「父親は早く死んだらいい」ゴミ屋敷で3年間の家庭内別居の末、離婚した女性の壮絶体験

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2018年03月13日 18:03  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

Photo by id:takefumi from Flickr

『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第14回 山本裕子さん(仮名・40代)の話(後編)

 看護師として勤務していた都内の大学病院の入院患者だった男性と退院後に交際を始め、3カ月で結婚の話に。Uターン就職したいという夫の実家がある東北へ移住したものの、義父母はもちろん、盛大な結婚式を挙げた4カ月後に出戻りした義妹からも冷たい仕打ちに遭う。その後、長男、長女を出産し、一軒家を購入するが、家事も育児もせず、妻をこき使う夫は変わらなかった。自分の両親は結婚を反対していたため、挨拶にも行かずじまいだったが、老後の面倒を見てもらおうと、九州から、目と鼻の先に引っ越してきた。しかし、その実の両親との関係も改善せず、精神安定剤を飲んで泣いてばかりいた。

(前編はこちら)

■夫が、甥の借金の連帯保証人になろうとした

――家庭内別居を3年続けながら、離婚裁判を戦ったそうですね。その発端は何だったんですか?

 義妹の息子(夫の甥)が漁協に就職した後、3年前の5月、夫が変なことを言いだしたんです。「保証人になるから、ハンコと印鑑証明持ってこい」って。何のことかと思ったら、「甥が140万円でローンを組んで車を買うらしい。だったら僕が連帯保証人になってあげたい」って。しかもその申込書、“○○ファイナンス”って書いてある。これは明らかにサラ金です。

――親である義妹が買ってあげたらいいのに……。

 彼女は息子を産んだ後、親戚のコネでいろいろ仕事していました。だけど続かなくて、家賃を滞納したり、借金取りから逃げるために居留守を使ったりしてたんです。車を買ってあげるお金なんか、彼女にあるはずがない。だから兄である夫が甥の親代わりってことで、車を買ってあげようとしたみたいです。身内愛が強いから。でも、私からしたら、とんでもない話。百歩譲って買ってあげるにしても、中古で十分だし、サラ金を使う必然性もない。下手したら、利息が膨らんで家を取られかねない。だから私、夫に言ったんです。

「連帯保証人になるってことの重さをわかってるの? それとも今後もし甥が『家を買ってよ』って言ったら、家の保証人にだってなるつもりなの? 車よりも10倍20倍の額になるよ」
「なるに決まってるだろ! 俺は親代わりなんだから」
「私は、そこまではできない。自分の子どもが一番だから。あなたがそう言うのなら、もう一緒にはいられない」
「そうですかそうですか。だったら離婚すればいいんですね。僕は弁護士いっぱい知っているんだから」
「保証人になるのも断って!」

 そんなとき、当時高3の娘が帰ってきたんですよ。帰宅早々、異様な修羅場です。緊迫感に娘は耐えられなくなって、かわいそうに泣きだしてしまいました。そんな娘を気にかけるどころか、夫は背を向けて電話をかけ始めました。

「ごめんね。保証人になれないんだ」

 すごく申し訳なさそうに、電話で言ってるんです。そのときからです。家庭内別居が始まったのは。

――その後の同居生活は、どうなったんですか?

 連帯保証人になると夫が言いだしてケンカになった後、半年以上波風を立てないよう普段通りにしていました。というのも、娘の大学受験が終わるのが、その年の12月だったからです。ただ、そういう事情を夫は知りません。だから5月以降、いきなり家庭内別居状態となりました。

――それぞれ、どこに住んでいたんですか?

夫は1階のダイニング(15畳)と2階の4部屋のうち3部屋。私たち3人は、1階の6畳間に固まって住みました。娘は私とずっと一緒に6畳間にいて、受験勉強もコタツでずっとやってました。

――旦那さんとの会話は?

 まったくありません。何か不満があって、私が直接言ったら「弁護士を通してください」って言われておしまい。同じ家にはいるんだけど、何から何まで別でした。洗濯機の洗剤とか、そのうちティッシュペーパーまで別にするようになりました。トイレはさすがに共用。だから私が結局、掃除してました。

――一緒の家にいて、攻撃したりされたりはしなかったんですか?

 トイレのドアにヘアクリームが塗りたくられてたり、髪の毛を切ったものを風呂場にまかれたりと、夫からの嫌がらせが続きました。だけど一番こたえたのは、ダイニングにある大型液晶テレビ(52インチ)の音を最大限で、しかも部屋の照明を完全に落としてのシアターモードで、夫が見ていたってこと。しかもダイニングはモノで埋まってた。ペットボトルや空き缶、各世代のデスクトップパソコン5〜6台。彼の大学時代のテキストすべてとか。6畳間とキッチン以外はゴミ屋敷状態でした。

――食事は、どうされていたんですか?

 鶏肉を2キロとか買ってきて、チャーハンと唐揚げと鶏チリ、鶏の南蛮煮、鶏シュウマイを作ったり。ミンチを何キロも買ってハンバーグを10個とか、まとめて作ったり。食費はひとり一食100円と切り詰めました。そのとき夫は事実上、お金を入れてくれなくなってたから。

――真っ暗な中、料理は旦那さんがいる前を運ぶわけですね。

 それでもね、ダイニングにいてくれたら、まだよかったですよ。夫がいたのはキッチンとダイニングの間なんです。彼が在宅中はずっとそこにいるんだけど、「通るよ」という言葉のやりとりすら、その頃はなくなってて。彼が陣取ってると、事実上キッチンは使えない状態だったの。夫は何を食べてたかって? お弁当とか買って食べていたみたい。

――3年間ずっとそういう生活が続くって、想像がつかないですが……。

 それこそ夫に放火されて、夫以外、焼死ということだってありうる状態でした。何をされるかわからないし不安なので、3人で固まって6畳間で寝ました。私と娘はシングルベッドで、息子はコタツでね。

――それに加えて、調停や裁判でのやりとりがあったんですね?

 同居しながらの離婚裁判とか調停って、本当に大変。裁判所には別の車で行き、裁判なり、調停なりを終えた後、同じ裁判所から出てきて、それぞれ別の車で移動するんです。それで、帰ってきたら、ずっと夫がいるわけ。気持ちが休まらない。

――離婚に至るまでの経緯を、お話しいただけますか?

 その年の12月。娘の受験が終わった後、近くにある法律事務所を訪問しました。20万円を支払って、弁護士に解決をお願いしたんです。目的は協議離婚の実現。だけど、夫の方が一枚上手でした。というのも、夫は保険会社のトラブル対応係で、のらりくらりかわすのが上手なんです。裁判所での振る舞い方も心得ている。それで、私がお願いした弁護士も、まんまとやられました。

――どういうことですか?

 先ほど「家にはお金を入れてくれなくなった」と話しましたが、弁護士は夫との間で「毎月15万円を振り込む」と取り決めてくれたものの、振り込み先が彼の通帳になっていたんです。夫は家に生活費を入れているふりをして、全部自分で使っていました。だから、私と子ども2人は、私の収入(手取り14万円)だけで暮らすしかなかった。

――よく飢え死にしなかったですね。

 家のローンは終わってましたが、本当に毎日がギリギリでした。それで途中、もうダメだと思って、夫に「離婚してください」と土下座したこともあります。すると、夫に鼻で笑われました。そして、椅子に座ったまま足をぶらぶらさせて、「弁護士の先生に聞いてみないとね〜」って、バカにしたように言うんですよ。

――よく心が折れませんでしたね。

 いえ、とっくに折れてますよ。ストレスまみれ。精神安定剤をどれだけ飲んでたか。その日、娘が手を握って一緒に寝てくれなかったら、たぶん一睡もできなかったと思う。その頃はほんときつくて、夫が出勤していなくなると、ひたすら皿を割りまくりました。破片が飛び散らないよう、段ボールの中でね。あとは職場の仲間ですね。看護師仲間とバカを言い合ったりすることで、気分転換ができた。

――その後は、どうなりましたか?

 半年後となる2年前の6月、人づてで別の弁護士を紹介してもらい、会いに行きました。その弁護士先生、顔を合わせたとき、「どうぞおかけください。話は聞いてます。大変でしたね。私でよかったら、お話を聞かせください」と言ってくださった。それを聞いて、せきを切ったように涙が出てきました。でも泣いて、すごく気持ちが楽になりました。精神安定剤なんかより、ずっと効きます。まさに“神対応”です。

――裁判は、どういうふうに進んでいったんですか?

 6月に相談に行って、さっそく7月に離婚調停が始まった。3回やって不調。その後、離婚の件は裁判になりました。親権を争っているわけでもないし、DVでもない。案件として、深刻さはそれほどでもない。だけど、一向に解決しなかった。

――なぜですか?

 夫が頑強に解決を阻んだからですよ。夫は親戚の手前、離婚だけは避けたかったみたい。のらりくらりと話をそらしたり、逐一、証拠の提出を要求したり。裁判官が読み間違えたら大声で指摘したりして、裁判が一向に進まないように妨害を繰り返したんです。裁判沙汰になるような、面倒な人身事故の担当を20数年やっているから、裁判所は彼にとっては“自分の家の庭”同然のところなんです。老獪のひとことです。

――結局、まとまったのはいつですか?

 同時に進行していた婚姻費用調停は、半年後に先にまとまりました。それで毎月11万円が、私の口座に入ってくるようになりました。そこからは生活が楽になって、貯金ができるようになりました。一方、離婚裁判の方は、ほぼ1年かかりました。結審したのは昨年の9月末のことです。ローンが終わっている2階建ての家は、私と子ども2人のもの。子どもは月5万円の養育費が2人分。ただ上の子は、大学を卒業する今年3月末まで。娘はまだ先なので、そのときまでですね。

――それで、旦那さんはすぐに出ていったんですか?

 また、ごねだして振り出しに戻ったら大変です。だから、年末までの努力目標としました。

――彼が家を去っていったのはいつですか?

 最後の最後、昨年の大みそかです。私たちは道向かいの両親の家にいて、彼が出ていくのを待ちました。軽トラを借りて、彼1人で作業して引っ越していきました。出ていったのは大みそかの夜9時でした。最後の最後まで、家を使い倒して出ていきましたね。ゴミがぶちまけられてて、家全体が正真正銘のゴミ屋敷になってました。

――彼が出ていった後の生活はどうでしたか?

 年が開けて元日の朝、ウォーターベッドからナメクジが大量に出てきて、ぞっとしました。だけど、これまでつらかった3年間を考えると、大したことはなかったです。意を決して駆除しました。2階の部屋のうち1つを残して3つを彼が使ってたんですけど、出ていった後、3日3晩ほとんど寝ずに掃除しました。

――ゴミは、どのぐらいありましたか?

 リサイクルショップの人には、軽トラで3往復してもらいました。お金になったものもあったので、差し引きマイナス3万円ほど。あとは全部ゴミ捨て場へ持っていきました。段ボール箱で30箱ほどと、ゴミ袋数十袋。夫のものだけじゃなくて、いらないものは全部捨ててリセットしたんです。いわば人生の一大断捨離という感じです。

――3日たって部屋が片づいた後、心境の変化はありましたか?

 朝起きて、物音を立ててもいい幸せ。ご飯をテーブルの上で食べられる幸せ。本当に何もかもが幸せ。テレビのリモコンを持って、子どもたちと一緒に何を見ようかとチャンネルを選ぶ幸せ。そういう当たり前のことが、幸せに感じられます。私、今人生で一番幸せだと思う(笑)。

――お子さんたちの様子はいかがですか?

 娘なんか、あまりの解放感からか、冬なのに家の窓を開けっぱなしにして馬鹿笑いしたり、ヘンテコな踊りをしたりしてますよ。父親に対しては、裏切られたって気持ちが大きかったみたい。だから、3年間の仕打ちについては当然恨んでます。

 息子は、もっとドライです。私が「弁護士に頼もうか」って話をしてたとき、「割り切って、生活費入れてもらってたらいいんじゃない?」と冷静に言い放ってましたもの。私が十数年前に「別れたい」って話してたときから、「覚悟してたし、父親のことはそう見てた」って、離婚後に話してくれましたから。

 ともかく、今になって言えるのは、3人で結束したからこそ、この3年間を乗り越えられたってことです。だから、子どもたち2人との絆はものすごいですよ。

――今後、子どもを父親に会わせますか? 

 息子は23歳で、娘は20歳。もう2人とも大人だから、会いたければ会いに行けばいいし、連絡も取ればいい。だけど、子どもたちにしたって、そんな気持ちはさらさらないみたい。「早く死んだらいい」って言ってるぐらいだから。怖いのは、彼が病気になったときです。15年以上、1日3回風邪薬を飲み続けていたぐらい呼吸器がおかしいんです。タバコの吸いすぎ。このままだと、持病の肺気腫が悪化する。そのとき子どもたちに「助けて」と言ってくるかもしれない。

――この先、元夫と会うのは嫌ですか?

 私は二度と会いたくないし、風のうわさでも、彼がその後どうなったか……とかすら聞きたくもない。ただ、彼は保険会社の人だから、うちの病院に仕事で電話をかけてくるんですよ。本人から。お互い、相手のことはわかっているけど、名前は名乗らない。それで「はい担当者に代わります」と言って電話を渡します。つまり、お互いに名乗りはしないけど、会話はしてるわけ。そんなふうに、大人な対応をさせてもらってるんです。

 婚姻費用調停後、入ってきた月11万円ずつの貯金を使って、近々、家をリフォームする予定です。どんな家にするか、いろいろ考えるのが楽しいですね。

西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『〈日本國〉から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

このニュースに関するつぶやき

  • 考えさせられますね。これは父親と夫になってないですね。わがままな子供。発達障害なのでは?
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