カフカ『審判』を東京舞台に映画化 ジョン・ウィリアムズ監督作が6月公開

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2018年03月10日 13:31  CINRA.NET

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『審判』ポスタービジュアル ©100 Meter Films 2018
映画『審判』が6月30日から東京・渋谷のユーロスペースほか全国で順次公開される。

同作は、イギリス出身で来日30年目の映画監督ジョン・ウィリアムズがフランツ・カフカの『審判』の舞台を現代の東京に移して映画化した作品。30歳の誕生日に罪状不明で逮捕された銀行員・木村陽介が、無実を主張すればするほど身動きができなくなり、やがて出口のない迷路の終焉に気づき始める、というあらすじだ。

主人公Kこと木村陽介役ににわつとむ、弁護士の田辺役に品川徹、木村の叔父役に高橋長英、木村を逮捕しにやってくる小倉役と相馬役に田邉淳一と工藤雄作がキャスティング。さらに判事と人形遣いの2役を村田一朗が演じるほか、木村を誘惑する4人の女性として、隣人の鈴木役の常石梨乃、大宮イチ演じる廷吏の妻アンナ役の川上史津子、鈴木の友人と名乗る望月役の早川知子、看護師アズキ役の関根愛が出演する。音楽はスワベック・コバレフスキが担当。

にわつとむは「Kを演じるにあたっては、共演者に対して、身に降りかかる不条理な出来事に対して、心身をさらけ出してその瞬間、瞬間に居続けることだけを目標にしました」とコメントを寄せている。

■ジョン・ウィリアムズ監督のコメント

この映画の原作は、30歳の誕生日の朝に“目覚める”男の物語です。カフカはおそらく、この年齢を慎重に、あえて選んだのだと思います。ただ目を覚ますわけではなく、ありふれた日常の中で、些細な悟りの瞬間を体験する物語の主人公を選んだのです。

目覚めてしまうと、もう、まわりを見る目はどんどん変わってしまいます。毎日の生活、仕事、従順に守ってきた社会のルール・・・「逮捕された」という最悪の事態を目の前にすると、(実際、男は何の法律違反もしていないのだが)この世界がぜんぶ無意味に思えてくる―。最近よく、こう感じるのです。「私たちは誰しも、何かしらの罪で逮捕されてもおかしくない世の中で生きているんじゃないか」―ということは、どうやって無罪を主張するのか。あなたは、あなたの「無実」を証明することはできますか?

カフカが1915年に執筆したこの物語は、いつ映画化されてもその時代に通じるものがあります。顕著なのはオーソン・ウェルズの作品でしょう。フィルム・ノワールの照明スタイルと表現派を彷彿とさせるセットで、冷戦時代の悪夢を見事に描いています。でも、私は現代の東京を選びました。悪夢が現実の世界に浸食するように、観る人が、日本、そして世界で実際に起きていることを思い浮かべてくれたらいいな、と思っています。

秘密保護法、ブレグジット、トランプ、共謀罪、モリカケ問題。同じようで、違う世界。毎日新しくなる現実で、目を覚ます私たち。この世界を変えることはできるのか、それとも、おかしいと思いながらも受け入れるのか。受け入れるとしたら、それは「逮捕」されている、ということ?疑問を持つ人はどうなる?そもそも、この世界への違和感を覚える自由、考える余裕すら、今の私たちにあるのか?

本作は、知らず知らずのうちに、私たちを支配している奇妙で、怠惰なシステムについての映画です。巨大すぎて、ほとんどの人は気にもせず、ぼんやりと見過ごすだけ。政府や、テレビや新聞や、たいていのメディアは私たちの思考を停止するのに一生懸命。少しずつ、民主主義がそぎ取られていませんか。政府なんかよりもっと陰湿で、人目につかない「何か」にさりげなく、少しずつ。

この映画が、ぼんやり寝ぼけた頭を突き刺すモーニングコールになることを願っています。その、うっとうしい目覚まし時計はこう鳴り響いています。

「お・き・ろ!」

■にわつとむのコメント
人生について明確な答えを持っている人間はいないと思います。
主人公Kもそうだと思います。
Kを演じるにあたっては、共演者に対して、身に降りかかる不条理な出来事に対して、心身をさらけ出してその瞬間、瞬間に居続けることだけを目標にしました。
果たして作品の中でKは、様々な出来事に翻弄されながら答えを見つけることが出来たのでしょうか?
この映画も、カフカの小説同様、見て頂いた方々の数だけ、解釈、感想が全く違ってくると思います。
上映後見て頂いた方々に聞いて回りたい勢いです(笑)
是非、情報化社会の荒波の中、必死で生きる皆様に見ていただきたいです。
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