『ブラック・クランズマン』スパイク・リーよる“映画的復讐”とは 2つの引用作品をもとに考察

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2019年04月02日 12:01  リアルサウンド

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 1986年のデビュー以来、今日まで一貫してアメリカ社会の歪みに目を向け続けてきたブラック・ムービーの巨匠スパイク・リー。彼の新作『ブラック・クランズマン』はアメリカ映画史に対する自身の復讐心が込められている。映画誕生からアメリカで描かれ続けてきたスクリーンの中の“白人による白人のための黒人像”は、近年『ブラックパンサー』のメガヒット、そして『ムーンライト』や『ゲット・アウト』のオスカー主要賞獲得などから、映画業界としても見直しが図られはじめていることがうかがえる(3作品とも黒人監督と、大多数を有色人種が占めるスタッフにより製作)。スパイク・リーはこの『ブラック・クランズマン』でどんな映画的復讐を図ったのか。劇中で象徴的に引用される2作品を例に紐解いていこう。


参考:『グリーンブック』が作品賞受賞! 第91回アカデミー賞は“変化へのためらい”を象徴する結果に?


■『ブラック・クランズマン』とは?
 本作は同名ノンフィクション作品を基に、1979年コロラド州コロラドスプリングスの警察署で初の黒人刑事として採用されたロンと白人刑事フリップが敢行した白人至上主義団体「KKK(クー・クラックス・クラン)」の潜入捜査を描くクライム・エンターテインメント作品。アカデミー賞では作品賞、監督賞など主要部門含む6部門にノミネートされ、脚色賞を受賞した。


■本作に登場する二つのアメリカ映画
 オープニングシーンで引用される『風と共に去りぬ』は、南北戦争により南部の貴族的社会が崩壊するなか、社交界の中心にいたジョージア州の大地主の長女スカーレット・オハラが強く生きる姿を描く壮大な一大叙事詩的作品である。1939年度の第12回アカデミー賞では最多ノミネート作として、作品賞、監督賞、主演女優賞など9部門を総なめ、映画史上空前の大ヒットを記録した。しかしその映画史的評価とは裏腹に、南部の大地主の娘であるスカーレットという白人富裕層の立場を美しく描写することで、その生活が実際は黒人奴隷の強制労働と支配の上に成立していたことを暗に肯定しているとして、近年では一部から懐疑の目が向けられる。『ブラック・クランズマン』で引用された『風と共に去りぬ』のラストシーンで象徴的にはためく南軍旗は現在もミシシッピ州旗のデザインの一部として用いられている一方で、 KKKが集会で愛用していることなどから奴隷制や有色人種差別を正当化する人々のシンボルとして南部白人の多くを除く人々からは非難の声が上がる存在でもある。


 そして物語の終盤、KKKが会合で鑑賞しているのは1915年公開の『國民の創生』。それまではあくまで演劇の記録映像としてのみ機能していた映画において、クロスカッティングやクローズアップ、フラッシュバックなど革新的な表現技術を生み、演劇とは独立した芸術表現としての映画の立場を基礎づけた作品。監督のD・W・グリフィスは”映画の父”と呼ばれる。だが、その革新的な発明の一方で、内容は南北戦争後の南部で選挙権を獲得し権力を握った野蛮で無知、乱暴な黒人の暴動をKKKというヒーローが撃退するといった人種差別的描写によって構成されていた。結果としてグリフィスの生んだ映像表現の巧みさが当時の白人至上主義者が抱えていた差別精神を煽動し、本作公開後一旦は収束していたKKKを再結成させてしまう事態にまで発展。反人種差別団体による猛抗議と上映禁止運動が起こり、シカゴなど一部の地域では上映が禁止されるなど、皮肉にも映画表現の祖でありながら”アメリカ映画最大の恥”と呼ばれ、様々な意味で映画史に大きく名を遺している。作中では集団で白人に襲い掛かりリンチしたり議会に酒を飲んで出席するなど、非常な白人至上主義的バイアスのかかった黒人像が一貫して描かれている。


 また、『國民の創生』公開の1915年当時、表舞台に立つことが許されなかった黒人役を黒塗りした白人が演じるミンストレル・ショーが盛んに行われていた。多くの黒人役が登場するこの作品でも黒塗りの白人俳優ら演じる黒人集団に襲われる白人、それを“ヒーロー”であるKKKが救出するべく向かうシーンがクロスカッティングによってみられる。


■スパイク・リーの怒り
 リーはファレル・ウィリアムスとの対談で、NYUフィルムスクール在学中『國民の創生』を授業の課題として鑑賞したと語っている。彼がNYUに在学していた1980年代当時は、人種差別的な内容に対する批判が公にはなされていなかった。よって教授はネガティブな要素には一切触れず、偉大な教材として学生たちに紹介した。怒りを覚えたリーは80年に短編『The Answer』で『國民の創生』を黒人側の視点から再創生し反発。これが“映画の父グリフィスへの冒涜”だと教授の怒りを買い、一度は退学命令を言い渡されたという(結局、彼がすでに給付金を支払っていたこと、そして備品室のアシスタントとして熱心に働いていたことで退学は免れた)。


 1人の黒人映画監督の復讐心はこうした怒りを種に育まれることとなっていった。では、いかにして彼は本作内で映画的復讐を遂げたのか。


■ミンストレル・ショーへのカウンター、逆ミンストレル
 白人が黒塗りをほどこし間抜けな黒人を演じることで黒人を笑いものにするミンストレル・ショーが、『國民の創生』の構造にも用いられていたことは先述のとおりである。『ブラック・クランズマン』では、黒人であるロンが白人訛りを使うことで、電話越しの相手であるKKK関係者を騙すことが物語の大きなキーとなっている。ロンの”ホワイト・ボイス”と呼ばれる白人の話法により、KKK幹部デビッド・デュークの信頼までまんまと勝ち取ってしまうところが笑いどころとなっている本作のプロットは、ミンストレル・ショーの手法を逆手に取った構造となっている。


■クロスカッティングの利用
 『國民の創生』で初めて長編映画に用いられた技法・クロスカッティングは、異なる場所のカットを交互に切り返してつなぐ手法。1シーン1シチュエーションを捉えることしかなかった当時の映画に、二者の状況を同時進行で見せることで物語のドラマ性を視覚的に盛り上げることをもたらしたこの発明は、その後の映画表現の在り方を変えたといえる。『國民の創生』ではKKKのヒロイズムを演出する効果を発揮していたこのクロスカッティングを、リーは全く逆の目的で用いている。終盤、KKK入会式で会員たちが『國民の創生』を鑑賞しながら黒人の暴動に耐える白人、それを救いに向かうKKKの姿に歓声を送るカットと、老いた黒人男性がかつて白人から受けた迫害の様子を語り、それを囲む学生団体たちを捉えたカットがクロスオーバーする。かたや映画というフィクションによって築かれた虚構の事実に興奮する集団と、一方でその身に降りかかった忘れがたい悲しみの事実に怒りの声を上げる集団が、観客の目には対比的に映るのだ。


■本作における復讐の意義
 南北戦争を時代背景に白人富裕層社会をドラマティックに描いた作品『風と共に去りぬ』のワンシーンで始まり、1979年コロラド州における白人至上主義団体を取り巻くクライム・エンターテインメントを映画の祖『國民の創生』まで巻き込み繰り広げる本作が着地するのは、アメリカの現在である。終盤でスクリーンには、2017年8月12日バージニア州シャーロッツビルで起きた白人至上主義者らと反対派による衝突の際の実際の映像が映る。この映像は、反対派のデモにネオナチの男性が運転する暴走車にはねられた参加者ヘザー・へイヤーが命を落とす凄惨な瞬間を捉えている。犠牲者のヘザーが彼女のfacebookページに残した最後の投稿にこんな言葉が綴られている。”If you’re not outraged,you’re not paying attention.(あなたが怒りを感じていないのは、注意を向けていないからだ)”


 『國民の創生』が公開された1915年当時から今に至るまで、我々は果たして正しい歩を進めてこれたのだろうか? そんなリーの問いで本作が締めくくられているのは、劇中にも登場するKKKの元指導者デビッド・デュークに支持される大統領がアメリカを治めている今こそ、私たちの生きる時代であるからだ。


 これまでにも『ドゥ・ザ・ライト・シング』『マルコムX』と映画史に残る傑作でアメリカ社会におけるマイノリティの在り方に警鐘を鳴らし続け、本作で念願の初オスカーを手にしたスパイク・リー。その名を封筒の中に見つけたプレゼンターのサミュエル・L・ジャクソンは、思わず「やった!」と興奮の声をもらし、二人はオスカーの壇上で抱き合い喜びをあらわにした。受賞スピーチで語った「皆で歴史の正しい方向に一歩踏み込もうではありませんか。Do the right thing!」。その言葉通り、彼はこの『ブラック・クランズマン』で映画史の正しい道付けを示した。


■菅原史稀
編集者、ライター。1990年生まれ。webメディア等で執筆。映画、ポップカルチャーを文化人類学的観点から考察する。


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