平成ドラマ史を振り返る評論家座談会【前編】 “暗さ”を楽しめた1990年代と、俳優・木村拓哉

0

2019年04月29日 10:01  リアルサウンド

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

リアルサウンド

写真

 1989年から2019年の30年間に渡った「平成」。バブル時代に前後して次々と社会的ブームを起こした「トレンディドラマ」が放送され、2019年までに実社会で起きた阪神大震災や地下鉄サリン事件(1995年)、東日本大震災(2011年)などの大きな事件や社会問題が作品のテーマとして反映されてきた。


 リアルサウンド映画部では、「平成」に制作された莫大な数の国内ドラマを振り返るために、レギュラー執筆陣より、ドラマ評論家の成馬零一氏、ライターの田幸和歌子氏、大山くまお氏を迎えて、座談会を開催。前編では、1990年代の「トレンディドラマ」や、視聴率という指標について、また現在100作目が放送されているNHKの連続テレビ小説(朝ドラ)を振り返る。


ーー平成30年間のドラマの最高視聴率ランキングです(参考:ciatr)。


【写真】最高視聴率ランキング


田幸和歌子(以下、田幸):2010年代で40%とれている『半沢直樹』(2013)や『家政婦のミタ』(2011)はやっぱり突出してますね。


大山くまお(以下、大山):改めて見ると不思議な数字ですよね。今は10%前後でヒーヒー言ってる作品が多い中で。


成馬零一(以下、成馬):視聴率もオリコンチャートと同じで、令和では指標としてもう使えないですよね。実際のところ2010年代も怪しい。何十年後かに2010年代を振り返った時にAKB48がチャートを独占しているのを見ても、音楽シーンの流れや代表曲は、理解できないと思うんですよね。ドラマも多分そんな感じで、個人的には視聴率と作品の評価は別モノとして見るようにしてます。ですので、平成は視聴率という指標が崩れたことが1番大きいですね。


大山:でもテレビドラマのフォーマットが2019年にまだこんなに元気なのって、やっぱりSNSにドラマが映えるからではないでしょうか。視聴率とは別にどのドラマが今盛り上がってるかは、SNSでハッシュタグを見れば一発でわかる。


成馬:基本的に今ある指標は、リアルタイムの視聴率と録画視聴率とSNSでどれくらい呟かれているかという、その3つの総合になっているけれど、リアルタイムの視聴率と大して変わらないものがほとんど。時々、SNSだけでバズる作品があるぐらいで、基本的に視聴率自体は年々下がってますよね。


■“暗さ”を楽しめた1990年代


ーーまずは1989年の頃から振り返りましょう。


成馬:平成元年の1989年は、まだ昭和って感じがしますね。平成のドラマがはじまったなぁと感じるのは、91年からで、1月にバブルが崩壊して、その時期に放送していたのが『東京ラブストーリー』(1991)、その次が『101回目のプロポーズ』(1991)。バブルが弾けて「トレンディドラマ」が終わりに向かう中で、脚本家の野島伸司が暗い方向に舵を切って、ドラマも変わっていったのかなという印象です。90年代は、サリン事件の起きた95年で線が引けますが、当時オウム事件と正面から向き合ったドラマを作れたのは野島伸司だけで、結果的に『未成年』(1995)は、連合赤軍のパロディみたいな話を作ることで、時代状況を反映していた。野島自身、そこで燃え尽きたのか、前衛性は失われていくのですが、90年代前半は間違えなく野島伸司の時代だったと思います。


大山:80年代後半の「トレンディドラマ」だとギバちゃん(柳葉敏郎)がずっと面白い顔をして恋愛でドタバタしているだけのようなドラマが多かった気がします。「トレンディドラマ」のルーツにはおそらく『男女7人夏物語』(1986)があって、今見れば働いてる人たちの職業や住んでる場所の時代背景が見えてくる楽しみ方があるんですけど、当時の人たちはテンポの良さとか恋愛のストーリーの面白さで楽しんでいて、メディア業界ではまだバブルだったんですよね。


成馬:80年代に「トレンディドラマ」のプロデューサーをやっていた大多亮さんは明確に、野島伸司さんが脚本を務めた『すてきな片想い』(1990)から「純愛ドラマ路線」と言い方をしてますよね。だから作り手の意識としては明確に変わってるんですよね。それにしても、純愛という言い方はどこか宗教的ですよね。複数のおしゃれな人間がグループ恋愛を楽しむような軽薄なもの(トレンディドラマ)とは違って本気度が高い。だからこそ真面目な日本人に支持されたのだと思います。その頃は柴門ふみが恋愛の教祖と言われていて、“恋愛の宗教化”が起きていた。恋愛というものが今よりも人々の中で肥大化していたんだと思います。


大山:『ずっとあなたが好きだった』(1992)もストーカーの話ですもんね。


成馬:佐野史郎が演じた冬彦さんには、オタクという言葉が世間に広まった時期でもあるので、オタクのネガティブなイメージが投影されてましたすよ。『101回目のプロポーズ』もそうですが、今見ると狂気でしかないものを、美しいものとして描かれていた時期ですよね。面白いのは『ずっとあなたが好きだった』の後、佐野史郎の方がスターになって、ダークヒーローとして脚光を浴びてしまうというのも時代の変化なんでしょうね。


大山:1992から1994年あたりには不幸を楽しむドラマが多かったですね。ワイドショー的に色んな弱者や社会問題を描いていて、『愛という名のもとに』(1992)もそう。吉田栄作の『もう誰も愛さない』(1991)がヒットした時にジェットコースタードラマと呼ばれて、次から次へと不幸の展覧会で客を引っ張っていくのと、文学的な社会問題を描きたいという資質がマッシュアップされて、90年代の「裏トレンディドラマ」だったのではと思っています。


田幸:90年代は、『ポケベルが鳴らなくて』(1993)、『不機嫌な果実』(1997)、『失楽園』(1997)、『青い鳥』(1997)など、不倫ドラマも盛んだった時期ですよね。


成馬:平成のドラマって基本的に暗いですよね。『あまちゃん』(2013)のような明るくて楽しそうに見える作品でも、どこか暗い影がある。


田幸:よく平成を平和な時代と言いますけど、バブル崩壊以降、阪神淡路大震災も、地下鉄サリンも、リーマンショックも、さらに東日本大震災もあって、ずっと暗い時代ではありますもんね。


成馬:逆にいうと90年代はまだ、“暗さ”を楽しめた時代とも言えますね。悲劇を他人事のゴシップとして楽しめたからあんなに暗い野島伸司のドラマをみんなが見てたのかなと思うんです。貧乏の捉え方も今語られる“貧困”とは違うものですよね。『家なき子』(1995)と『闇金ウシジマくん』(2010)で描かれる貧乏の質は違って『闇金ウシジマくん』になるとリアルな貧困で、どんどん殺伐としたものになっていく。作り手はバブルの反動で、地に足のついたリアルなものを打ち出しているつもりだったのかもしれないですけど、そこには作り手と受け手のズレがあって、90年代は良くも悪くも描かれる不幸が軽いものに見えてしまう。


■『ロンバケ』『HERO』平成を象徴する俳優・木村拓哉


成馬:『家なき子』の成功によって、ティーンドラマが発展されていきました。日本テレビ系の土9(土曜21時枠)は『金田一少年の事件簿』(1995、以下『金田一』)の演出を堤幸彦さんが担当したことがとても大きかった。『金田一』によってテレビドラマならではの独自の演出が生まれ、ミステリードラマというジャンルが確立され、ジャニーズアイドルを主演に起用する流れも広がっていった。


田幸:確かに『金田一』あたりからKinKiKidsの堂本剛さん、またその後、木村拓哉さんとジャニーズがかなりドラマを引っ張ってきた時代はありましたね。


成馬:アイドルって昭和の頃の主戦場は歌番組だったのですが、SMAPが登場したことで、歌以外の全ジャンルが主戦場となり、ジャニーズアイドルがあらゆる場所に進出した。俳優としては、木村拓哉、稲垣吾郎が最初に進出したことで、彼らを中心にしたドラマを作る流れが生まれました。一方で日本テレビの土9枠で、ジャニーズアイドルが主演を務める作品が増えていき、その影響で今までは大人向けだったテレビドラマのファン層が、10代まで降りてきた。その時にドラマを見ていた10代の若い人たちが卒業せずにその後もドラマを見続けているからこそ、00年代以降の発展もあったんだと思います。。どのジャンルでも若い世代を取り込む試みって大事で、ティーン向けの作品で種をまいておかないと、ファンが高齢化して後世に残らないんですね。


大山:その子たちが視聴者として残って、ジャニーズドラマの時代になった時に恋愛ドラマの時代が終わって、キャラクタードラマの時代になりましたね。


田幸:木村拓哉さんが2000年に結婚してから恋愛ドラマをやらなくなって、お仕事モノやヒーローモノになっていくのと同時に恋愛ドラマが終わっていったのを感じます。『ショムニ』(1998)などをきっかけとして、女性のお仕事モノが増えていく。00年代の前半になると恋愛モノでも、ちょっと笑える要素のある昼ドラが増えていくという。


成馬:北川悦吏子さんの全盛時代がどんどん終わっていく時期ですよね。『ロングバケーション』(1996、以下『ロンバケ』)はタイトルもよくできていて、“ロングバケーション=長いお休み”というタイトルが、後に「失われた20年」と呼ばれるバブル崩壊以降の日本の気分とシンクロしていたと思います。あの頃はみんな、“今は冴えないお休みだけど、これが終わればまた景気が良くなるんだ”と、どこかで思っていた。でもそれが20年続いている。下手すれば30年かって話ですけど、そういう引いた目で見ると時代を反映したドラマだったなぁと思います。


田幸:そう考えると北川悦吏子さんの『半分、青い。』(2018)は繋がりますね。キラキラのバブルイメージでしたけど、実は衰退していく様、失っていく様のほうを描きたい人なのかも。


成馬:『ロンバケ』の結末って、本当は2人を別れさせる予定だったというのも有名な話ですが、別れた方が、本質をついた作品になってたんじゃないかなって気はしますね。北川さんもそうですが90年代は三谷幸喜さん、岡田惠和さん、野島伸司さんといった、山田太一さんや向田邦子さんの作品を見て育ったドラマ脚本家が、作家性を開花させた時代だと言えますね。


田幸:クドカンさんの前に、まずドラマの世界に舞台の色を持ち込んだのが三谷幸喜さんですよね。90年の初頭に『やっぱり猫が好き』(1988-1991)を深夜で放送していて、そこから『振り返れば奴がいる』(1993)、『古畑任三郎』(1994)、『王様のレストラン』(1995)とかそれぞれ毛色の違うものを作っていました。舞台系の人が入ってくることで脚本力はもちろん、三谷さんの劇団のおなじみの顔ぶれをそのまま作品に持ち込むパターンがあった。その頃から今も続く、それぞれ演出家や脚本家がお馴染みのスタッフやキャストを集める「座組」が始まっていったのかなと。


成馬:視聴率で成功しているのは『古畑任三郎』ぐらいなんですけど、三谷さんの影響って実は大きいですよね。『ショムニ』(1998)や『HERO』(2001)といった職業モノが形作られていったのは三谷さんが持ち込んだオールドハリウッドスタイルの影響が大きくて、フジテレビの職業ドラマの根底にある演出や価値観は三谷さんが作ったところが大きい。『踊る大捜査線』(1997−2012、以下『踊る』)が象徴的ですが、フジテレビのドラマにはアメリカへの憧れがずっとあって、『ER緊急救命室』(1994-2009)等の海外ドラマの影響もすぐに取りいれる。それが『HERO』で花開いて、その時は同時に木村拓哉の時代でもあるかもしれない。俳優で平成を象徴する人を一人選べと言われたら木村さん。


大山:木村拓哉の演じている役柄がトム・クルーズの真似説というのがあって。レーサーだったりバーテン、ヘアカットだったり弁護士だったりっていう。トム・クルーズはそのあとダメなお父さんを映画『宇宙戦争』でやるんですけど、キムタクはそこに行かなかったんですよね。キムタクはやる役がなくなって南極へ行き、宇宙戦艦ヤマトに乗って最後はアンドロイドになるっていう。この地上に演じる役がなくなってしまった。


■2000年代の裏エース「テレ朝」


成馬:日曜劇場とかだと、今も昭和感がウケてたりしますよね。


大山:最近の日曜劇場の『半沢直樹』とかサラリーマンものもそうですし、あと『ドクターX 〜外科医・大門未知子〜』(2012-2017)とかも時代劇。


田幸:今の時代劇ですよね。


大山:今の50〜70代シニアは時代劇は見ないんですけど、1話完結のフォーマットは人気で例えば昔の時代劇でも『水戸黄門』(1969-2011)とか『大岡越前』(1970-1999)は体制側ですけど、それだけじゃなくて素浪人が出てくるような時代劇、『長七郎江戸日記』(1983-1991)とかがたくさんあって、今でいう『ドクターX 〜外科医・大門未知子〜』ですよね。


田幸:『水戸黄門』で時代劇枠がちょうど終わった後に『ドクターX 〜外科医・大門未知子〜』と『半沢直樹』があって。この辺りがちょうど昔と今の時代劇が入れ替わった境かもしれません。震災以降に、ちょっとスカッとする勧善懲悪の物語が増えていった流れがありました。また、ドラマの視聴者は昔は女性がメインだったと思うんですけど、男性がドラマの視聴者層に入ってきたのは『半沢直樹』あたりで、日曜劇場は男性が見るものになってきていますよね


大山:日曜劇場とはダイレクトには繋がってはいませんが、00年代以降は『相棒』の時代でした。


成馬:『相棒』は続けたことが大きいですよね。第1シーズンの視聴率は当時としては高くはなかったのですが、毎年続けて、なおかつ再放送を続けたことで、ファンコミュニティがすごく分厚くなり、人気が盤石なものとなっていった。トレンディドラマ以降、1クール45分が定着してしまったので、続編を毎年作るという発想が他の局にはあまりなかったんだと思うんです。、そんな中、テレビ朝日(以下、テレ朝)の『相棒』はずっと続けていて2クールとか平気でやっている、長く続けるって意外に大事なんですよね。


テレ朝のテレビドラマって基本的に時代の流れに乗ってないですよね。90年代はティーン向けの枠が面白かったくらいで、トレンディドラマブームには乗っかってない。一方で土曜ワイド劇場や『はぐれ刑事純情派』(1988-2009)といったおじさん向けドラマ枠をずっと続けていた。当時はその理由が、よくわからなかったですけど、そういうドラマを好むファンが潜在的にいることを肌感覚で知ってたんでしょうね。


田幸:周りに合わせないでやり続けてきたことで勝手に時代が追いついてきたのか、それとも00年ぐらいから中高年にシフトを切って種を蒔いていたのか、そのあたりはわからないんですけど。


成馬:『踊る』が『相棒』になれなかったことが結構、ショックなんですよね。『踊る』も毎週毎シーズンやっていれば多分国家的なコンテンツになれたはずでした。


大山:刑事モノという見方をすれば、その前の『太陽にほえろ!』(1972-1986)とか『西部警察』(1979-1984)見てましたけど、やっぱりフォーマットが明らかに『『踊る』は違う。一話完結に見えても、1つのつながりでストーリーがあったから。できないと言うか、パロディみたいなものだった。


成馬:フジテレビは、『踊る』も『古畑任三郎』も定期的に続編を作っていたんだけど、『相棒』みたいには繋げなかったですよね。やっぱりテレビ局の資質とか座組とかの問題なんですかね。


大山:フジテレビは君塚良一さんや三谷幸喜さんのマンパワー頼りというか。一方でテレ朝は新しい脚本家のチームを作って交代でやったり、あるいは和泉聖治とか東映でたくさんVシネを撮っていたような人たちにドラマの監督をさせていていた。そこにテレ朝的な職人芸を感じますし、新しいドラマ作りが生まれたんだと思います。


田幸:上位にこんなにテレ朝ばかりが占めるような時代が来るとは思ってもみなかったですよね。でも、『相棒』や『科捜研の女』など、安定して視聴率を稼いでくれるコンテンツがあるからこそ、新たな挑戦ができるっていうのはあるかもしれない。


成馬:『相棒』等の刑事ドラマが安定して視聴率を稼いでいるからこそ、『おっさんずラブ』(2018)や『やすらぎの郷』(2017-)ができる。今のテレ朝は幅が広がってますよね。00年代をどう過ごしたかの差が明白に出てきている。だから、テレ朝って裏エースなんですよね。これは2000年のチャートだとわからない。


大山:その中でも『ゴンゾウ 伝説の刑事』(2008)みたいに変わったドラマもやるんですけど、結局なくなりましたよね。古沢良太さんとかは『相棒』から出てきましたし、ああいう尖った人が出てきてもその人たちがメインにならない。


成馬:平成にも昭和が混ざってるんですよ。平成一色にはならない。昭和の頃だと明治の人がいたわけですし、当たり前ですけど、どの時代も前の時代の名残は残っている。そうやってみると昭和ターゲットのドラマはいくつかありますよね。山崎豊子モノも明確に平成とは言い切れない。


田幸:でも、テレ朝は『相棒』とか『科捜研の女』(1999-)とかでちょっと中高年向けにシフトして、さらに昼ドラ『やすらぎの郷』で年配層を取り込んで。年齢層を高いところに広げてがっちり掴んでますね。


成馬:『トリック』(2000-2014)もそうですね。長く続いたのはテレ朝で放送されたからだと思います。『金田一』、『ケイゾク』(1999)、『トリック』があって、それぞれ局のカラーが出ているんですが、結果的に『トリック』が1番長く続いたシリーズとなった。深夜ドラマを広げたのもテレ朝の金曜ナイトドラマ枠ですよね。だから攻めるところと守るところが明確な気がします。


■戦争/昭和を物語として楽しめる距離感に


ーー今、朝ドラが100作目を放送していますが、平成の朝ドラはどうでしたか。


大山:90年代までは橋田壽賀子の時代なのかなというイメージも。90年代は朝ドラが停滞していた時代と言われていましたが、『春よ、来い』と『ふたりっ子』のヒットは話題になっていましたよね。


成馬:90年代も視聴率は高かったのですが、当時は民放ドラマが話題の中心で、NHKとテレ朝とテレ東のドラマは違う世界の出来事って感じでしたね。今みたいにテレビドラマが朝ドラを中心に回るような事態になるとは思わなかったです。


大山:放送時間が8時15分から8時スタートになった、ないしはBSで7時半から見れるようになったことはすごく大きいじゃないですか。見てから出勤できるようになった15分の差でも効果は歴然で、それまでは仕事に行かない人が見ている印象がありました。


田幸:『ゲゲゲの女房』(2010)からしっかり能動的に数字を取りに来ましたよね。放送時間の変更と、ど頭から民放のドラマのようなアバンタイトルを取り入れはじめたのと、『ゲゲゲの女房』以降実在するモデルがいる作品率が圧倒的に高くなっています。やっぱり馴染みのある人やものがモチーフになると、親しみやすく、強い面はありますね。この前の『まんぷく』(2018-2019)なんてチキンラーメンやカップヌードルですから、まさに一番馴染みのあるものですしね。


成馬:2010年になって、戦争の記憶や昭和という時代が遠のいて、物語として楽しめる程良い距離感になったんですよね。当事者がたくさんいる時だと生々しかったことが神話的なものとして客観的に捉えられるようになっている。1980年代までの朝ドラで描かれた戦争描写って、もっと生々しかったですよね。


『おしん』(1983)が熱狂的に受け入れられたのは、やっぱり当事者の目線だったからだと思います。2013年放送の『あまちゃん』と東日本大震災の距離感が、多分『おしん』と戦争の距離感だったと思うんです。逆にいうと『あまちゃん』はそのタイミングで00年代後半から続けて2011年の震災の日を描いたのがすごかった。宮藤官九郎さん(以下、クドカン・宮藤)は00年代に出てきた時は新進気鋭の若者のノリが書けるサブカル寄りの人という感じだったけど、震災以降の作品は構えが大きくなっていて、時代と向き合った作品を毎回作っている。。テーマが明らかに大きくなってるんですよね。だから『いだてん』では、オリンピックとも向き合う。


田幸:以前はどこかの若いお兄ちゃんみたいのような雰囲気で、テレビというメディアで存分に遊びながら、面白いもの新しいものをどんどん作ってましたよね。でも今はすごく背負わされている感じはします。


大山:山田太一がクドカンを後継者として見ていますよね。星野源と細野晴臣的な師弟関係みたいなのができているような感じがして。それが構えの大きさだったり朝ドラ、大河への意欲に繋がっているんですかね。


成馬:ドラマの脚本家の方に震災のことを聞く機会が何度かあったのですが、劇中で描くには作り手としての覚悟がいるという話は何度か伺いました。作家としてちゃんとお考えないと書けないし、書き方も問われる。宮藤さんは『11人もいる!』(2011)で真っ先に震災のことを書いたのですが、被災した小学生を登場させたのがすごかったですね。「あまちゃん」もそうですが、実在の芸能人を出す感覚で現実に起きた震災をドラマの中に取り込むのは、凄いなぁと思います。


大山:みんな、始まった時に気づきましたよね、『あまちゃん』はこのままいったら震災になるんだって。


成馬:みんなが体験していることをちゃんと書くっていうのはすごいと思います。ドキュメンタリー的というか。90年代とかに比べると、ドラマ自体が虚実との距離感が近くなってるのかなとは思いますよね。


大山:やっぱり70年代とかに戻ってるんじゃないですか? 戦争体験とか、70年代の刑事モノは全部犯罪者視点だったわけですから。


成馬:モデルがすぐに検索されちゃうのもありますよね。実在した人たちを題材にすると元ネタ探しが盛り上がっちゃう。それには一長一短があって、間違い探しばかり盛り上がっちゃう辛さもありますよね。だいたい職業モノの作品だと、この職業の描写が合ってるかどうかの論争みたいな感じになっちゃうので、もっとドラマとして楽しめばいいのにと、最近は思います。


大山:そういう意味では90年代から00年代前半のトレンディドラマは野島伸司さんがリードする時代、そこから堤幸彦さんがリードする時代がありました。そうすると、ジャニーズドラマの時代は特殊だったのかもしれないですね。1960-1970年代と2000-2010年代がひょっとしたら実は近くて、バブルの時代が特殊で、TVのパワーが異常に強かったというか。


成馬:平成特集って大体90年代ぐらいが一番熱量高いですよね。逆に00年代、10年代はあまりあまり振り返りたくないんだろうなぁって思います。


※後編に続く


(大和田茉椰)


    ニュース設定