山下達郎や細野晴臣らが海外で注目を集める背景 サンプリング方法から見えるメロディへの着眼

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2019年06月12日 11:41  リアルサウンド

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 5月に発表されたTyler, the Creatorの新作『IGOR』。彼のキャリアを通じても、サウンド面からアルバム全体としてのタイトな構成に至るまで、最高傑作といってもよい一作だ。そんなアルバムに収録された、「GONE, GONE / THANK YOU」にはなんと山下達郎の楽曲からのサンプリングが――。


参考:細野晴臣『HOSONO HOUSE』なぜ海外で再評価? “観光音楽”がいま注目集める理由を考察


 と、驚いてみせるのもなんだか白々しく思えてしまう。近年はっきりと浮かび上がってきている国外での山下達郎人気を思えば、ようやくか! といった感さえある。音楽おたくのTylerのこと、ディグの手が山下達郎まで伸びていてもなんの不思議もない。


 あるいはVampire Weekendが待望の新作『Father of the Bride』収録の「2021」に細野晴臣のレア音源「花に水」をサンプリングして巷を騒がせたのも記憶に新しい。こうやって日本のポップミュージックの大御所を参照した話題作がこうも連続するとたしかになにか特別な事情をかぎつけたくなるのは人情というものだ。


 しかし、これらふたつの例は微妙に文脈を違えていることには注意しておきたい。前者はいわゆる「シティポップ」ブームの文脈に連なるものだし、後者はニューエイジや環境音楽の文脈に属するもの。双方にまたがって活躍したミュージシャンも多い(まさに細野晴臣がそうだ)とはいえ、YouTubeが普及に大きな役割を果たしたこと、「70年代末から80年代の日本」という地理的ないし時代的な条件が似通っていること、このふたつ程度しか共通点はないのではないか。


 逆に、共通するこれらの条件からすると、「サブスクでは掘れない『外部』」としてこれらの音源が注目を集めている、という推測はできる。あえてコンテンツの流通の側面のみに絞って考えてみよう。日本はそもそもサブスクの導入が遅かったうえ、カタログを解禁していないミュージシャンが多い。それゆえ、サブスクの普及と並行して進行したアナログレコード人気と、日本の中古レコードの海外への流出によって、日本のポップミュージックは「サブスクにはないが、比較的アクセスしやすい」フィールドになった。まさに恰好のディグの対象というわけだ。


 しばしばこうした日本の近過去をめぐる海外からの評価に対しては、西洋から日本を奇異の目でまなざすオリエンタリズムが指摘される。実際、欧米、とりわけアメリカからの評価にそうした側面があることは否めないが、それを強調しすぎれば、たとえば東南アジアや東アジアでのシティポップ人気を捨象してしまうことにもつながる。海外の言説とは適切な距離をおきつつ、欧米のみならずアジアとの関係も含め、改めて日本のポップミュージック史を多角的に検証する機会として活かすべきだろう。


 前置きというには長くなってしまった。以上のような前提にたって、2019年になって山下達郎や細野晴臣に集まる注目の理由をその楽曲から考えてみると、メロディの魅力を保ったポップミュージックであることが重要なのではないか。


 Tyler, the Creatorは『Flower Boy』から『IGOR』にかけてハーモニーやメロディを重視した楽曲に重心を移しており、山下達郎をサンプリングしたのもその流れを反映したものに思える。ダンサブルなドラムブレイクやカッティングギターではなく、ボーカルがフィーチャーされたのはその証拠だろう。もっとヒップホップ然としたプロデューサーやFuture Funkのプロデューサーが、ダンスミュージックとしての山下達郎に着目するのとは対照的だ。


 一方のVampire Weekendも、「2021」ではシンプルなメロディのゆったりとした反復に、ボーカルやギターでメロディを重ねていく手法をとっているのが興味深い。『Father of the Bride』全体を通じて、ループ構造のうえで展開するリフとボーカルの絡み合いが印象的なことも示唆的だ。


 直接の参照はないとはいえ、この並びにMac DeMarcoの『Here Comes the Cowboy』を加えてもいいだろう。時間感覚が弛緩したグルーヴのうえで、うっすらと輪郭を描きながら紡がれていくメロディには、『HOSONO HOUSE』のフォーキーな、あるいはアメリカーナ的な感覚がゆるやかに重なる。ただしより時代に即した、チルな手触りを加えて。


 シティポップや環境音楽というと、アナログ録音やデジタルシンセなど、時代の痕跡を色濃く残すサウンドのテクスチャーに気を取られがちだ。しかし、実際にサンプリングや引用をした楽曲での使われ方を見ると、決してサウンドへのフェティシズムだけが要因というわけではないように思う。メロディへと回帰する際のひとつの参照点として、山下達郎や細野晴臣への関心があるのではないだろうか。(imdkm)


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