「日本で一番好きな音楽アーティストは誰ですか?」と問われれば、私は躊躇なく「井上陽水」と答える。
テニス三昧だった高校時代から、大学に入学し、ポップスやロックをすっ飛ばしていきなりインストゥルメンタル性の強いジャズに目覚めた私としては、言葉が前面に出過ぎている曲、いわゆる「歌詞に頼りすぎた曲、歌詞に必要以上な意味合いやメッセージが含まれている曲」が、どうも苦手だったりする。でも、唯一「歌(=ノド)はあくまで楽器の一つ」として割り切っているフシのある、歌詞カードを読んだだけでは支離滅裂でしかないが、その歌詞を楽曲に取り込めばなんとなくのイメージや心情が視覚的にふわっと浮かんでくる、井上陽水の何処か聴衆をケムに巻いているような世界観は、「ジャズしか聴いていなかった」ころから大好きだった。
いつか遊びに行きたいなんて
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微笑みを浮かべて五月の別れ
月と鏡はお似合いだから
それぞれにあこがれ 夜空をながめ
星の降る暗がりでレタスの芽がめばえて
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眠りから醒めながら夢をひとつだけ
あなたに叶えてくれる
(『五月の別れ』より)
なにを言ってるんだかよくわからない。なのに最高!
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そんな井上陽水が11月28日、TNCテレビ西日本で放送された特番『華丸・大吉27周年記念 祝うて三度SP』にゲスト出演したらしい。そして、そこでは井上陽水の「歌詞観」がかなり踏み込んだ部分まで、自身の口から暴露されたのだという。ああ、観たかった! とりあえず、その“暴露話”のいくつかを、『ネタリカ』にあった後追い記事から抜粋してみよう。
(奥田民生からPUFFYのデビュー曲『アジアの純真』の共同制作をお願いしたいとオファーされたとき)井上は、奥田が曲を作って送ってきたデモテープに、歌詞はないがメロディをハミングで歌っているのを「フニャフニャ言ってるわけよ、それを解読したんだよ」と明かす。それが「北京 ダブリン」という歌詞になった。
(井上陽水最大のヒット曲で音楽の教科書にも載るほどの代表曲『少年時代』は)井上が友達とピアノを弾きながら遊んでいる時に「ママさんコーラスって何かおかしいよね〜」と「ららら〜♪」とふざけてモノマネして笑っているうちに「一曲できた」のが真相だ。
そう。音楽における“歌詞”とは「意味合い」ではなく「語感」こそが命……だと私は思う。実際、『ダンスはうまく踊れない』なんかは、サビの部分の大半が「ららら〜♪」だし。どんなフレーズよりも「ららら〜♪」が、陽水的には一番ベストな語感だったんだろう。仮に、
「君だけを 愛したい フォーエバー」
という歌詞が頭に浮かんだとする。しかし、メロディに乗せれば「愛したい」より「咬ませたい」のほうが語感的にしっくりくるならば、たとえ無茶苦茶「愛したい」のだとしても、その単語は躊躇せず切り捨て、
「君だけを 咬ませたい フォーエバー」
へとスイッチすべきなのである。それがイマイチ意味不明だとしても……だ。文章で自分の想いを語りたいなら、小説や詩を書けば良い。
ちなみに、井上陽水のデビュー当時の名前が『アンドレ・カンドレ』だったのは、知る人ぞ知るエピソードであるが、これも小説家・北杜夫の愛称「どくとるマンボウ」に、麻雀の「暗カン ドラドラ」の語感を総合して「アンドレ・カンドレ」になったのだそう。この二つをどうやって“総合”すればこうなるのかは、我々の理解の域をはるかに超えているのだが……やっぱ「天才」としか形容のしようがない。