『マーウェン』ロバート・ゼメキスのキャリア集大成作にみる、“架空の世界”に救われる人々の心理

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2019年07月18日 14:01  リアルサウンド

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『マーウェン』(c)2018 UNIVERSAL STUDIOS

 1985年の6月末から7月にかけての日々が描かれる『ストレンジャー・シングス』シーズン3の主要舞台となるのは、インディアナ州ホーキンス(架空の町)のショッピングモールだ。物語が始まるとすぐ、ショッピングモールのシネコンでメインキャラクターとなる少年少女たちは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のポスターの前を素通りして、ジョージ・A・ロメロ『死霊のえじき』が上映されているスクリーンに向かう。気になって調べてみると、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』がアメリカ本国で公開されたのは独立記念日の前日にあたる7月3日。なるほど、まだ冒頭では公開の直前だったわけだ。案の定、独立記念日の当日には『バック・トゥ・ザ・フューチャー』上映中の満席のスクリーンも舞台となって、物語はクライマックスへと突入していく。


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 80年代を語る上で絶対に欠かすことができないどころか、あの『アベンジャーズ/エンドゲーム 』中盤の鍵を握る一連のシーンでさえその変奏に過ぎないと言える、タイムトラベル映画における永遠のクラシック『バック・トゥ・ザ・フューチャー』。今年『スバイダーマン:スパイダーバース』や『名探偵ピカチュウ』を観た時、「こういうまったく異なるビジュアルのタッチをもつキャラクターが同じ画面で活躍する映画、昔も観たことがあるな」と思い出さずにはいられなかった『ロジャー・ラビット』。名だたる大物俳優に最先端の視覚効果を施したことでその後の映画界の流れを変えた『永遠に美しく…』。その延長上で、今度はアカデミーの主要賞まで独占することとなった『フォレスト・ガンプ/一期一会』。クリストファー・ノーラン『インターステラー』にも多大なる影響を及ぼしたSF映画の傑作『コンタクト』。『ホワット・ライズ・ビニース』と『キャスト・アウェイ』が続けざまに(本国)公開された2000年まで、異論を挟む余地なく、ロバート・ゼメキスはアメリカで最も成功した映画監督の一人であり、最も重要な映画監督の一人でもあった。


 新作『マーウェン』を観ながら、どうしてもその主人公に重ねてしまったのは、その2000年から2012年の『フライト』までの約12年間、CG作品にのめり込んで実写映画から遠ざかっていた時代のゼメキス自身のことだ。近年のアメリカの巨匠による多くの新作と同様、実話を元にした本作。2000年当時38歳だった主人公マーク・ホーガンキャンプは、地元のバーで出会った若者たちにヘイトクライムの標的として暴行を受けて、成人後の記憶をほとんど失ってしまった。本作は、スティーヴ・カレル演じる主人公が自宅の庭に作った「マーウェンコル」という架空の村で、フィギュアと精巧な模型によって頭の中にあるもう一つの世界を写真撮影していくことによって、自分の人生を取り戻していく姿を描いた作品だ。


 「現実を侵食していくファンタジーや妄想」というのはこれまでのゼメキス作品における一貫したテーマであるが、『マーウェン』ではそれが人間を「回復」させるための手段としてこれ以上なく明確に描かれている。ゼメキスが実写を長期的に離れる直前に撮った『キャスト・アウェイ』で、無人島に漂着したトム・ハンクス演じる主人公を正気の側にギリギリとどまらせていたのは、彼が頭の中で擬人化をして友達として語りかけていた一個のバレーボールだった。あの頃からゼメキスは「妄想によって命を救われる人間」を描いてきたわけだが、『マーウェン』を観た後だと、そんな過去のいくつかの作品がゼメキスにとっていかに切実なものだったかについて思いを巡らさずにはいられない。


 2012年に『フライト』で実写映画に復帰した時、どうして12年間CG作品ばかり作ってきたのかを訊かれたゼメキスは、「その当時は完全にデジタルシネマと恋におちてしまったんだ」「それに、実写映画で撮りたいと思う良い脚本に巡り会えなかったんだ」などと屈託なく答えていた。その言葉に嘘はないだろうし、彼が精神的な困難を抱えていたという具体的なエピソードなどが広く知られているわけではない。しかし、奇跡の胴体着陸によって乗客の命を救って「英雄」として賞賛されたパイロットが実はアルコールやコカインに依存していた『フライト』の主人公ように、あるいはその主人公を演じたデンゼル・ワシントンと長年タッグを組んでいたトニー・スコット監督がちょうどその2012年に突然自ら命を絶ってしまったように、人間には誰しも二面性があり、(トニー・スコット同様に)80年代初頭からハリウッド・エンターテインメント大作の「陽」の部分を担ってきたゼメキスもその例外ではないだろう。


 「私たち誰もが生きるための苦しみを抱えていて、苦しみを癒すのは普遍的なテーマだ。誰もが自分自身を癒す必要性を理解している。彼(マーク・ホーガンキャンプ)は人生の最も苦しい瞬間に終止符を打つために、苦悩を表現する必要があった。それは芸術の重要な目的の一つで、彼はそれを写真という方法を使って表したが、私は彼がそうしなればならなかった理由が深く理解できる」。『マーウェン』について、そう語るゼメキス。『フォレスト・ガンプ』を彷彿とさせる主人公の設定に加えて、終盤には『バック・トゥ・ザ・フューチャー』へのオマージュシーンまである『マーウェン』を、きっと多くの人はゼメキスの集大成と呼ぶことだろう。でも、本作は単にゼメキスのこれまでの集大成であるだけではなく、彼が今後もハリウッド・エンターテインメント大作を作り続ける上で、このタイミングで作っておかなくてはいけない必要なプロセスだったのではないだろうか。主人公のマークにとっての、「マーウェンコル」でのフィギュア写真の撮影がそうであったように。


■宇野維正
映画・音楽ジャーナリスト。「MUSICA」「装苑」「GLOW」「Rolling Stone Japan」などで対談や批評やコラムを連載中。著書『1998年の宇多田ヒカル』(新潮社)、『くるりのこと』(新潮社)、『小沢健二の帰還』(岩波書店)。最新刊『日本代表とMr.Children』(ソル・メディア)。


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