知って、ママは心配してますけど」


まあそれはそうだろう。すぐ近くで戦闘行為が起こり、膨大な数の難民が日々流入し、気を抜けば感染症が拡大し、想定外の事態で水供給が断たれればファビアン自身危険にさらされるのだから。


けれど、彼には頼りがいのある仲間がいた。世界中から来た百戦錬磨の先輩たちだ。


素敵なレベッカと"あの存在"


その一人が、途中からふらりと現れて、近くで俺たちの話を静かに聞いていた。谷口さんが持ってきた日本からのおみやげ、ハッピーターンを気にいって上品に食べているレベッカ・オーマンだ。銀色の髪を束ねた熟練の、アメリカから来た海外女性スタッフ。最初に宿舎を訪れた時も真っ先に出て来てくれて、美しい微笑みで俺たちを安心させた人物である。


彼女にもインタビューさせてもらうことにした。


レベッカがMSFに参加したのは2012年、それまで彼女は母国で看護師、助産師を務めており、それを2011年にやめてもともと高校大学で学んでいたフランス語の猛特訓を受けたのだという。MSFの活動地でフランス語が使われている率が高いからだ。


黒縁の眼鏡をかけて膝を揃え、姿勢を正してソファに座る彼女には、どんな場所でも崩れない尊さのようなものがあった。神聖な職務に服している者の威厳、かつ相手ににこやかに微笑みかけ続ける気配り。


外では雨が降り始め、それはスコールとして急激に強く屋根を打ち、庭のマンゴーの葉を揺らした。土の表面は少し白く煙っている。レベッカはこちらに目を向けたまま、俺たちの質問に集中している。


「これまでどんな地域に行かれましたか?」


「そうね、コートジボワール、ラオスには2回、南スーダン、ネパール、またコートジボワール、そしてここウガンダでミッションは7つ目。ね、フランス語圏が多いでしょ。中でもコートジボワールではスタッフ全員がフランス語しか話さなかったので、私には大変でした」


そう言う彼女だったが、活動地ではマネージメントの職務につき、カリキュラムを作る側にもなったというから、日々の努力は十二分に実っているのだった。


「で、MSFにはどうして入られたんですか?」


「助産婦をしている時からもちろん知ってました。アメリカでこの組織は尊敬されてますから。それでなぜわたしが助産婦になったかというと、わたしは旅行が好きであちこち行ってたんですけど、ある時ミクロネシアで出産に立ち会ったんです。本当に素晴らしい仕事だと思いました」


感動したレベッカはアメリカに戻って助産婦の勉強を始めた。


「それまでわたしは中学の教師だったんです。科学を教えていて」


彼女はその感受性のまま、自らの人生を形作っていた。教師から助産婦へと、学びを絶やさない彼女は妊産婦ケアに関しても修士の資格を取るに至り、やがてそのキャリアを人道支援活動に結びつけていく。


レベッカの背筋


60歳の年だった。


「その年齢になった時、機会は今しかないと思った。そして、わたしは決断しました」


まっすぐに俺を見て、レベッカはそう言い、柔らかく笑った。まるで自分の決断を俺に感謝するように。少なくとも彼女の中で、人生の変化は自分以外の何かが起こしていることだという感覚があるのだろう。


激しい雨で塀の上まで煙り始めているのが、レベッカの後ろに見えた。俺にはそこに何かが浮かんでいるような気がしていた。なんだろう、あれは。ひとつの塊のように、小さな靄のようなものが漂っている。


今まであちこちで見てきたあの存在だ、と感じた。もはや人間の形もとらないのかと驚いた。俺は自分の感覚がおかしくなっているのかもしれないとも考えたが、だからといってそこでこちらを"見ている"存在を否定することも出来なかった。


「まだまだやらなければならないことが、わたしにはたくさんあります」


レベッカは目の前でそう言って一度口をつぐみ、わずかの間だけ下を向いて言葉を選んでから続けた。


「例えば、ここウガンダのプロジェクトでも、性暴力被害の問題が繊細で取り扱いの難しい事柄です。深い傷を受けた方々をどう支えていけばいいのか。加害者はレイプを戦争の道具にします。敵をたたきのめすために女性を、あるいは男性を犯し、本人や家族、一族をはずかしめ、心を殺して支配するんです。わたしたちは被害者が生き抜いていけるよう、その心に命を通わせてケアさせてもらわねばなりません」


俺は一人の聖者を見ているように思った。背後の靄の塊は、その聖者を守っているのだろうか。


「ウガンダだけではありません。世界中にこうした性暴力があります。わたしはもっともっとケアを学びたいと思っています。そして被害者のために役立てたいんです」


聞けば間を置かずにミッションを続け、年の半分は活動地にいるというレベッカだった。背筋を一切曲げることのない彼女は、優しい表情のその奥に深い怒りと絶望を抱え持っているのだろうと俺は思った。あまりに残酷な世界を見ても、彼女は下を向かなかったのだ。今も向かない。


そこで俺は塀の上をゆらゆらするもののことを再び考えた。それまでに人の善性といった大げさなものだと解釈してきたが、実は単にそれは俺を待っている例えば一人の難民、あるいは一人の貧しさに苦しむ人、生まれてきたけれどすでにHIVに罹患している幼児、戦争から逃れてくる途中に強姦されて心を殺された女性、つまり助けを求めている人の象徴なのかもしれなかった。


彼ら一人一人、地上に名前の残らない人間が、俺のそばまで来て黙っている。彼らは差し伸べる手さえ失っているからだ。何度も差し伸べて拒絶され、心の中で切断されている。


果たして彼のために俺が出来ることはなんだろうか。俺の先回りをし、俺を導くことの出来る、けれど自分たちを救うことが決して出来ない彼らのために?


レベッカは谷口さんと話し始めていた。過去の活動地の幾つかが重なっているらしかった。その間に、俺はなお靄のことを思った。


あ、そうか。


俺はあやうく声に出すところだった。


俺はひとつの答えを得た気がしたのだった。


それはギリシャで感じたことの延長にあった。単純なことだった。


彼らが俺だと考えることであった。ずっとそう書いてきたのになぜ気づかなかったのだろうか。俺が出来る最善の行為がそれだった。


彼らは水を待ち、食料を待ち、心理ケアを待ち、愛する物に会える日を待っている。


そして何より、「共感」を待っているのだった。自らの人生の状況に、解決よりまず先に「共感」して欲しいのだ。


だとすれば、塀の上の靄さえも俺だった。


俺より先に取材地に現れ、あるいは隣の座席に座り、時には先行するトラックの上に乗っていた人間は全部俺だとして、考え直さねばならない。


俺が飢えに苦しみ、俺が戦いに巻き込まれ、俺が犯されていたのだ。俺がスラムに住み、神に祈り、沈んだ船から冷たい海に放り出され、屈辱を与えるためだけ、未来への想像を奪われていたのだった。


「わたしの地図は」


レベッカがそう言い出していた。


「どうしてもアメリカ中心なの。あなた方なら日本中心ね。わたしはクリスマスイブにラオスでそんな話をしてみんなで笑ったわ。6カ国の人間が集まっていてね。フランスからしか見ていなかった人間、ラオスからしか観てなかった人間と、それぞれこりかたまった視点で生きてきたとわかったんです」


聖夜の前日の話だった。


では地図はどこから見られるべきか。


答えはすでに出ていた。


あらゆる他者からだ。 


いとうせいこう(作家・クリエーター)


1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」


※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。



いとうせいこう


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  • “本物の苦難に曝される”ことが、望ましいわけではありません。けれど、誰かのそういう苦痛を労らないのはもっといけません����
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