木村拓哉の原点は岡本健一? SMAPメンバーの名前も出たラジオでの思い出話を聞いて

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2019年04月10日 06:01  リアルサウンド

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 木村拓哉がMCを務めるラジオ『木村拓哉 Flow supported by GYAO!』(TOKYO FM)に、マンスリーゲストとして岡本健一が登場した。岡本といえば、ジャニーズでは珍しい本格ロックバンドをコンセプトにした男闘呼組のメンバーとして活動し、解散後は俳優業を中心に活躍。キラキラな衣装に身を包んだ、いわゆる“ジャニーズアイドル”とは異なる道を駆け抜けてきた人物だ。木村自身もジャニーズアイドルの歴史を塗り替えてきた先駆者。その歩みの前には、いつも岡本の背中があったという。


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 「自分がジャニーズ事務所というところに足を踏み入れたときに、ファーストコンタクトから非常に兄貴分として接してくれた方ですね」という言葉通り、岡本を前にした木村は普段とは異なる弟感が溢れ出す。木村と岡本は1972年生まれと1969年生まれの3歳違い。負けず嫌いなところも似ているのか、オープニングからこんなやり取りが続く。


木村「ゲストはジャニーズ事務所の大先輩でもあります、岡本健一さんです」
岡本「大先輩ってほどでもないでしょ?」
木村「いや! 大先輩っていうカテゴリーに入っていいと思いますよ」
岡本「いや! マッチ(近藤真彦)とかが、大先輩ってイメージだけどね」
木村「いや、近藤さんとかは先輩ではあるんですけど、先輩の域じゃないっていう感じ(笑)」
岡本「いや、俺マッチとか喋れねーもん、ちゃんと(笑)」
木村「いや、むしろ“(モノマネして)俺マッチとか喋れねーもん”っていう感覚が自分の中にはないです」
岡本「まあ、本人目の前にしたらマッチとは言えないけどね」
岡本&木村「ふふふふ(笑)」


 ふたりが出会ったのは、原宿にあったジャニーズの合宿所。少年隊や諸星和己、城島茂らが生活していたという合宿所に、男闘呼組も生活していたという。木村が、冷蔵庫にあった植草克秀のいちごみるくを勝手に飲んでしまい、ものすごい剣幕で「誰だ!? 俺のいちごみるく飲んだの、コノヤロー!」と怒られた話を披露すると、岡本は「ハイって言った?」と合いの手を入れる。「いや、言わなかったです。言うわけないです!」という木村に、岡本は少し笑いながら「言えないよな」と、気持ちを受け止めるように答えるのだった。


 まるで1週間前にでも起きた出来事かのように、木村の思い出話は鮮明だ。「で、とある先輩が“おーい”って言って。“中居、森、稲垣、香取、草なぎ、来いよ! 服やるよ”ってなって。あれ、俺は? ってなって(笑)」と、SMAPメンバーで木村だけ呼ばれなかった苦い思い出も飛び出す。「ちょうど、そのタイミングで、岡本くんが通りかかって、“木村、飯行くぞ”って言って。連れて行ってくれたんですよ」と、木村が岡本を慕うようになったきっかけを語った。


 原宿にあった半地下のカフェバー。フロアには映画の映像が流れる大人な雰囲気の中、唐揚げが乗ったピラフをごちそうしてくれた岡本。木村にとって、“カッコいい兄貴像”が生まれた瞬間だったのだろう。それから、岡本に教わった美容室に行き、岡本からもらった黒のエレキギターを触り始めた、とも。そして、岡本が19歳で立った蜷川幸雄演出の舞台『唐版 滝の白糸』を観劇したという木村は、その翌年17歳で蜷川幸雄のもとで初主演舞台『盲導犬』に挑むことになる。俳優・木村拓哉の原点にも岡本の存在が関わっていたことが明かされた。


 対して「俺が覚えてるのはね、拓哉が教習所通いだして、“仮免取ったんすよー”って(笑)」と、岡本から語られる木村は人懐っこくて実に可愛らしい。18歳の木村と21歳の岡本が、クライスラーのニューヨーカーに乗り込み、ロックをガンガンかけてドライブへ。青春映画のワンシーンのような光景が脳裏に浮かぶ。「どっかの陸橋のカーブに行ったときに、拓哉が全然曲がりきれてなくて、俺が“そうじゃない! そうじゃない!”って言ったのは、すごく覚えてる」(岡本)、「あははは! 恥ずかしい」(木村)。そんなドタバタ感も、きらめく青春の1ページだ。


 携帯電話のない時代、岡本に「方南町の信号のところに立ってろよ」と言われて、30分くらい立って待っていた木村のいじらしさ。そんな木村を岡本は地元・高田馬場の中華料理屋へ連れて行ったり、「ここ面白いよ、こいつ面白いぜ」とクラブやミュージシャンを教えたり、と可愛がっていった。


 次第に、ロックの世界にどっぷりとハマっていく岡本は、髪の毛を伸ばして染め、ピアスを開けて、私服っぽい衣装を着こなしていく。いわゆる“ジャニーズらしさ”とは違うカッコよさを追求していく岡本を見て、木村も「影響されて、金髪メッシュにしたじゃないですか。先輩がやってるなら俺もやろーって。で、光GENJIのバックに出るとき、“You、最悪だよ”って言われて(笑)。黒い髪スプレーをブワーってかけられて……」と、先駆者がぶつかる大きな壁があったことも語られた。


 一方、岡本も「俺は“拓哉のことで相談があるって”事務所に呼び出されて、“拓哉があなたの真似をして髪を伸ばしたり、メッシュを入れたり、ピアスしたり、悪い影響を受けてるから、あなたからやめなさいって言って”って(笑)。え、俺が言えばやめるの? っていうか、俺、そんなダメ? って(笑)」と、知られざる攻防があったことを明かす。


 当時は、木村の人気がうなぎのぼりに上がっていったころ。岡本は「やめろ」どころか、「今、とにかく好きなこと全部やれ! (髪を)伸ばしたかったら、膝まで伸ばせ!」と木村の背中を押したのだという。90年代を象徴するキムタクファッションは、岡本の男気ある助言があればこそ、生まれたものだったのかもしれない。第1回目にして、これほど濃厚なトークを繰り広げたふたり。次回以降、どこまで深い話が聞けるのか期待が高まる。(文=佐藤結衣)


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