ヤスミン・アフマドが世界で愛され続ける理由 『細い目』主演女優が語る、演出の裏側

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2019年08月01日 12:01  リアルサウンド

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『タレンタイム〜優しい歌』(c)Primeworks Studios Sdn Bhd

 現在、シアター・イメージフォーラムで「伝説の監督 ヤスミン・アフマド 没後10周年記念 特集上映」が開催中だ。


参考:今まで知らなかった“東ドイツ”を目撃するーーベルリンの壁崩壊30周年に公開された2作品に寄せて


 ご存じの方も多いと思うが、ヤスミン・アフマドはマレーシアが世界に誇る映画監督。2003年にテレビ映画『ラブン』で長編デビューを果たすと、東京国際映画祭で最優秀アジア映画賞を受賞した『細い目』をはじめ、その作品の多くが国際映画祭で評価を得た。しかし、2009年7月25日に51歳という若さで死去。生涯で残した長編作品は6本と少ないが、今も映画ファンの記憶に刻まれる、まさに伝説の映画作家といっていい。


 今回の没後10周年を記念しての特集では、彼女の6本の長編に加え、オムニバス作品『15マレーシア』に収めれた短編『チョコレート』を上映。その作品群に触れて改めて思うのは、公開時もさることながら、時代が移り変わった今こそ世界中の人々に観てほしいということにほかならない。それほど現在の世界情勢を鑑みるに心に突き刺さる作品ばかりであることに驚かされる。


 たとえば彼女が世界の映画界で知られるきっかけになった出世作『細い目』は、マレーシアの多民族社会を背景に、マレー系少女のオーキッドと、中華系の男の子、ジェイソンの初恋を描いたラブストーリー。一見すると、普遍的な物語だ。


 ただ、当時、マレー系、中華系、インド系など多民族国家であったマレーシアにおいて、映画やドラマで、民族や宗教が異なる男女の恋が描かれることはほとんどなかったという。さらに、ほとんどの映画はマレー語が主流。マレー語、広東語、英語などが飛び交う『細い目』のような映画もまたなかったという。


 特集上映に合わせて来日した『細い目』の主人公オーキッド役で、ヤスミン作品に欠かせない女優となるシャリファ・アマニはこう明かす。


「『細い目』の出演が決まったのは17歳のとき。まだ高等学校に通っていて、今後の進路をどうするか悩んでいるときでした。ですから、『細い目』は私のその後を決定づけた1作。ほんとうに運命的な出会いを感じたんです。というのも、初めて脚本に目を通したとき、私はこう思いました。『これは(私の)祖母のストーリーだ』と。中華系の男の子とマレーシア系の女の子の恋愛が描かれてますけど、私の祖父母も一緒。民族や宗教が異なる者同士で結ばれた。私の祖母は海南出身の中華系、祖父はペナン出身のインド系です。この映画の中で描かれている両親の愛情あふれるやりとりは、常日頃目にしている自分の父や母、祖父母の姿と重なりました。また、そんな両親のもとで育っているオーキッドは、『これは私自身』と深い愛情と親しみを感じ、『私が演じるしかない』と思ったんです。


 私の育った環境において異なる宗教や言語、民族が混在するのは当たり前のことでした。おそらくヤスミン自身もそう。マレーシアの社会もすでにそれが普通に変わっていた。ですから、私にとって『細い目』の脚本は特別ではなく、“私自身の物語”と共鳴できる親近感があったのです。たぶん、マレー語主体で、民族や宗教の異なる男女の恋愛が描かれないマレーシア映画に対して一石を投じるといった意識はヤスミンの中にはほとんどなかったはず。おそらく彼女自身が日常で感じていることや自分の体験したことを自然に形にしただけだと思います」


 民族や肌の色、言語といった違いを越え、人間同士が互いの文化や価値を認め合う様をみつめたその物語は、現在の社会になんと多くのメッセージを投げかけるか。ナショナリズムや極右の台頭、難民の問題をはじめ、「分断」や「格差」、「排除」や「対立」に覆われる現在の世界情勢を見つめたとき、わたしたちが立ち止まって考えなければならないことが『細い目』には描かれている。社会をよりいい方向に導くなにかがこの作品には隠されている気がしてならない。また、ヤスミン作品に共通して描かれているのは「人間の良心」「他者への寛容」といったこと。人間の心の中にある優しさや深い愛情が作品の中にあふれている。それは理想主義と言ってしまえば、そうかもしれない。でも、社会や国、人間同士の関わりこそ理想を追求すべきなのである。そういう意味で、ヤスミン作品は今まさに世界中の人々に観てほしい映画といっていい。そして、ひとりの人間として失いたくない心がヤスミン作品には存在する。これこそがヤスミン作品の魅力かもしれない。


「彼女はよく理想主義者と言われていました。そう言われることを嫌がれる人は多いことでしょう。ただ、ヤスミンは最高の誉め言葉と受け止めていました。ですけど、たとえば“共存”や“分かち合い”といったメッセージを作品に込めようと意識はしていなかったと思います。彼女は自然に相手に心を寄せ、誰にでも愛を与えられる人でした。だから、先ほども言いましたけど、自身の体験したことを描いただけだと思います。彼女は何度もこう言っていました。『よりローカル、より個人に根差した物語であればあるほど、国際的に響く、普遍的なものになる』と。つまり、人間をきちんと描くことがすべて。肌の色や、国、言葉は関係ない。人間を愛情をもって描けばいいと。だから、彼女の作品に登場する人物はいずれも愛おしい。本人に根差しているから、ヤスミンの強さや優しさが作品には封じ込められている。作品を通して、わたしたちは優しく温かい大きな心をもったヤスミンに触れているのかも。そして、その彼女の人間性に深い感動と感銘を受けているのかもしれません」


 そして、もうひとつヤスミン作品の魅力を語る上で欠かせないと思われるのが、役者たちの演技。ほんとうにどの役者もある意味演技を越えて、その場に自然に存在するとでもいおうか。へんにこなれた演技にも、かといって素人にも思えない、みずみずしさを携えながら、その役の人物となって生き生きと存在している。


「たとえば『細い目』の撮影は2週間。そうきくと、さらっとやったように思われるけど、実は違うのよ」とシャリファ。ヤスミンの作品は綿密なプランに基づいたと明かす。


「ヤスミンは家族的な現場を大切にしていて、常に同じ人でチームを組んでいました。監督である自分の役割は脚本と監督。カメラマン、助監督、編集はずっと固定メンバーで、それぞれが自身の役割に集中しながらも家族のように意思疎通できる形をとっていました。


 それは役者に対しても同じ。撮影はクランクインの前に、3カ月のリハーサル期間があるんです。それだけ長く一緒にいるから共演者を越えて、役者同士が互いをひとりの人間としてすごく理解することができる。そして、ここからがヤスミンマジックなんですけど、役者たちはその準備期間で役そのものになっていくんです。だから、『細い目』の相手役ジェイソンを演じたン・チューセンとはいまでも友達。ロマンチックではないけど、どこか彼は心の恋人のようなところがあります」


 こういった結びつきが出来ていたから、撮影に入る前は役者たちは全員役になりきっていたという。


「『細い目』はデビュー作でしたけど、演じる不安はほとんどありませんでした。クランクインしたときは、もう役になりきっていますから、あとはやるだけなんです。ただ、ここからもうひとつヤスミン・マジックがあるんですよ。彼女は本番に入って役者が失敗したり、間違ったりすることを変な話なんですけど、喜ぶんです。なぜかというと、人間は誰でも間違える。そこで取り繕うとしたり、何もなかったようにしたりと人はするわけですけど、その所作はとても自然なもの。私だったらシャリフ自身、同時に演じているオーキッドの素直なリアクションでもあるとヤスミンは判断するんですね。だから、そういったアクシデントをヤスミンはあえて映画に生かすんです。そのヤスミンの演出法こそが、みなさんが感じる役の自然なたたずまいにつながっていると思います」


 それだけの長期にわたるリハーサルがあったとはにわかに信じがたい。それほど役者の演技にこなれた感じがない。


「CGやアクションなんてないのに、リハーサルに3カ月かけるなんて信じられませんよね。でも、実際そうだったんです。たとえばリハーサルのとき、急に脚本を取り上げられて、好き勝手にやってみてといったことをする。そういうことを繰り返していくと、だんだん役が自分の中に沁み込んでいく。すると何が起きてもその役として反応できるというか。共演者がたとえばなにかセリフを間違っても、即座に返すことができるようになるんです。役者としては自身を高める期間で。役者に役を磨き上げる十分な時間をくれたのです。このようにヤスミンは役者をすごく大切にしてくれる監督でもありました。ここにも彼女の人間性が表れている気がします」


 「今回の特集のようにヤスミンの作品が今も愛されていることが実感できる機会は自分もとてもうれしく感慨深いところがありますけど、なによりヤスミン自身が喜んでいることでしょう」とシャリファ。亡くなって10年が経ちながら、その作品は色あせるどころか、ますます輝きを増し、世界に大切なメッセージを届けているように思えるヤスミン・アフマドの映画世界。その珠玉の作品の数々に触れてほしい。(水上賢治)


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