1991年生まれの小袋成彬は、R&BユニットN.O.R.K.のボーカリストとしての活動を経て、音楽レーベルTokyo Recordingsの設立後は水曜日のカンパネラや柴咲コウらのプロデュースを担当。2016年に宇多田ヒカルのアルバム『Fantôme』の収録曲“ともだち with 小袋成彬”にゲストボーカルとして参加した。また映画『ナラタージュ』の主題歌を歌ったadieuのデビューシングルのアレンジおよびプロデュースも手掛けている。
宇多田ヒカルによるプロデュースは“ともだち with 小袋成彬”でのコラボレーションが契機になったという。宇多田が新人アーティストのプロデュースを手掛けるのは今回が初めて。
小袋成彬は4月25日に1stアルバム『分離派の夏』をリリース。同作の収録曲“Lonely One feat.宇多田ヒカル”が本日1月17日に配信リリースされた。あわせて『分離派の夏』のティザー映像が公開。全14曲がほとんどシームレスに繋がった構成になっているという。
宇多田ヒカルは小袋成彬について「この人の声を世に送り出す手助けをしなきゃいけない―――そんな使命感を感じさせてくれるアーティストをずっと待っていました。私と出会うまでレーベルオーナーとして主に裏方作業に徹していた小袋成彬の表現者としての真の目覚めに立ち会えたこと、そしてソロデビューアルバム『分離派の夏』の完成をこうして皆さんに伝えられる幸運に感謝しています」とコメント。また小袋成彬のオフィシャルサイトには小袋によるステートメントが掲載されている。
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■宇多田ヒカルのコメント
この人の声を世に送り出す手助けをしなきゃいけない
―――そんな使命感を感じさせてくれるアーティストをずっと待っていました。
私と出会うまでレーベルオーナーとして主に裏方作業に徹していた小袋成彬の表現者としての真の目覚めに立ち会えたこと、そしてソロデビューアルバム「分離派の夏」の完成をこうして皆さんに伝えられる幸運に感謝しています。
■小袋成彬のコメント
2017年12月06日「分離派の夏」完成に寄せて
私はいま、ひとつの芸術作品を完成させようとしている。
世界の安寧から自らの半生をよく観察し、身体が捉えて離さない全てを、旋律とリズムの秩序に放り込んだ。主観と客観の調和を美としたが、とりとめのない作品である。ゆえに今こうして、うるし達磨の目入れのようにこの散文を書いている次第である。
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窓越しにも感じられる逃れ難い日本の暑さは、向かいの西洋風マンションの白壁を溶かしていた。
私はごく一部の人にはよく知られている程度の編曲者であったが、当時はまだいくつかの仕事を掛け持ちしていた。生活は質素すぎず倹約もせず、月に一度は朝まで大酒を飲むなど、家庭を持たぬ人間が日々をこなすには十分なお金と時間があった。その一方で私は、作編曲という仕事に人生の大義を認められないでいた。時代性ばかりが持て囃され、芸術への賛美は作品そのものが持つ強固な物語ではなく社会的風動によってのみ与えられた。時代に花を添えることよりも自己認識を変えたほうが豊かな人生だと気付いたのは、ちょうどロンドンでの「Fantôme」のレコーディングから帰国した直後である。8月に入ると、いつしか仕事もなおざりになり、耽美的な生活ばかり追い求めるようになっていた。
一連の認識の変化は、あらゆる自然の機微を美しいものへと変えていた。
過ぎた車の静けさに孤独を習い、ケヤキを仰ぎ見る子供へと注ぐ木漏れ日は儚げで美しく、短い影が作る顔の陰影からレンブラントの絵画のような老いの緊張を学んだ。見えないものを見ようとすることが耽美ならば、世界はこれほどまでに美しく輝くのか!これは人生で最も衝撃的な体験であった。みずみずしい感情が、薄皮剥がれたこの身に閃光のように駆け巡った。自らの複雑な性格がゆえに自らを世界の「分離派」と認め、これまで内なる世界を広げようとしなかった悪習などなかったかのように、恍惚な夏の日々は私をも世界へ溶かしてしまった。私はもう、単なる編曲者に戻れないでいた。
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私はその一言を読んだ瞬間、涙が止まらなくなった。捉えきれない感情が沸点を超えていた。彼の不在に対して真摯に向きあえずにいた肩身の狭い思いやその揺り戻しとしての安堵、あるいは自らへの労いだったのだろう。本当に、一日中泣いていた。
あの出来事の意味は明らかだった。彼は私に「歌え」と言っていたのだ。生きることを歓び、それを分かち合うことをさらなる歓びとし、草木の揺らぎや風のざわめきをよく感じ取り、一部となり、その声帯を振るわせろという明確なメッセージだったのだ。それが私の大義であった。もう歌わざるをえない状況にいた。
これが、本作品の完成を決意した瞬間である。
完成までに長い時間を要した。本作品は「分離派」として生きた二十六年の弔いであり、慰みであり、癒しである。おおよそ年明けくらいが、本作品のマスタリング作業になるのだろう。今はただこうして新幹線の座席に浅く腰掛け、橙色の遠州灘を遠く望みながら、私の想像を超えた世界の広がりにただ胸を踊らせるばかりである。