『アラジン』は“宝の洞窟”のような存在に!? 『シンデレラ』や『美女と野獣』との共通点と相違点

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2019年06月20日 12:02  リアルサウンド

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『アラジン』(c)2018 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved

 ディズニーの名作アニメーション映画を実写リメイクした『アラジン』が、アメリカ本国や日本を含め、世界中で大ヒットを記録している。主人公のアラジン役や、ヒロインのジャスミン役にはスター俳優を配さず、大スターはウィル・スミスのみという出演陣で臨み、さらにはアメリカの批評家たちの評判も割れ、映画公開前に露出されたウィル・スミスの魔神の姿はインターネット上で揶揄されるなど、一見すると逆風が吹いていた作品だった。


参考:『アラジン』成功の理由を分析 キャスティングと監督の選定に見る、ディズニーのプロデュース力


 しかし蓋を開けてみれば、観客からは大きな支持を受け、世界の週末興行成績で軒並み1位を獲得、予想以上に動員を増やす結果となった。ここでは、そんな本作が成功した理由が何だったのかを、多角的な視点から考察していきたい。


 以前、ディズニーの実写映画化作品について書いたように(参考:「『ダンボ』『アラジン』『ライオン・キング』も 実写制作の増加から考えるディズニー作品の未来」)、最近になってこのような企画が増加してきているのは確かだ。そのなかで、『アラジン』は頭一つ抜ける作品となったといえよう。そして、そんな作品が近年、もう一つ存在した。実写版『美女と野獣』(2017年)である。2017年の興行成績では、世界・国内ともに『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』の数字に肉薄する2位を獲得している実写リメイク作だ。


 『美女と野獣』は、エマ・ワトソンなどのスター俳優を多数起用しているが、それ以外の面では『アラジン』と共通する部分が多い。ミュージカルを中心に組み立てられていること、ラブストーリーであること、そして、ディズニー名作アニメとしては比較的新しい90年代の作品であることである。


 ディズニー作品がファミリームービーとして楽しめるのはもちろんだ。そんな家族向け作品としては、オリジナルのアニメ版が公開されていた90年代当時に子どもだった観客が、親の世代になって自分の子どもを連れてくるケースが、いまはかなり多いのではないだろうか。またラブストーリーとしての魅力があることから、デートムービーとしての需要も期待できるのも強みである。


 とりわけディズニー作品を、ウォルト・ディズニー亡き後の低迷期から脱却させた『リトル・マーメイド』(1989年)はもちろん、それに続いて「ディズニー第2次黄金期」を作り上げた『美女と野獣』(1991年)、『アラジン』(1992年)、『ライオン・キング』(1994年)などの大ヒットアニメ作品は、やはり重量級の存在感がある。


 このように認知度が高い作品において、ミュージカルというジャンルはとくに効力を発揮すると考えられる。多くの映画作品では、新鮮な表現が求められることが多いが、よく知っている曲、知っている場面があるほど、ミュージカルでは観客の心の琴線を揺さぶることになる。それは、ミュージックビデオを何度も見てしまう感覚にも似ている。ゆえに、リピーターが複数回鑑賞してくれるもケースも多くなる。


 とりわけ、アニメ版同様に音楽を担当したアラン・メンケンによる名曲「ホール・ニュー・ワールド」が始まるときの場面の高揚感は、アニメ版をビデオなどで何度も繰り返し観た観客であればあるほど、大きなものとなるだろう。本作では、アラジンとジャスミンが舞台となる王国アグラバーの市中にて初めて出会っているときにも「ホール・ニュー・ワールド」の旋律が控えめに流れるなど、周到な仕掛けが施され、より気分を高める工夫が用意されている。


 『アナと雪の女王』が、予告編などで「Let It Go」などの楽曲を強調したり、公開中にも関わらず、YouTubeなどで劇中曲を試聴できるようにしたり、ファンの歌唱動画を黙認したのも、劇中曲を認知させた方がヒットにつながるという戦略からである。その点、『アラジン』の曲は十分すぎるくらい浸透しているといえよう。


 日本のアニメ映画界においても、楽曲や歌が作品をヒットに結びつける可能性があるということについては、とくに『君の名は。』(2016年)以降、プロデューサーはじめ、作り手側が強く意識している部分である。実写版『アラジン』と同時期公開の『海獣の子供』、『きみと、波にのれたら』、それから『天気の子』など、人気アーティストによる楽曲の提供は、ヒットを狙いたい作品としては、もはや必須の試みになりつつある。しかし、ミュージカル文化が自らのものとして定着していない日本では、ミュージックビデオ風の演出を行うところまでが限界かもしれない。物語と演技、音楽の融合を、ミュージカルほど一体にすることは難しい。その点では、アメリカのエンターテインメントは一日の長があるのだ。


 そして、日本語吹き替え版では中村倫也が少々キザな雰囲気で声をあて、過去にアニメ版の日本語吹き替え版のアラジンを羽賀研二が担当していたように、男前でちょっとプレイボーイの印象のあるアラジンというキャラクターは、ディズニーによって創造された主人公のなかでは異色だといえ、このような、ある種“非ディズニー”的といえる点も、本作が観客の熱量を高めた理由の一つだといえるだろう。


 とはいえ、『アラジン』はロマンティックなミュージカルやラブストーリーだけが魅力の作品というわけでもない。本作の裏の主人公は、なんといっても魔神ジーニーである。もともとアニメ版で、ロビン・ウィリアムズ(日本語吹き替え版では山寺宏一)が声を担当し、モノマネやギャグを連発し続けるという悪ノリを見せたのがジーニーというキャラクターだった。そのあまりにやりたい放題な演技をアニメーションとして見せることで、ジーニーは主人公の何倍も目立ってしまっている。だからこそ本作は、『シンデレラ』や『美女と野獣』のような、より本格的なラブストーリー作品と比べ、恋愛描写にさほど興味のない観客にも受け入れられるという特徴を持っている。


 また、本作のジーニー役をウィル・スミスが演じたということが、ここでは非常な成果をあげている。ハリウッドにおいてあまりに大きな存在になってしまい、その力が逆に俳優としての軽快さを奪うことになっていた近年のウィル・スミスは、強大な力を持つ一方で縛られてもいるというジーニーの役に、あまりにもぴったりだといえないだろうか。公開前の予告編の時点では、青い肌のビジュアルが揶揄されてもいたが、いまとなっては、ウィル・スミス以外の俳優は考えられないほど、本作のジーニーは、はまり役だったといえよう。


 様々な観点から振り返ると、『アラジン』はヒット作として大爆発する可能性がもともと存在していた題材だったのだということに気づかされる。しかし、爆発させるための火薬に火をつけるのも、その全てが爆発するように適切に火薬を配置するのも、スタジオや監督の手腕あってこそである。今回は、それを成し遂げたディズニーの周到さを、素直に評価したい。


 今回の大ヒットから、『アラジン』は次なるヒット作を作るための参考にされる作品になるはずである。そして次に期待したいのは、それを活かしたオリジナル作品の製作である。そんな未来のためのヒントがいろいろ眠っている本作は、まさに劇中に登場した“宝の洞窟”のような存在なのかもしれない。(小野寺系)


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