今日は坂本龍一センセイのお話である。
奏でるサウンドはもちろんのこと、あのいかにも一クセありそうで神経質っぽい顔付きに、どこか斜にかまえた風の発言の数々……さらに「世界的音楽家」の地位を欲しいままとする確固たる実績……と、すべてをひっくるめ、坂本龍一はちまたでもよく「天才」などと称される。
だが、私は、坂本龍一は本当のところ「天才」というよりは「天才を見抜く才能に抜群と長けている」──すなわち類い希なる名プロデューサーで、かつては真の天才である矢野顕子を「結婚」という戸籍上の手続きを踏んでまで囲い込んだ……なんて、今から考えると無茶苦茶な論理で(笑)評していた時期もあったのだけれど、天才であろうが鬼才であろうが秀才であろうが、芸術界における昭和を代表する才人の一人であることだけは、間違いない。
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で、そんな坂本龍一が、東日本大震災を経て変化していく彼の音楽表現と日常を2012年から5年にわたって追った、自身のドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto:CODA』の公開にあたって、宣伝も兼ねてか『シネマトゥディ』のインタビューに応じていた。そして、さすが天才を装うのが天才的に達者な「世界のサカモト」だけあって、そのコメントのひとつ一つが、いちいち一般的な常識論とは180度かけ離れていて、我々凡夫の頭脳をぐいぐい揺さぶるのだ。私がもっとも「言えてるわ〜!」と納得しまくってしまったのは以下のくだり。
「僕はね、若者にエールを送らないようにしているんです。甘やかしちゃいけないから(笑)。結局、こんな年上の人間なんかの力を頼っているようではだめだと。目上なんて全部敵で、“ふざけるな”という敵意をむき出して、自分たちの好きなことをやるというのが若さの特権だと思うから。僕もそうやってきたし、一歳でも年上だったら敵って感じでやってきたから。そういうパワーっていうのかな、根性を持ってほしいと思います。それがまわりまわってエールになってしまうとも思うんですけど(笑)。年寄りの言う事なんて聞かないようにしたほうがいいと思います」
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「一歳だけでも、年上はみんな敵」ってえのは、まあ極論(※得てして「極論」は天才を演出しがち)だとしても、「年寄りの言う事なんて聞かないようにしたほうがいいと思います」という若者に向けてのアドバイスは、まったくもって私も同感だったりする。
とくに、インターネットやスマホの登場によって産業革命クラスの劇的な変化を遂げた昨今の社会において、我々昭和組が過去に積み上げてきた経験から語れるウンチクなんぞは、残念ながら……ほとんど役に立ちやしない。
「我々ロートルはロートルなりに勝手にいろいろやりますから、若い人たちは若い人たちの好きなよう、直感の趣くままやっといてください。そんでもって、もし世代の壁を超えて、おたがいになんらかの利益を共有できる案件があれば、一緒にコラボしましょ」
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……と、これくらいのスタンスで“敵同士”、意識し合う程度でちょうど良いのではないか?
中途半端に“理解したフリ”を演じ、「話のわかるおじさん」「イマドキ珍しい礼儀正しい若者」……と馴れ合いの関係を細々と続けているより、多少ギスギスした反目のなか、「取捨選択のうえで役に立つ情報」のみ、実利重視でちゃっかりいただいちゃったほうが、双方にとっても健全だと思うのだが……いかがだろう?