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大川周明の被告席での奇行はすべて狂言だった? 4時間半の超弩級ドキュメンタリー『東京裁判』

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2019年08月02日 21:02  日刊サイゾー

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日刊サイゾー

写真東條英機ら28人のA級戦犯が裁かれた「東京裁判」。戦争責任を個人に負わせることの法的な適否については、今も疑問として残る。
東條英機ら28人のA級戦犯が裁かれた「東京裁判」。戦争責任を個人に負わせることの法的な適否については、今も疑問として残る。

 日本はなぜ太平洋戦争へと雪崩れ込み、そしてどのようにして敗戦を迎え、米国主導による戦後処理が進んだのか。アジアの歴史、欧米の情勢、日本の内情など、さまざまな視点からの洞察を必要とする問題だ。この難問に明快に答えてくれるのが、上映時間4時間37分の超弩級ドキュメンタリー映画『東京裁判』(83)である。『切腹』(62)や『上意討ち 拝領妻始末』(67)など、封建時代から続く日本社会独特の組織と個人との軋轢をテーマに劇映画を撮り続けてきた巨匠・小林正樹監督が、5年の歳月を費やして完成させた渾身作となっている。

 アジア太平洋戦争における日本の戦争責任を連合国軍側が裁いた「極東国際軍事裁判」、通称「東京裁判」は、1946年5月から48年11月まで東京・市ヶ谷の旧陸軍省参謀本部(現在の自衛隊市ヶ谷駐屯地)で行われた。裁判記録は米国の国防総省に機密資料として保管されていたが、73年になって解禁。170時間に及ぶ膨大な記録フィルムを入手した講談社が、創立70周年記念事業として東京裁判のドキュメンタリー映画を企画した。

 最初に白羽の矢が向けられたのは黒澤明監督だったが、「僕よりも適任者がいる」と推薦したのは、東京裁判の劇映画化の準備を進めていたものの、途方もない製作費になるために暗礁に乗り上げていた小林監督だった。ソ連と満州国との国境警備などの従軍体験を持つ小林監督は資料映像を的確にまとめ上げ、4時間37分の上映時間があっという間に感じられるという神業級の編集ぶりを見せる。83年の初公開時、国内外で大反響を呼んだ『東京裁判』が4Kデジタルリマスター化され、令和初の終戦記念日を控え、再び劇場公開されることになった。

 情報量の多い『東京裁判』ゆえに、時間を経て見直すことで新しい発見がいろいろとある。興行的には難しいと思われていた『東京裁判』の製作にGOサインを出した当時の講談社・野間惟道社長は、実は陸軍大将・阿南惟幾の五男だった。映画『日本のいちばん長い日』(15)などでも知られているように、太平洋戦争末期に陸軍大臣を務めた阿南大将は8月15日に割腹自決を遂げた。戦争責任を負って自決した父の魂を慰霊するための映画だったともいえるだろう。

 太平洋戦争勃発時の首相・内相・陸相を兼任した東條英機は、米軍が逮捕に向かった際、拳銃自殺を図った。だが、米軍側は懸命な治療を施す。裁判でその罪を問うために、簡単には死なせるわけにはいかなかった。米兵の大量の献血によって、血液の半分を失っていた東條は一命を取り留める。死刑を覚悟していた東條は、以降は昭和天皇の戦争責任が問われないための闘いを法廷で演じる。一方、マッカーサーから「天皇は裁判に呼ばない」という指示を受けていた米国人のキーナン検事と、天皇の戦争責任を法廷で明らかにしたかったオーストラリア人のウェッブ裁判長とが、水面下で激しく火花を散らす。

 映画『東京裁判』の法廷初日シーンでとりわけ有名になったのは、民間人で唯一の被告となった思想家・大川周明が、被告席前列にいた東條の頭頂部をぴしゃりと平手で叩く場面だ。しかも、このときの大川はパジャマ姿だった。東條は振り返りながら、苦笑いを浮かべる。シリアスな『東京裁判』の中の貴重なギャグシーンだ。退席を命じられた大川は、梅毒による脳性麻痺と診断される。「狂気によるものであるか、狂言であるのか」という名優・佐藤慶のナレーションが流れるが、免責処分となった大川はその後、コーランの日本語全訳を入院先の精神病院で成し遂げた。法廷での奇行は狂言だったことは明白だ。A級戦犯として神格化されることよりも、東京裁判の茶番さを明るみにすることを選んだ、大川なりの抵抗だったに違いない。

 そもそも被告人が28人だったのは、法廷の被告席に椅子が28脚しか並ばなかったから、という噓のような通説もある。28人という数字には意味はなかった。裁判の妨げになる大川はあっさりと除外され、公判中に病没した松岡洋右、永野修身を除く全被告25名が有期刑となった。その内、東條ら7名に死刑判決が下される。

 見せしめとしての意味合いが最も強かったのは、文官(政治家)としてただ一人極刑を言い渡された元首相・広田弘毅だろう。三国同盟締結時の首相・近衛文麿が「法廷で裁かれることに耐えられない」と服毒死を遂げていたことから、その代役に広田は選ばれた感が強かった。好戦派ではなく、戦時中も和平の道を探っていた広田には全国から減刑嘆願書が届いたが、絞首刑の判決が覆されることはなかった。死刑宣告が告げられた際、広田が傍聴席最前列で見守っていた2人の娘へ別れの目線を無言で投げ掛ける瞬間が忘れがたい。

 渾身作を完成させた小林監督は、96年に80歳で亡くなった。名作『怪談』(65)から小林作品の助監督となり、『東京裁判』では監督補佐を務め、小林監督と共同で脚本も担当した小笠原清氏に話を聞く機会を得たので紹介したい。

小笠原「フィルムに同録された英語でのやりとりを全て翻訳し、その内容を小さい9ポの文字四段組みでびっしりと書かれた日本語の速記録10巻と照合する作業は、とても骨が折れました。当初は映画を1年で完成する予定が、5年がかりになったんです。製作の講談社からは『思想的に偏らず、退屈しないものにしてくれ』とだけ言われ、その点では大変恵まれていました。小林監督は初めてのドキュメンタリーということで、多少の戸惑いはあったでしょう。でも、フィルム素材の内容を確認するうち、3つの時間軸、すなわち法廷での進行とそこに内在するドラマ、起訴状で取り上げられた当時の戦争や時局問題に関する資料映像、そして東京裁判進行当時の日本と国際社会の状況、これらを組み合わせる必要に迫られたようです。その結果、『東京裁判』は立体的な社会像として分かりやすくまとめることが可能になりました。

 脚本作業中、全体の構成と流れを見極めるため、部屋中にシーンごとの表題を並べて、小林監督は10分ほど無言でじっと眺め続けた後、“よし、これで『人間の條件』(59〜61)と繋がるね”とひと言呟いたことを覚えています。『人間の條件』6部作は小林監督の従軍体験が生かされた反戦映画です。『東京裁判』も戦争犠牲者たちへの鎮魂の祈りを込めたものであり、悲劇を繰り返さないための時代の証言でもあります。映像資料として、年々その価値は高まっているんじゃないでしょうか」

 敗戦国・日本は、ナチスドイツ同様に人道に対する罪、平和に対する罪が問われたが、どちらも戦後に作られた事後法である。また、人道に対する罪を日本に問うのなら、広島と長崎に原爆を投下した米国側の責任はどうなのだという異議が弁護団からも上がったが、すべて却下される形で裁判は進んだ。最初から結果ありきの形式的な裁判だったといわれる所以である。

小笠原「勝者が敗者を裁いた東京裁判は、不当であり無効だと強調する意見はよく聞きます。一理ではありますが、でもそれまでの軍事裁判の現実は、日本も含め勝者が敗者を制裁し、裁くことが通常的なことでした。成否の議論は議論として、東京裁判はこれで政治的決着がつけられたわけです。もし仮に、東京裁判を公正の名目でやり直せば、立憲君主たる昭和天皇の戦争責任が改めて問われることも想定せざるを得ません。東京裁判における天皇免責は、米国が天皇の存在を生かしたほうが日本の統治には有効であると、社会学的に冷静に分析したからでしょう。いずれにせよ、国民が知らなかった膨大な戦争の実態を明るみにした成果も含めて、政治劇“東京裁判”は日本が新しい時代を迎えるための通過儀礼として機能したようにも見えます。また、当時は、戦争はもうこりごりだという思いが勝者・敗者双方に共有されていた時期でもあり、東京裁判にはその効果が漠然と期待されていた側面もありましたね」

 ドキュメンタリー映画『東京裁判』には、「終」マークが付かないことでも知られている。悲惨さを極めた第二次大戦後も世界各地で国際紛争は続き、今なお本当の平和は見えてこない。小林監督からの無言のメッセージがラストカットには込められている。

(文=長野辰次)

『東京裁判 デジタルリマスター版』

ナレーター/佐藤慶 音楽/武満徹 脚本/小林正樹、小笠原清 監督/小林正樹

配給/太秦 8月3日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開

※ブルーレイ&DVDはキングレコードより販売&発売中

(c)講談社2018

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