今まで知らなかった“東ドイツ”を目撃するーーベルリンの壁崩壊30周年に公開された2作品に寄せて

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2019年05月21日 13:02  リアルサウンド

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 平成から令和へと元号が変わった日本だが、今年はドイツもベルリンの壁崩壊から30周年という節目の年を迎える。そんな折、興味深いドイツ映画が2本、相次いで公開されている。


参考:映画製作における美術監督の役割とは? 鈴木清順、熊井啓らを支えた巨匠・木村威夫の真髄


 1本はトーマス・ステューバー監督の『希望の灯り』、もう1本はラース・クラウメ監督の『僕たちは希望という名の列車に乗った』。どちらも「東ドイツ」に目を向けている。しかもいずれも、これまで見落とされてきたとでもいうか。ナチス関連やベルリンの壁崩壊前後の狂騒や混乱といった、それこそ映画で数多く取り上げられてきた大事の影に隠れてしまった、小さな、でも大切なことを伝えようとしている。


 気づけば目にするドイツ映画は第二次大戦や東西統一ということが多い。その中で、旧東ドイツをどこかひとつの枠にはめてはいまいか? そんな疑問がわいてくるほど、この2作品の内容は実に新鮮。どちらも知っているようで知らなかった東ドイツを目撃することになる。


 ベルリンの壁崩壊から30年。ドイツの新進気鋭監督として注目を集める2人が何を想い、今回、ドイツの何に目を向けたのか話を聞いた。


 まず、現在公開中の『希望の灯り』を手掛けたトーマス・ステューバー監督は旧東ドイツのライプツィヒ生まれ。どこかフィンランドのアキ・カウリスマキ監督を彷彿とさせる演出で世界に注目を集めているまだ30代の気鋭だ。


 『希望の灯り』は旧東ドイツにある現代の巨大スーパーマーケットが舞台。ベルリンの壁が崩壊後、どこか心が置き去りにされた市井の人々の心に寄り添った物語になっている。


 一般的な視点をもってすると、東西統一は、東側が束縛から解き放たれたといった印象を抱きがちだ。でも、自由を得たからといってバラ色の人生が待っているわけではない。そんなことに気づかされる、これまで映画で目を向けられなかった東ドイツの人々の心情を知ることになるといっていい。


 ステューバー監督に訊くと、こうした現代の旧東ドイツの人々を主題にした映画やドラマは、実のところドイツ国内でさえほとんど作られてないという。


「東西統一前後の東ドイツについて作られた映画はたくさんある。たぶん日本のみなさんもなにかしら目にしているのではないでしょうか? でも、統一後しばらくし経ってから現在までの東ドイツを舞台にした映画はドイツにおいてほとんどない。だから、日本に届いていないわけじゃないです。そもそもドイツにおいてもほとんどないんです」


 なぜ、作られないのだろう。作りづらい状況があるのだろうか?


「いや、作りづらい状況というのはない。なぜ作られないかはわからない(笑)。僕にとっては宝の山なんだけどね。たぶん第二次世界大戦や東西統一という歴史的事実があまりに大きすぎて、そっちにばかり必要以上に目がいってしまうというか。知らず知らずのうちにその二つが外せない要素になってしまって、その後の人々の営みや現在に思いが至るまでいかないんじゃないかな」


 それらを踏まえた上で、自身としては次のような作品を発表していきたいと明かす。


「僕自身は壁の崩壊後、東ドイツの人々にどんな影響があったのか、どんな環境に置かれたのか、どんな生活を送っているのかに目を向けたい。そこには語られていないことがまだまだたくさんあるんだ。


 たとえば『希望の灯り』の主人公のひとり、ブルーノは50代。ちょうど青春真っただ中の20歳前後にベルリンの壁の崩壊を迎えている。彼を通して50代ぐらいの東ドイツの男性をステレオタイプ化するつもりはないんだけど、彼のように時代から取り残された人は実際にいる。それから、壁の崩壊を喜んだ市民ばかりではない。社会が大きく変わることに不安を抱く人もいた。また、時を経て、『こんな社会にするために壁を壊したわけじゃない』『こんなはずじゃなかった』という気持ちになった人も中にはいる。東ドイツ時代を今になって、良い記憶として懐かしむ人もいる。


 東ドイツの人間というとなにか画一的に扱われがち。そうではない、孤独を感じることもあれば、悲しみに打ちひしがれることもある、喜びを爆発させることもある。ほかとなんら変わらないひとりの人間であることを感じてもらいたい。状況や国、人種が違っても、人には変わらない喜びや悲しみがある。そこを描きたいと常に思っているんだ」


 ベルリンの壁の崩壊から30年ということについては特に思うところはないという。


「もちろん節目ではあるんだけど、ベルリンの壁が崩壊した30年前、僕はまだ7歳。正直なところ、ことの重大さはわからなかった(笑)。もちろん両親から壁があったころのことなどはいろいろと聞いている。いいところもあったし、悪いところもあった。西の人々と同じように普通の生活があった。だからこそ、東西分断にしても壁の崩壊にしても、東ドイツにしても、ことさら特別視したくない。いい意味でフラットな立ち位置で冷静に迎えている自分がいるかな」


 一方、『僕たちは希望という名の列車に乗った』を手掛けたのは、『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』が世界で大ヒットを記録したラース・クラウメ監督。ベルリンの壁建設前夜に起きた驚愕の実話を映画化している。映画化へ動いた理由をこう明かす。


「『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』が自分でも予想できないぐらいの成功を収めて、うれしい反面、次へのプレッシャーがそうとうあったことは確か。周囲から期待されるからね(苦笑)。ただ、プロデューサーにはほんとうに自分がいいと思う脚本でないと作れないと宣言していた。


 そんな折、出会ったのがディートリッヒ・ガルスカのノンフィクション『沈黙する教室 1956年東ドイツ−自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語』だったんだけど、恥ずかしながらこんなことがあったなんて知らなかった。


 『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』の主人公フリッツ・バウアーはもっともっとドイツ国内で知られていい人物だけど、それなりに知っている人はいる。でも、今回の『僕たちは希望という名の列車に乗った』のエピソードに関しては、ドイツ人でさえほとんどが知らない。ということは世界では全く知られていないということ。確かにベルリンの壁崩壊前後のことはよく描かれいる。ただ、これは壁がまだできる前の話。ここら辺の時代、とりわけ東ドイツ側の状況はほとんど語られていない。これは世界に向けて発信しなければと思ったんだ」


 その実話は、時代は1956年、ベルリンの壁がまだできる前。東ドイツのスターリンシュタット(現在のアイゼンヒュッテンシュタット)の高校に通う高校生たちが、たまたま出かけた西ベルリンの映画館で自由を求めるハンガリーの民衆蜂起を伝えるニュース映像を目にする。のちに民衆蜂起でハンガリー市民が多数死亡したこと知った彼らは、学校の教室で哀悼の意を表し黙祷を捧ぐ。しかし、東ドイツの体制においてハンガリー動乱は社会主義国家への反革命行為。人民教育相まで乗り出し、首謀者探しが始まる。こうして身の危険を感じた高校生たちの運命が描かれる。


「統制がかかっていた時代にあっても、自由な心をもって自分の意志を貫く若者が東ドイツにもいた。こんな若者が東ドイツにいたことに驚いた。そのことを知ってほしかったんだ」


 彼らのような存在があったからこそ、ベルリンの壁は崩壊へ動いたのかもしれない。ここで描かれていることからはそんなことを考えてしまう。ところでクラウメ監督自身はベルリンの壁崩壊を当時どう感じていたのだろう。


「正直なことを言うと、よく覚えていないんだ。というのは当時16歳だったと思うんだけど、イギリスの寄宿学校にいて、ドイツにはいなかった。もちろん大きなことではあったんだけど、東側に親戚など知り合いが数多くいるわけでもなかった。


 ただ、ドイツに戻ったとき、東ドイツの車が走ったりしていて驚いたことは憶えている。それぐらいで、なんか特別な感情を抱いたようなことはなかったね」


 この作品のように、まだまだ知られていない歴史のひとつを掘り起こした作品がコンスタントに発表されているイメージのあるドイツ映画界。だが、実際の現状はなかなか厳しいところがあるという。


「もちろん映画を作るというのは困難がつきもの。中でもこうした戦争や政治に関する映画を作るのは、ドイツであっても厳しい。資金が集めるのがすごく大変。ドイツのアカデミー賞で7部門を受賞しましたけど、次にこの作品が撮れるかわからなかった。こういうタイプの映画を作ることは常に戦いです」


 ヒトラーや戦争、東西統一だけではない。ドイツの歴史の新たな面を見せてくれる2人の作品に注目してほしい。(水上賢治)


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