小池代表の衆院選最大の誤算とは? - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

3

2017年10月26日 15:52  ニューズウィーク日本版

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

ニューズウィーク日本版

<「希望の党」大敗の理由は小池代表の「排除」発言だけではない。東京都の有権者はもともと都議会自民党と国政の自民党は別物と考えている>


今回の衆院選の結果については、色々な分析が可能ですが、何よりも意外だったのは、事前に「旋風」を引き起こすかと思われた「希望の党」が失速したことです。この「失速」については、小池百合子代表自身の口からも「発言が人を傷つけた」ことが契機という反省の弁があったように、「排除発言」がきっかけという解説が多いようです。


ですが、それだけでは十分な説明にはなりません。東京における「小選挙区はほぼ全滅(東京21区だけで勝利)」というのは、単に「排除の論理」への反発だけで起きたとは思えません。


例えば、つい3カ月前の東京都議会選挙の結果を考えてみます。この時には、小池都知事率いる「都民ファーストの会」は49議席を獲得して第1党に躍進、一方で自民党は34議席も減らして、公明党と同じ23議席になっています。この時の「都民ファーストの会」の得票率は33.68%でしたが、今回衆院選での東京における希望の党の比例代表の得票率は17.4%。つまり半減しているわけです。この大きな差は「排除発言への反発」とか、「党の閉鎖体質を批判した音喜多発言」だけでは説明はつきません。


一つ、小池代表に大きな誤算があったとしたら、東京の有権者は「都議会自民党」と「国政の自民党」を全く別のものと考えている、この点を見落としていたと指摘できます。


まず、都議会の自民党に関しては、東京では昔から色々な問題があったわけです。その発端としては、例えば1965年の「都議会黒い霧事件」があります。議長交際費などを財源に、都議会の中で議長人事をめぐるワイロが飛び交ったという大スキャンダルで、議員13人が贈収賄で有罪となり都議会は解散に追い込まれました。この時から、都議選は統一地方選のサイクルから外れています。


その後も、議長交際費問題やカラ出張問題では、1971〜72年に疑惑が発生し、議長が交代しています。その後は、バブル経済、色々な博覧会問題や、開発プロジェクトの問題、そしてそれ以降の東京一極集中、さらには五輪がらみの利権など、様々な論点や疑惑があり、都民の都議会自民党に対する眼は非常に厳しいものがあるのです。


その「厳しい眼」というのは、つまり都の有権者は「都議会自民党」という存在に、「地方政治の論理」を見ているからです。消費者ではなく供給側の論理が優先されるとか、住民の利害ではなく商店街や不動産ディベロッパーの利害で動く、その上で不明朗な決定過程で大きなカネが動く世界、そんなイメージで見ているわけです。


豊洲の問題にしても、地下水がどうという具体的な問題よりも、そうしたハコモノの建設が一部の人々によって決定され、そこに巨額な税金が投入されるという構造に対して、都民は疑問を持ったわけで、この問題をめぐる小池都知事の言動は、そうした都民の「長年積み重なった不信の深層心理」を意識してのものだったと言えます。


ところが、そのような「不信の深層心理」というのは、あくまで「都政の自民党」というローカルなものに向けられているのであって、国政レベルの永田町の自民党はまた別なのです。と言うよりも、都の有権者にとっては「別物」であることを小池氏は見落としていたのではないでしょうか。


例えばですが、森友・加計といった問題についても、小池氏からすれば「権力の行き過ぎ」ということで、都議会自民党へ向かった「不信感」が、そこに重なっていく中で、自分たちは「クリーンな保守」として選んでもらえる、そんな期待もあったのでしょう。


ですが、豊洲や五輪のスケールに比べれば、森友・加計といった問題は、スケールが小さいですし、その小さな問題を執拗に追及する姿勢には左派的なイデオロギー色が染み付いているわけで、「クリーンな保守」からの攻撃の必要性はアピールしなかったのだと思います。


その奥にはもっと深刻な問題が横たわっているのを感じます。もっと一般化して言うなら、都市の地方行政に関しては、有権者は「納税者意識」から「小さな政府論」という感覚を持っているわけですが、国政レベルに関しては違う選択をしているわけです。その選択の背景には3つの問題が指摘できます。


まず指摘できるのは、国防や治安といった問題については、不安感があるので簡素化を求めてはいないという傾向があります。また、疲弊した地方に関しては、「道州制」的なリストラ先行型の「小さな政府論」を求めていくよりは、地方創生というスローガンにあるように、やはり必要な投資はしていくべきだという感覚がうっすらと残っているのかもしれません。


もう一つ、もしかしたら現在の有権者は、例えば2001年に始まる「小泉改革」の時とは違って、「民間活力」への期待値を下げざるを得ないということもあるのでしょう。EVシフトの遅れが顕著な自動車業界、相変わらず米系多国籍企業に席巻されるだけのハイテク業界、製造業における品質の劣化などを見ていると、「規制緩和で民間活力主導の改革」を断行して成長率を押し上げるというチャンスは、少しずつ「過ぎ去って行こうとしている」、そんな感覚があるのかもしれません。


今回の「希望の党」そして「維新の会」もそうですが、この両党の退潮には、「日本における小さな政府論の難しさ」つまり都市のローカル行政では成立した「小さな政府論」を、国政に展開するだけの思想と政策の深まりが足りないという、深刻な問題を露呈していると思われます。


【お知らせ】ニューズウィーク日本版メルマガリニューアル! ご登録(無料)はこちらから=>>



このニュースに関するつぶやき

  • 地方選挙と国政選挙を混同したのが、イカンかったな・・・
    • イイネ!1
    • コメント 0件

つぶやき一覧へ(3件)

前日のランキングへ

ニュース設定