ルーカス・ドン監督が語る、賛否両論の『Girl/ガール』に込めた思い 「つながりを感じてほしい」

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2019年07月06日 12:01  リアルサウンド

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ルーカス・ドン監督

 第71回カンヌ国際映画祭でカメラドール(新人監督賞)を受賞し、第91回アカデミー賞外国語映画賞ベルギー代表にも選出された映画『Girl/ガール』が7月6日に公開された。バレリーナを夢見る15歳のトランスジェンダーの少女ララが、全力で支えてくれる父のため、そして自身の夢のために大きな決断を下す模様を描く本作。500人を超える候補者の中から選ばれた、アントワープ・ロイヤル・バレエ・スクールに通う現役のトップダンサー、ビクトール・ポルスターが主人公のララを演じた。


参考:長編デビュー作でカンヌ3冠、GG賞ノミネート ルーカス・ドン監督作『Girl/ガール』7月公開


 今回リアルサウンド映画部では、長編デビュー作ながらカンヌ映画祭、ゴールデングローブ賞、アカデミー賞と数々の映画祭・賞レースで話題をさらったルーカス・ドン監督にインタビュー。作品に込めた思いや特徴的なカメラワークなどを中心に、トランスジェンダーの役をシスジェンダーの俳優が演じて批判を浴びた件についても話を聞いた。


ーー自分の望む自分になろうと葛藤するララの姿には、自分を変えたいと願う誰しもが共感できるのではないかと思いました。


ルーカス・ドン(以下、ドン):ありがとう。それは最上級の褒め言葉だね。僕自身もまさにそのとおりだと思っているんだ。もちろん描いているキャラクターは“個”ではあるんだけど、監督として観客に一番望んでいることは、描いているテーマについて、何か普遍的な形で触れてほしいということ。ララはトランスジェンダーのキャラクターではあるけれど、もちろんそうではない人にもこの映画をとおして何かしらを感じ取ってほしい。登場するキャラクターと自分との違いや、彼/彼女たちがいかにユニークかではなくて、キャラクターとどこが同じなのか、つながりを感じ取ってもらうことができれば、それは監督としての大きな喜びだね。この作品は、アイデンティティを持つ人が変わろうとする側面と、アイデンティティを持つ人が演じる側面を描いているんだ。僕たちは時に、自分が作り上げた、もしくは社会から押し付けられたイメージを追求してしまうことがある。そのイメージをどこまで追求したらいいのか、もしくはするものなのか……。そういうことをテーマにしているから、ジェンダーや年齢、セクシュアリティなど関係なく、普遍的に多くの人に伝わることを願っているよ。


ーーLGBTQなどのセクシュアル・マイノリティをテーマにした映画では、主人公と家族が対立する姿を目にすることが多いですが、この作品では父マティアスがララのセクシュアリティについて非常に寛容的だったのが印象深かったです。


ドン:この作品は、とにかくララについての物語にしたかったんだ。だから、“自分はこういう人間なんだ”ということを家族に説得しなければいけない時期が過ぎた段階から物語を始めることにして、冒頭から、多くの登場人物は彼女のやろうとしていることを応援している。そうしないと、彼女自身の物語に集中できないと考えたんだ。そうすることによって、バレリーナという、ある種究極の女性らしさのイメージを追求しようと葛藤しているララの物語にしっかりと目を向けることができるんじゃないかとね。それと君が言うように、子供のアイデンティティを受け入れられない親と子供が葛藤する姿は映画の中でもよく目にするから、逆にそうではないものを観たいという必要性も感じていたよ。マティアスはララに対して無条件の愛を持っていて、彼女のことをあるがまま受け入れているから、彼女のアイデンティティを問うこともない。もしマティアスが彼女について何か問うことがあれば、それはララ自身の幸せについてだね。実は、ララのモデルでもあり、僕がこの映画を撮るきっかけとなった新聞記事に書かれていたトランスジェンダーの少女ノラ(・モンセクール)のお父さんも、自分の娘を完全に応援している、無条件の愛を持った人だったんだ。だから、マティアスはある意味、彼へのオマージュでもあるんだ。


ーー『Girl/ガール』という作品のタイトルは、シンプルながらもいろいろな捉え方ができますね。


ドン:僕にとっても多層的な意味を持つタイトルだね。ステートメントでもあり、この作品が最初から最後まで少女の物語であることも意味しているし、ララが全てのティーンエイジャーの女の子と同じだという意味でもある。それに、トランスガールではなくガールとして見られたいララの気持ちを代弁してもいるね。僕自身も、美しさと刺さるところの両方がある、素晴らしいタイトルだと思うよ。


ーーララの身体や表情にフォーカスしたカメラワークも特徴的でした。


ドン:画作りに関しては、脚本を書いている時から2つのことを重要視したんだ。ダンスシーンがたくさんあるこの作品をどのようにアプローチしていくのかを考えた時に、引きの画でダンスや振り付けをちゃんと見せるというやり方もあったんだけど、それよりも、ダンスというものが肉体に対してどのような影響を及ぼすのかを撮りたいと思ったんだ。だってこれはダンスの映画ではなくて、主人公のララと身体の関係についての物語だからね。その結果、ダンスそのものをしっかりと見せるのではなく、キャラクターに寄った撮り方にしたんだ。撮影監督のフランク(ヴァン・デン・エーデン)と、どうやったらよりキャラクターの近くで撮れるのか、ララに寄り添うためには何をしたらいいかをリサーチして、彼自身がダンサーになって撮れないかと考えたんだ。


ーー撮影監督も一緒に踊りながら撮ったんですか?


ドン:そうなんだ。実は、フランクにもコレオグラフィーを付けているよ(笑)。それと、脚本段階から重要視していたもうひとつが、ズームを積極的に使用することだった。ララのモデルとなったノラと話をした時に、彼女が「他の人から見られるたびにパラノイアになってしまう」「真の姿を見透かされてしまっているのではないかという恐怖心があった」と言っていたんだ。そういう何かを見抜こうとする他者の視点が、ズームを使うことによってリアルに表現できると思って、取り入れることにしたんだ。ララを演じたビクトール(・ポルスター)は、自分の感じていることを表情で表すタイプの役者で、この映画の力は彼の表情にかかっているというのもわかっていたから、顔に寄ったカメラワークを選択をしたんだ。


ーー長編初監督作にしてカンヌ映画祭やアカデミー賞で話題になった一方で、トランスジェンダーの役をシスジェンダーの俳優が演じていることで批判もされました。


ドン:そうだね……ここで僕はダーレン・アロノフスキーの言葉を引用するよ(笑)。彼が言っていたのは、作品が完成してしまったら、作り手はもうその作品をどこかに置いていかなければいけないということ。確かに僕はこの作品で良いことも悪いことも経験したけれど、すでに完成して世に出たものだから、自分にとっては僕の元からもう離れてしまった、パブリックドメインみたいなものなんだ。この作品によって経験したマイナスな面は、時に残虐なものであったり、興味深いものでもあったりしたけれど、賛否両論いろんな意見をもらうこと自体が初めてだった。普通、そういうことはキャリアをとおしてゆっくりと経験していくものだと思うけれど、僕は最初の作品で一気にいろんなことを経験してしまった(笑)。でも、そのおかげで僕は強さを身につけたと思う。この経験をとおして思うのは、未だに揺らがずに映画を作りたいという強い気持ちがあること。もちろん観客に作品を届けたいという気持ちがあると同時に、究極的には自分のために映画を作りたい。キャラクターを掘り下げることで、自分をもっと知ることができると思うから、今後も自分のために映画を作っていきたいね。(取材・文・写真=宮川翔)


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