『火焔太鼓』『富久』『替り目』、宮藤官九郎が『いだてん』に仕掛けた“落語”を解説

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2019年07月28日 09:41  リアルサウンド

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『いだてん』写真提供=NHK

 NHK大河ドラマ『いだてん〜東京オリンピック噺(ばなし)〜』の落語指導をしている古今亭菊之丞師匠が、SNSで発信している「#いだてん落語的楽しみかた」というハッシュタグ。物語の中で語られる落語を、詳しくない人にもわかるように物語と絡めて解説してくれるため、ドラマの楽しみ方がうんと広がる。落語の視点から『いだてん』に込められた新たなメッセージを受け取ることで、より一層登場人物たちや物語を愛することができるように思うのだ。


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 『いだてん』では、落語は非常に重要な役割を担っている。ビートたけしが演じる五代目古今亭志ん生師匠と、若き日の志ん生・森山未來演じる美濃部孝三のふたりが語る架空の落語『オリンピック噺』にのせて物語は進行し、オリンピックの話と落語描写が絶妙に重なっていく。「(宮藤さんは)熟知しているからこそ、物語と落語をオーバーラップして描けるんです」と菊之丞師匠が公式サイトのインタビューで答えていたが、そのシンクロは見事で、さすが生粋の落語好き・宮藤官九郎が手がける脚本だ。かつて手がけた落語をモチーフとしたドラマ『タイガー&ドラゴン』(TBS系)でも、毎話古典落語をベースにしたストーリー展開で落語好きをうならせた。


 今回も、これまで1回『富久』、2回『付け馬』、4回『芝浜』、5回『鰍沢』、16回『文七元結』、24回『まんじゅうこわい』など多くの落語が登場してきた。そして7月13日に放送された第26回『替り目』は、はじめて落語の演目がタイトルについた回だった。


 『替り目』は、酔っ払いの亭主と女房の話だ。酔っ払って家へ帰ってきた亭主は、おかみさんに「寝なさい」と怒られるが、性懲りも無く「寝る前に一杯のみたい」とせがんでくる。さらに「酒の肴もないのか」とわがままばかりで、仕方なくおかみさんは近所へ買いに出かける。その後ろ姿に「ありがとうございます」と、亭主は感謝の気持ちを吐露する。しかし待ちきれなかった亭主は通りがかったうどん屋にお燗だけ付けさせ、気の毒に思ったおかみさんがうどん屋を呼び戻そうとする。「おい、うどん屋、あそこの家で呼んでるぜ」「あそこはいけません。ちょうど銚子の代わり目ですから」というのがオチだ。


 しかし、志ん生師匠はこの噺の後半はやらず、オチを途中の「夫の吐露」で終えた。女房がまだ家を出ていないのに気がつかず、「この飲んだくれの世話をしてくれるのはあの女房以外にいない。世の中に女房ほどありがたいものはいないねえ」と亭主がしみじみ感謝する独り言から「まだ行ってなかったのかい!」がオチ。「亭主関白で威張るけれども、実は心底おかみさんに惚れている亭主。ここでサゲる(落語用語で「オチ」という意味)ことで結果、夫婦のいい噺って印象が残った」と菊之丞師匠は言う。


 このシーンと、孝三が女房のおりん(夏帆)に対して「この飲んだくれを世話してくれるのは、三千世界広しといえでも、いやあかあちゃんしかいねえんだよ。世の中に女房ほどありがたいものはないねえ」と酔いながら子どもに向かって気持ちを吐露するシーンが重ねて描かれていた。そしておりんは答える、「あたしは寄席に出てほしいんですよ。それだけなんですよ」と。甘えからくる自分の情けなさを、ぐっと噛みしめるような孝三の表情からはなにかの「替り目」を感じざるを得なかった。人が大きく変わるきっかけというのは、小さな後悔と大きな感謝の積み重ねなのかもしれない。バクチや酒をこよなく愛した志ん生が、後に「落語の神様」となっていく根っこの部分が垣間見えた。


 全体として落語シーンが多い回ではなかったが、金栗四三(中村勘九郎)・田畑政治(阿部サダヲ)・美濃部孝三/古今亭志ん生、3人ともすこし情けないけれども愛らしい。そして、頼りない亭主を支える女房の存在が彼らを強く、“神様”へと近づけていく。(田畑政治のみこれから嫁をもらうため未知数だが)人生の替わり目というのは、積み重なった深い感謝の気持ちが引き金になるのかもしれない。第26回、熊本にいる兄、そして女房や義母へ深い感謝の気持ちで満たされた金栗四三の、新たな希望を持って熊本へ向かう清々しい表情は美しい。


 前述の通り、志ん生師匠は「落語の神様」と呼ばれた存在である。何を喋っても落語に聞こえる天才性と、その型破りな性格から多くの逸話を残す(借金から逃げるために17回の改名と引っ越しを繰り返したとか)。そうした彼と、まーちゃんこと田畑政治はどこか重なる。頭に口が追いついていないと言われたほど口達者、「口が韋駄天」であるまーちゃんの水泳への異常な情熱。側からみれば「え!」と驚くような行動力で、あらゆる苦難も軽妙に乗り越えていく。その様は笑えて潔く、気持ちがいい。


 そしてまーちゃんは、落語好きでもある。第2章スタートの第25回で披露された『火焔太鼓』で、孝三とまーちゃんが「水ちょーだーい!」とハモったあの姿は何度観てもしびれるほどカッコよかった(「#いだてん落語的楽しみかた」で菊之丞師匠曰く「台本ではあそこまで丁々発止ではなかった。おふたりが控えでゴニョゴニョっと話していて」)。


 『火焔太鼓』も志ん生師匠の代表作のひとつ、あまりの完成度の高さに「志ん生のを聞いたことあるなら、他の噺家の火焔太鼓は聞かなくてもいい」と言われたほど。『替り目』と同じく夫婦の噺。人はいいが商売は下手な道具屋の亭主は、おかみさんに怒られてばかり。ある日、汚い火焔太鼓を仕入れてきて「売れやしないよ」とまた、おかみさんにいなされる。しかし、大名が通りすがりにその音色を聞いて気に入り、高値の300両で買い取ってくれることに。信じやしないおかみさんに、儲けた金をみせていくと、反応がみるみる変わっていくふたりの掛け合いが聴きどころであり、亭主とおかみさんの様子を孝三とまーちゃんの様子に重ねていた。


 火焔太鼓とはいわゆる、キワモノ。値打ちを評価されていなかった代物が、大名の目利きにより国宝級の代物だと高い評価を受け大化けする。それは「河童野郎」と罵られていたまーちゃんが、財務大臣である高橋是清を説得したことによってオリンピックおよび水泳日本の価値が見出され、自身も東京オリンピックを誘致するまで日本の歴史を動かす人物に大化けする物語とオーバーラップする。スタートは上手くいかなくとも、頭と口をフル回転させて、ここまで爽快に実現させていく力は尊敬すべき才能だ。


 「フラがある」とは落語業界の用語で、持って生まれた可笑しみや愛嬌がある、ということ。孝三が師匠からもらった「フラがある」という大切な言葉は『いだてん』全篇を通して丁寧に描かれ、人の有り様の情けなさも生真面目さも尊いとする、落語が持つ魅力と『いだてん』から感じる魅力は、どこか重なるように思う。


 失敗から多くを学び、笑いながらも前に進む愛嬌たっぷりの登場人物たち。側からみれば可笑しいほど日本中を走り回った金栗四三、田畑政治の忙しなくも憎めないキャラクター、脇役も含めそれぞれが生きることに一生懸命で可笑しみがあり、我が人生にもひとひらのきらめきを得られるような爽快感があるのだ。どんな物事も簡単に上手くはいかない。けれども、笑いながら懸命に流した汗の先には明るい未来が待っているのかもしれない、と思わせてくれる。これからもどんな落語が登場し、物語を盛り上げるのか。(羽佐田瑶子)


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