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“当たり前”ではなくなることで再定義されるCDリリースのあり方 aikoやANARCHYを機に考える

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2019年05月13日 11:01  リアルサウンド

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リアルサウンド

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「この値段で作れるんやったら今までは?とか思った人もいるかもしれませんが違います。マジで違うー。
ただ必至に頑張ってもがいてより多くの人に届くためにはどうしたらいいかを考えた結果です。伝えたいし届けたいし長く歌っていきたいんですー!CDをまた手に取ってほしいなーって。」(原文ママ)


 aikoのシングルコレクションとなる4枚組アルバム『aikoの詩。』が「初回限定盤 (4CD+DVD)4,000円+税」「通常盤(4CD)3,500円+税」という価格でリリースされることを受けて、aiko本人がTwitterでこんなことを呟いていた。


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 そこから3カ月遡った今年の1月、ANARCHYの約2年半ぶりのオリジナルアルバム『The KING』のリリースが発表された。その価格は13,000円。以下は、その際にアナーキーから届けられたコメントである。


「当たり前のように誰かが僕らの知らない所で僕らのアートに値段をつけている。そしてみんな困っている。なんか不思議な気分になる。時代の流れに逆らうつもりは無いけど、一度でいいから自分が作ったものに自分で値段をつけてみたいと昔からずっと思ってた。」


 圧倒的に「安い」aikoのアルバムと、圧倒的に「高い」アナーキーのアルバム。ベクトルは逆方向だが、いずれのアクションもCDに対する我々の価値観を揺さぶるという点において共通している。本稿では、これらの動きを起点として、今の時代におけるCDというパッケージのあり方について改めて考えてみたい。


 「CDをまた手にとってほしい」というaikoの言葉を裏づけるかのように、音楽パッケージの市場規模は停滞傾向にある。日本レコード協会の統計によると、1998年に生産金額ベースで6,000億円越えのピークを迎えたマーケットは、2019年時点でその4分の1ほどまでに縮小した(音楽ビデオ除く)。


 一方で、世界的に見れば日本は「CDがまだ売れる不思議な国」でもある。海外での音楽ビジネスおよび音楽の聴き方の主流が定額のストリーミングサービスに移行する中で、日本では「同じCDを“音楽以外の動機”(握手会、異なるジャケットなど)のために複数枚購入させる手法」が定着。もともとはAKB48がオリコンチャートをハックするために編み出した戦い方が、結果的には「CD主導のビジネスモデルを維持する装置」として作用することとなった。


 グローバルのレコード協会であるIFPIの調査データによると、世界におけるストリーミングサービスで音楽を楽しむ人の比率は61%であるのに対して(調査対象となっている18か国の平均値。アメリカは68%、イギリスは56%)、日本は23%とグローバルの値を大きく下回っている(参考:IFPI)。ストリーミングサービスの浸透スピードが遅い日本の現状を端的に示す調査結果である。


 「音楽を聴いてもらう」という点だけから見れば、アーティストは「CDを出さなくてはいけない」という環境にはもはや置かれていない。一方で、現時点においてCDは日本の音楽産業を支える上で必要不可欠な媒体でもある。そんな矛盾をはらんだ事態が生まれつつあるのが昨今である。


 ただ、そのような中だからこそ、アンビバレントな状況を楽しむかのようなチャレンジも生まれている。


 たとえば、冒頭で取り上げたaikoとANARCHYのケースは、もちろん「ビジネス上の要請」という側面もあるように思われるが(コアファンの客単価を高める、ベスト盤は制作費がオリジナルアルバムより低い、など)、「アーティスト側が値付けの自由を獲得するきっかけ」になるかもしれない。


 CDが日本の音楽市場の中心になったタイミングから最近に至るまで、「1枚3,000円ほど」という価格の相場はずっと変わってこなかった。どんなにこだわってコストをかけても「CDというものは大体このくらいの値段」という固定観念から逃れることは難しかったが、CDが今後「当たり前にリリースされるもの」ではなくなっていく中で「だったら今までの慣習にとらわれる必要もないのでは?」という発想がさらに出てくるのではないだろうか。


 また、ストリーミングサービスで手軽に音楽が聴ける時代にCDというパッケージを購入するというのは、ちょっとした「非日常」「ハレ」の行為になりつつあるとも言える。そういった状況そのものを踏まえて、CDを買うに至る体験全体をコーディネートしてその作品世界を立体的に伝えようとする取り組みもさらに登場するように思われる。


 これまでの例で言えば、2016年に大きな話題を呼んだHi-STANDARD『ANOTHER STARTING LINE』の事前告知なしでのCDショップでの発売は、バンドの復活をより盛り上げただけでなく、リアルな場での実感を大事にするグループのステイトメントを明確に伝えるものでもあった。JポップのミックスCDでヒットを飛ばすDJ和が自身のCDをサービスエリアでDJの実演をしながら販売するのも、「世代を越えて楽しめる」「音楽を聴く人同士のコミュニケーションを誘発する」という作品の価値を伝えるうえでの必然的な施策である。


 スマホで音楽をいつでも聴ける「便利さ」とは異なるベクトル、売る側も買う側も「手間」をかける、そしてそこに意義が生じるという音楽の届け方を志向するうえでCDは重要な役割を果たす可能性を秘めている。ちなみに、海外ではこの役割をアナログレコードが担いつつあり、日本でもその兆しは見られるが、現状の日本においてはまだまだ「ニッチな音楽ファンの楽しみ方」の域を出づらい。いまだ広く馴染みのあるCDという媒体に特別感が付与される、という状況にこそ意味があるのではないかと思う。


 日本の音楽市場におけるストリーミングサービスのシェアもようやく10%を越え、「アーティストにとってのCDのリリース」「音楽ファンにとってのCDの購入」がルーティーンではなくなる流れが遅ればせながら顕在化してきた。これまでの「当たり前」「普通」が相対化されるタイミングだからこそ、様々な創意工夫の生まれる余地がある。2010年代を席巻した「接触とCD販売を組み合わせる手法」は音楽の価値を高める方向には必ずしも働かなかったのかもしれないが、この先「CDがあるからこそ楽しめる音楽のあり方」が時代のあり方に合わせて定義される流れが生まれていってほしい。(レジー)


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