逝去した作家・内田康夫が安倍の改憲路線を真っ向批判!「集団的自衛権容認は間違ってる」「憲法は押し付けられたものじゃない」

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2018年03月23日 23:11  リテラ

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内田康夫『遺譜 浅見光彦最後の事件』(KADOKAWA)

 今月13日、作家の内田康夫氏が敗血症のため都内病院で逝去していたことがわかった。83歳だった。



 内田氏といえば、代表作「浅見光彦シリーズ」をはじめとした推理小説作家の大御所だが、彼の作品は時に「ミステリー」の枠を飛び越え、政治社会や歴史などに踏み込んでいくことでも知られている。



 たとえば、2014年に出版された『遺譜 浅見光彦最後の事件』(KADOKAWA)では、かつてヒトラーユーゲントの随行で来日したドイツ人により日本側に渡されたフルトヴェングラーの楽譜を発端に、第二次世界大戦中の日本やドイツにまつわる暗い歴史が描写されていた。



 この作品の執筆にあたり内田氏は三度にわたりドイツを訪問しているが、そこで彼は、日本とドイツとの間にある歴史認識の違いを痛感したと語る。しんぶん赤旗日曜版2014年9月21日号に掲載されたインタビューで、内田氏はこのように述べているのだ。



「取材すると、ナチスのユダヤ人弾圧の歴史もあって、戦争史をきちんと教えている。ドイツ人は歴史認識が深いです。それに比べて、日本は戦争をどれだけ教科として教えているのか。戦争に対する姿勢が、日本とドイツとでは違う感じです。ユダヤ人の強制収容所へも行きました。公開の仕方が行き届いていましたね」



 さらに、内田氏はこのインタビューで、安倍政権が当時、進めようとしていた安保法制について、このような真っ向批判を行っていた。



「全然間違っていると思います。これまでは憲法のもとで手かせ足かせをつけて自衛隊が存在してきたんですが、集団的自衛権の行使容認で海外派兵も可能にしてしまう。これをやっちゃっていいのかなあと、ひとりの国民として思います。大多数の人はそう思うのではないでしょうか。それにもかかわらず政治が先行する。この状態は怖いです」

「憲法の解釈が時の政府の意向で変わるのは、誰が考えてもおかしい。これはイデオロギーに関係なく変ですよ」



 断っておくが、赤旗に登場したからといって、内田氏は共産党員でも左翼でもない。むしろ、愛国主義的な一面ももちあわせていた。



 彼の作品のファンにはよく知られているが、「浅見光彦シリーズ」では「靖国問題」が物語の1ピースとして登場したことがある。たとえば、1984年に出版された『津和野殺人事件』(徳間書店)では、靖国神社への参拝に熱心な浅見光彦の母・雪江が、そういったことにあまり関心のない光彦に「国のために亡くなった人たちの霊にお参りするのは、為政者にとって当然のつとめである」といった演説をぶつシーンが存在する。



 それは作者本人の考えともある程度シンクロしているもののようで、「SAPIO」(小学館)2008年2月13日号のインタビューで内田氏は、政治家の靖国参拝をめぐる問題についてこのように語っている。



「中国や朝鮮の人にとっては靖国神社は不愉快な存在でしょうけれど、しかし、外国に言われたから参拝を控えるというのは主体性がなく、姿勢として美しくないと思いますね。こういうことをあまり主張すると中国へ旅行に行けなくなっちゃうかもしれませんが。結局、政治家は経済制裁が怖いんだと思います。例えば、中国と今ほど経済的な結びつきがなかった時代には、何も気にせず参拝していたわけでしょう」



 しかし、そんな内田氏でさえ、ここ数年、とくに第二次安倍内閣発足以降の極右化に対しては強い危機感を抱くようになり、戦後民主主義が崩壊しつつある現状に対して警鐘を鳴らすような発言が目立つようになってきていた。冒頭で紹介した安保法制以降も、そうした右傾化を批判する発言を口にしている。



 たとえば、15年には毎日新聞の読者投稿欄「みんなの広場」に文章を投稿。安倍首相を含めたネトウヨ層が、日本国憲法を「押し付け憲法」と呼ぶ状況に対してこのように反論した。



〈政治家、評論家に限らず、一般国民でも、改憲論者の多くが憲法改正を必要とする名目の第一に「押しつけられた憲法だから」という理由を掲げる。終戦直後の混乱期に敗戦国日本が戦勝国側の指導を受け、明治憲法を捨て新たに民主憲法を制定したことは事実だ。しかし、それを「押しつけられた」ものという認識はない。むしろ、帝国主義と軍国主義のもと、一方向しか見えていなかった国民に、広い視野と新たな価値観を与えてくれた贈り物として、大切にしていきたいものである〉(15年6月9日付毎日新聞朝刊)



 こうした発言の背景には、内田氏の戦争体験がある。内田氏は1934年に東京都北区で生まれている。小学校に入学するころに太平洋戦争が始まり、卒業するころに敗戦を迎えた世代だが、同学年には大橋巨泉や愛川欽也などによる「昭和九年会」のメンバーがおり、彼はその世代の特徴を「週刊文春」(文藝春秋)2011年4月14日号のインタビューで「日本は勝つと疑わなかったし、大きくなったら兵隊さんになるものだと信じていたのに、負けた途端にアメリカが偉くて日本は悪いということになって。すべての価値観がひっくり返ったわけです。だから、まず世の中や人間を信用しない」と語っている。



 内田氏の父は自宅と同じ敷地に建てられた診療所で町医者をしていたが、東京大空襲により、家はもちろん、医療器具のたくさんある診療所もろとも全焼してしまったという。そのときの思い出を前掲「週刊文春」で内田氏は「自宅は全焼していました。真っ白な灰が積もって、一面が焼け野原になっていた。そこに佇んでいた父の虚無的な笑顔が忘れられません」と語る。



 晩年の彼が、戦争へ向かおうとする社会へ警鐘を鳴らし続けた背景に、このような戦時体験は大きな影響を与えているだろう。



 現在の政権は70年以上前に得たはずの教訓を活かそうともせず、再び同じ過ちを繰り返そうとしている。その最中、このような先人の言葉はとても重いものとして響く。内田氏が残してくれた言葉を胸に刻みながら、ご冥福を祈りたい。

(編集部)


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  • リテラはとうとう、「赤旗」お抱えの論客を使うまで落ちぶれたか(°□°;)
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