『ショーン・オブ・ザ・デッド』元祖“伏線回収ゾンビコメディ”の魅力とは? E・ライト監督の映画愛

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2019年04月01日 12:51  リアルサウンド

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 みなさん、突然ですがゾンビ映画って「〜オブ・ザ・デッド」というタイトルが多いですよね。これはゾンビの生みの親とも呼ばれている監督ジョージ・A・ロメロが手がけた『ゾンビ(Dawn of the Dead)』からの派生や、オマージュ的な作品に付けられているものです。最近では、原題は全然違うのにゾンビものだから、という理由だけで邦題が「〜オブ・ザ・デッド」になるものがあります。ちなみに、あの『カメラを止めるな!』も英語題は『ONE CUT OF THE DEAD』なんです。


参考:『ショーン・オブ・ザ・デッド』の魅力


 『カメラを止めるな!』は伏線回収の気持ち良さ、コメディとして扱うゾンビ映画ものとして日本で大ヒットしました。しかし、実は今日より15年前すでに伏線回収しまくりのゾンビコメディが日本に上陸……したのにDVDスルーされていたのです。


 世界中でカルト的人気を誇る本作。ついに3月29日より満を辞して15年ぶりにスクリーンで上映されるのです。お待たせしました、みなさん、『ショーン・オブ・ザ・デッド』です! これを記念に、本作を愛して止まないファンの一人として、映画の魅力を余すことなく語らせてください。


全然かっこよくない主人公が、ダメダメな感じでも男になる物語
 本作は、イギリスを舞台に29歳のダメダメな主人公ショーンと、彼のマブダチである葉っぱ売りのエドが突如起きたゾンビアポカリプスの中をサバイブする映画です。


 もう、このショーンのダメさが映画の魅力(というか内容)の大部分を占めるんじゃないでしょうか。29にもなって、学生時代からの友人とルームシェア。彼女のリズとは、デートでいつも同じウィンチェスターのパブにしか連れて行かないものだから振られてしまう。家電量販店で務め、仕事に対しても特に意欲はない。ゾンビに立ち向かう時も、最初はビビって遠くからレコードとかを投げつけて、しかも全然当たらないというヘボさ。


 ショーンとは、リズの言葉を借りると「アラサーなんだから、いい加減大人になってくれない?」と各方面から詰められそうな男の代表なのです。しかし、そんな彼が「大切な者を亡くしたことで、一念発起する」というヒーロー映画のテンプレのような物語を通して英雄になる姿が良い。後半、何故か急にかっこよくなる感じとか、まさにそれです。


 そして主人公だけではなく、周りのサブキャラクターもそれぞれ個性が強く、それが活かされているのが本作の良いところです。


・ エドガー・ライトによるロメロへのオマージュ
 本作は、先述のロメロ監督へのオマージュが多く見られます。まず、映画の冒頭で流れているのは『ゾンビ』の曲。それだけでなく、『ゾンビ』の主人公ピーターを演じた俳優、ケン・フォリーへのリスペクトを込めてか、ショーンの務める家電量販店の名前は「Foree Electric」です。また、同作に登場するゾンビのボブの名前を、コルネットアイスやソーダを近所のコンビニに買いに行く途中にあるピザ屋「Bub’s Pizzas」として使っているのです。


 さらに、ショーンの母親の名前バーバラにも注目。これはロメロ監督による『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のヒロインの名前です。しかも劇中、エドがショーンの母を救いに行く際、電話口で「We’re coming to get you, Barbara!(今助けに行くからね、バーバラ!)」という台詞を言います。これは、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の冒頭でジョニーが、墓場を怖がる妹バーバラに対して「They’re coming to get you, Barbara.(お化けがやってくるぞ、バーバラ)」という台詞のパロディなのです。


 こんな風に、大好きなロメロ監督の作品をとにかく自分の作品でパロディ化した男、それがエドガー・ライト監督です。とにかく映画愛に溢れる彼の作風は、本作『ショーン・オブ・ザ・デッド』から始まる「コルネット」(劇中に登場するアイス)三部作の中でよくわかります。


・ “ゾンビ映画あるある”に滲み出る監督のオタク性
 そんな彼は本作で、先述のような尊敬する映画へのオマージュにとどまらず、様々な“ゾンビ映画あるある”に対して自分なりの答えを出しています。例えば、エドがゾンビのことを「ゾンビ」って言うのに対して、ショーンが「ゾンビっていうのはやめろよ、滑稽だろ」というシーンがあります。これなんか、まさに監督自身の意見ですよね(笑)。


 また、不仲だったやつが死に際に「本当は愛していたんだ」と赦しを請うという“あるある”も登場。加えて印象的なのは、ショーンたちがリズや母を救出してパブに向かう道中のシーンです。彼らは静かに移動しようとしているんですが、とにかく常に誰かの携帯が鳴り響いていたり、車のアラーム音が鳴っていたりと騒がしいのです。他のゾンビ映画を観ているとたまに、緊迫感があるシーンは凄く“静か”なんです。


 でも、確かにライト監督の通りで、そんな状況下にあったら、誰かが安否確認のために携帯を鳴らしまくったり、事故が多発していて街中は騒がしいはずなんです。こういうフィクションの中でリアリティを追求する姿勢も、ライト監督のオタク気質というか、映画愛を感じさせられます。最高ですよね、彼。


・ しっかりしたゾンビ映画であるわけ
 『ショーン・オブ・ザ・デッド』が本当によくできているな、と思うのはもちろんキャラクターの魅力もそうなのですが、しっかりとしたゾンビ映画をやっているからなんです。というのも、本作ではイギリスに対する、イギリス風ブラックジョークがてんこ盛り。例えば、オープニングコールが出た時に街中を歩く人がゾンビのような歩き方をしたり、その後もショーンが出勤中に乗っているバスの中にいる人が、既にゾンビのように無気力だったり……。映画の中で働きに行く人=ゾンビ、のような構図になっているのです。


 さらに、もう一つ大きな点を挙げると「誰も気にしない」ことです。映画前編では、テレビのニュースや新聞というあらゆるメディアで“異変”を訴えています。それだけでなく、街中では人が虚ろな状態で鳥を食べようとしたり、倒れたりしている。


 しかし、それらをショーンが見ようとするといつも邪魔が入るんです。これは、彼が流されやすい人間であることを表していると同時に、周りに対する無関心さを風刺しているのです。後者に関しては、彼のみならず国民全体が、というように感じます。何故なら、リズもそんな大事が起きているのにずっとディナーデートのことばかり考えていたわけですから。


 この演出の最たるものは、ショーンが昔の友達イヴォンヌと再会した時です。彼らが近況を話している背後では、救急車がやってくるなど異常な光景が広がっている。それでも、彼らは一切それに気を取られていないわけです。終いには、ショーン含む登場人物たちが遂にゾンビと対面したにも関わらず「超酔っ払ってる」「ヤク中に噛まれただけだ」と、“こういう光景はいつも通りだ”というかのようにお気楽でいる始末。どんだけ普段からヤバいんだよ、イギリス! と思わず突っ込んでしまいます。


 ライト監督が敬愛するロメロが資本主義を意識していたように、良きゾンビ映画にはいつも風刺的要素があります。本作もそういった文脈で、単なるパロディコメディに止まらない傑作なのです。


・ゾンビコメディの先駆けであり、スルメ映画
 本作のラストも、まるでライト監督が「Why not」と言うかのような展開を迎えていて、最後まで彼の追求したゾンビ映画となっています。加えて、結末の描き方は『ゾンビーノ』、ダメでヘタレな主人公が女の子のために男になるという設定やテンポの良さは『ゾンビランド』など、後に出てきたゾンビコメディに明らかに影響を与えているのです。ライト監督、本当にこの映画を作ってくれてありがとう!


 まさにゾンビコメディの先駆けである『ショーン・オブ・ザ・デッド』。観るだけで、作品と監督を最高に愛してしまうし、様々な仕掛けが散りばめられているから観るたびに新しい発見がある。そんな快作をを大きなスクリーンで拝めるなんて、こんなに素晴らしい機会は他にないでしょう。  (文=アナイス(ANAIS))


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